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前回の続きです。
ハリウッド映画、あるいはアメリカのドラマが、なぜにいつも家族の物語なのか、についてでした。
エイリアンにしても、壮大なSF作品にしても、一つの家族、あるいはカップルの物語に収斂する傾向があるのはなぜなのか?
「愛してるよ」
「私も愛してるわ・・」
というアレですね。
一つの答えとして、世界は決して安全なところではない、という基本的な前提があるからではないかと思います。
彼らにとって一番身近で大切な家族や恋人の存在が、実は常に危機にさらされている、というのが彼らの基本的なスタンスなのではないかと思うのです。
だからこそ、家族や恋人をどう守るのかが最重要課題になってくるし、それに沿った物語もできるのですね。
それに引き換え、日本の映画やドラマというのは、組織や集団が主体になっている気がします。
家族の物語であっても、彼らがどこに所属するかが大事だったりするんですね。
なぜなら、日本人は、集団によって守られているから。
必ずしも世界が危うい場所だと思う必要はない。
誰かが守ってくれるはず・・
たとえば、日本政府、会社組織、学校の集団、村、親戚、家族などが。
(幻想だったりするのですが)
「アメリカ人はステーキの後に床屋の話をする」(9月22日の記事)でも書きましたが、
アメリカ人は個人が主体、日本人はトピックが主体、というのもそうした違いからくるのかもしれません。
アメリカ人(に限らないけど西欧社会全般)は個人から発想し、日本人は集団から発想するようです。
したがって、日本人は「空気を読む」ことが重要になるのでしょう。
個人ではなく、集団が主体なので、その集団の中でみんながどう行動するか、常に「空気」を読んで行動しないと仲間外れにされるからです。
「村八分」にされると、日本では生きていけなくなる、そういう歴史があったからです。
私は、父が転勤族だったこともあり、子どもの頃から引越ばかりしていました。
一か所に定住することがなかったのです。
従って、あるところでいじめられてもまたすぐに引っ越すので大事に至らずにすんだのですね。
(引っ越しですべて解決とはいきませんが)
だから村八分の話を聞いたとき、なぜ引っ越さないんだろう、と不思議に思いました。
たしかに新しい土地になじむのはそう簡単ではないかもしれません。
特に日本の風土の中では。
よそ者や少数派に不寛容であるにもかかわらず、一見優しそうに見えたりもするので、
本当の危険が見えにくいからです。
見えないものに対峙するのは難しい。
それとなく遠まわしに言ったり、ほのめかしたりして、それでも伝わらないときは真綿で首を絞めるようにして締め上げていく。
気がついたらにっちもさっちもいかなくなっている・・
こんな恐ろしい社会は他にはあまりないのではないかと思います。
(ちょっとオーバーな表現のような気もしないでもないのですが、でも実際そういう目にあった人はけっこういると思うので・・)
だから、ハリウッド映画のように、わかりやすい敵、わかりやすい脅威、わかりやすい戦いに魅力を感じるのかもしれません。
ま、あれはあれで、ちょっとやり過ぎ感もありますが。
私は今でも集団が苦手です。
(たとえ引っ越しても集団はついてまわりますから)
基本的に一人で部屋にこもって本を読んだり映画を見たりするのが好きです。
なぜなら、
一人でいれば、安全だから。
世界は基本的に危うい場所だから、他人と一緒にいるのは少し怖い。
基本的に危うい世界の中で、大事な家族や恋人をどう守るか、というハリウッド映画のテーマは、だからとてもシンプルでわかりやすいのですね。
それにしても、あんたたち、あまりに利己的で独善的じゃないの? とも思います。
エイリアンや敵だからといって、むやみやたらに撃ちまくるのはどうかと思うよ。
彼らだって、誰かの恋人や家族だろうに・・
話を「フリンジ」に戻します。
シーズン5では驚くべきことが次々と起きます。
オリビアとピーターの娘も登場し、また、あのセプテンバーも重要人物として登場してくるのですね。
セプテンバーには驚かされました。
ハンサムで、ちょっと陰のある魅力的な俳優ですね。
遡って見てみると、監視人たち(特にセプテンバー)は至る所に登場しています。
ピーターたちの監視人への挑戦も、よくあるアクションリベンジものではなく、
考え抜かれたものでした。
なるほどねえ。
でも、あの時間軸のオリビアとピーターたちはどうなっちゃうんだろう?
それに、セプテンバーのいない世界でピーターは果たして生き残れるの?
パラレルワールドでは何が進行していたの?
疑問も多々あります。
映画化の噂もあるみたいなので、
ぜひ、映画化してほしいと思います。
さて、全部見終えてしまったけれど、第一話からもう一度見直してみようかな。
どうやら、松果体の劣化は避けられないようです。
せめて、英語脳を鍛えてがんばるとしますか。