ケネス・ブラナーの『ベルファスト』、リチャード・リンクレイターの『アポロ 10号1/2 宇宙時代のアドベンチャー』など近年、映画作家による半自伝的エッセイ映画が相次ぐ中、マイク・ミルズ監督は一貫して人生の折々に映画をしたためてきた“エッセイ映画作家”である。父と向き合った『人生はビギナーズ』、母をはじめ人生に重大な影響を与えた女性たちへのラブレター『20センチュリー・ウーマン』、そして本作『カモン カモン』は自身の子供をお風呂に入れている最中に着想を得たという。全編に渡って実際に取材した子供たちのインタビューが散りばめられ、僕たちは時に意外性に満ち、時にこの世の真実を衝く彼らの声に耳を澄ませるのである。
主人公ジョニーはアメリカ各地を回り、子供たちの実直な声を拾い集めるジャーナリスト。ある日、やや疎遠だった妹から数日間、子供を預かってほしいと頼まれる。妹の夫は音楽家で、単身赴任先でメンタルヘルスに不調を来たしていた。そうしてジョニーは9歳の甥っ子ジェシーと共同生活を始めることになる。
ジョニー役ホアキン・フェニックスと、ジェシー役ウディ・ノーマンの自然主義的な演技に驚かされるハズだ。とりわけノーマンは屈託のない9歳の少年そのもので、全く演出が入ってないようにすら見える。実生活でも人の親となったホアキンはそんなノーマンの声に真摯に向き合っており、その表情はこれまでになく優しい。2人のやり取りは叔父と甥っ子(疑似父子でもある)そのものだ。
子供との生活は大人にとっても成長の場である。大人たちが憂い、手を差し伸べるまでもなく、ジェシーは言う。「未来は考えもしないようなことが起きる。だから先へ進むしかない。C'MON,C'MON,C'MON,C'MON…」。それはホアキンのキャリアハイとなった『ジョーカー』が、この世の最下層で絶望する者たちに蜂起せよと謳った事に対を成し、未来を生きる子供たちの生命力と可能性を賛歌してホアキン自身をも次のステージへと導いている。そんな2人の交流を撮らえたロビー・ライアン(『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞ノミネート)のカメラが美しく、モノクロームの街並みはエッセイ映画の“挿絵”としても格別だ。
僕もジェシーと同じ9才の時、父が精神を病み、以後、入退院を繰り返して家を空けるようになった。周りには駆けつけてくれるような親戚もなく、僕は弟2人を前にして早くも大人の責任を求められたと記憶している。そう思うとジェシーもまた子供でいられる時間はそう長くないのかも知れない。そして母の苦労は計り知れず、本作では母親役ギャビー・ホフマン(とてもいい顔の女優になった)に多くの時間をかけられているのが好もしかった。父親役は誰かと思えば『ゴッドレス』で弱視の保安官を演じていた名優スクート・マクネイリーである。
いや、ひょっとすると劇中のジョニーが言うように、僕はあの頃の事を今やすっかり忘れているのかも知れない。そういえば父方の祖母が来てくれたのではないか。祖母は病院に父を見舞った後、「あんな可哀想なことになってしまって」と僕の前でひっそり泣いた。後にも先にも祖母の涙を見たのはその時だけだった。マイク・ミルズの筆致はそんな僕の個人史をも引き寄せ、そして人の親にもならず40歳を迎えてしまった事に、ちょっぴり寂しさも抱かせるのである。
『カモン カモン』21・米
監督 マイク・ミルズ
出演 ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン、スクート・マクネイリー
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