2度目のパルムドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』に続くケン・ローチ監督の2019年作。貧困の当事者であると同時に、新自由主義社会において搾取する側にも立っていることを痛感させられる強烈な1本だ。
父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立しようと一念発起。訪問介護ヘルパーを務める妻アビーの乗用車を売って宅配用のバンを購入する。フランチャイズになれば頑張りに応じて収入は増えるし、家族と過ごすための時間もフレキシブルに作ることができる…そんな想いからの決断だったが、考えが甘かった。本社から課せられる過剰なノルマをこなすためには労基もへったくれもない働き方をしなくてはならず、違反をすれば厳しい懲罰が待っている。リッキーは完全にワーキングプアへと追いやられてしまう。
一方のアビーもまた同様に職務は過酷の度合いを増していく。移動用の車を失ったことで現場間の移動は全てバスとなり、勤務時間は逼迫。食事もままならぬばかりか、利用者からの信頼が厚いばかりに時間外の無報酬労働も生じてしまう。映画の前半、ローチはタスクに追われ続ける2人の日々をひたすら描写し、見ている僕らも焦燥感が募ってしまう。そんな2人の不在により、思春期の子供達も心身のバランスを崩し…。
これはより安く、より早く、より便利さを求めてき僕たち消費者の責任でもある。日本でもコンビニの過剰労働が社会問題となったことは記憶に新しい。果たして24時間お店が開いている必要なんてあるのか?より速く、顧客の都合に応じていつでも荷物を配達する必要なんてあるのか?労働のために人生を奪われた一家の連絡手段が原題でもある“Sorry We Missed You”=不在連絡票というのはあまりに皮肉だ。ローチが市井の人々の善良さに慈しみと敬意を込めて描くだけに、仲睦まじい一家の離散は胸を突く。
本作公開の翌年、コロナショックによってコンビニ、ファミレス等の24時間営業が見直され、深夜帯まで運行していた首都圏鉄道のダイヤも繰り上げられる等、変化も見られる昨今だが、一方で社会生活の維持に欠かせないエッセンシャルワーカーの待遇はワクチン摂取1つとっても遅れており、コロナショックと貧困問題を切り離すことはできない。そして宅配需要の増加はアマゾンの巨大倉庫で低賃金、過重労働で働く人々を増やし続けている。僕の生活圏でも数年前にはなかったアマゾンの倉庫が建ち、求人募集を目にすることが増えた。終幕、怪我で満身創痍ながらそれでも家族の制止を振り切って出社せざるを得ないリッキーの姿は、僕らが既に背中を合わせているワーキングプアの無間地獄に他ならない。
『家族を想うとき』19・英、仏、ベルギー
監督 ケン・ローチ
出演 クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター、ロス・ブリュースター
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