ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

8月15日

2022-08-15 22:11:05 | 日常のこと


夜中の2時に目が覚めた。
睡眠導入剤を飲んで寝たのに、中途半端な時間に目が覚めて困ってしまった。

次に目が覚めたのは4時。

困るわ。追加の薬を飲むわけにもいかないし・・・。

布団の中でストレッチをして、4時半には起きた。

早起きをしたときは、0655を見る。
月曜日は、「たなくじ」の日。

川柳・俳句を一句ひねると吉」なんて、ねこ吉の何処をひねっても何も出てこないわ。



終わりのこどもようおみくじは、「むぎ茶大吉」だって!むぎ茶なら何杯でも飲めるよ。

酷暑に日々が続いてる。とりあえず、水分不足にならないように気をつけます。



(スーパーの花屋の前にいた新しい子。置物だけど可愛い顔してる。)

今日は、終戦記念日です。

戦後生まれのねこ吉は、戦争中のことは、ドラマや映画を見て知っている程度だけど、ねこ吉の親や叔父、叔母は、戦争の中を生き抜いてきた。

今思えば、皆にもっと戦前戦後の話を聞いておけばよかった。

父は徴兵されていた。(何処にいたのか知らない。)
母は、尼崎の大空襲で焼け出され、たどり着いた長屋にいた親切な人に、「ここは、大家さんが疎開していないから住んでおきなさい。」と言われ、その人の隣の空き家に住んでいたそうだ。

戦後その家に、父や叔父たちが復員してして大勢で住んでいたらしい。
叔父たちは、それぞれ仕事や住まいを見つけて出て行った。

父と母、祖母とが残り、ねこ吉が生まれ、その家で育った。

「親切な人」は、隣の西井さんという一人暮らしのおばさんだった。
自分より若い母が先に亡くなり、「アンタのお母さんを頼りにしてたのに。」と泣いていた。


昨年の8月15日、コロナは感染爆発していたけど、ねこ吉は「芙蓉蟹の思い出」をブログに書いている。
コロナ下とはいえ、のん気なもんだった。

一年の間に、ロシアとウクライナが戦争して、一向に解決しない。
ロシア軍に建物を破壊され、たくさんのウクライナの人達は亡くなり怪我をしている。親を亡くした子供たちも一杯。

太平洋戦争の時の日本を見ているようだ。

終戦から77年が経った。日本の周りもキナ臭い。
「戦争を知らない子供たち」だったねこ吉達は、「戦争を知らないジジイとババア」になった。

このまま、戦争を知らないまま死んでいきたい。
絶対に戦前にしないでね!

戦没者追悼式のニュースと一緒に、東北地方や、静岡の考えられない大雨のニュースが流れる。

酷暑の中、浸水した後の泥の撤去作業をする人たち。

国葬に使うお金を、各地の復興に回して欲しいと思うねこ吉は、間違っていますか?