考えてみれば、人間は究極のミニマリストとして生まれ、究極のミニマリストとして死んでいくわけです。
あの世に持っていけるものは何一つない。
猫(動物)は何ひとつ持たずに生きています。猫に所有という概念はない。
(もしかすると、飼い主を「所有」していると思っているかもしれないけど・・)
その点、人間は何て欲深だろうか。
聖書に「汝、盗むなかれ」という言葉がありますが、あれは「所有」を前提とした言葉ですね。
「所有」がなければ「盗み」もないわけで。
《ちなみにカトリック教会・ルーテル教会の「十戒」の 6番目以降は以下のような感じ。
6,盗んではならない。
8,隣人の妻を欲してはならない。
9, 隣人の財産を欲してはならない。(wikipediaより)
どうやら「隣人の妻」と「隣人の財産」は同格みたいで・・
また、旧約聖書では、イブがエデンの園の知恵の樹の実を「盗んだ」ことから人類の歴史が始まったようですが・・》
最近読んだハラリの「サピエンス全史」によると、太古の人類は狩猟で生計を立てており、最小限のものしか持たず絶えず移動しながら生活していた。
そこへ「認知革命」が起きます。
人々は複雑な言語を操り「物語」を作って、それを信じこませることにより、集団を形成し、
「農業革命」が起き、定住を始め・・
「宗教」という「物語」が生まれ、
「貨幣」という神に支配され、「私有財産」という「物語」によって、富める者とそうでない者の分断が起き、
やがて「共産主義」「資本主義」「民主主義」「帝国主義」等々という「物語」が生まれ、
そして「科学」という「物語」も生まれた。
まあ、大雑把に言えばそんな感じかな。
(「サピエンス全史」を全面的に肯定しているわけではないけど、この本めっちゃ面白いので。「サピエンス全史」という「物語」がね)
ところが、
最近の若者たちは、新たな「物語」を作りだそうとしています。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
というあの宣言です。
「所有」こそが豊かさの象徴であった時代から、「モノを持たない暮らし」へのシフト。
「所有」という「物語」から「持たない」という「物語」へのシフト。
「所有」を手放す、ということは、つまり、「執着」を手放すということです。
「スター・ウォーズ」の中でヨーダがこう言っています。
Train yourself to let go of everything you fear to lose.
(失うことを恐れるようなものは全て手放せるよう自身を鍛えるのじゃ)
Fear is the path to the dark side...fear leads to anger...anger leads to hate...hate leads to suffering.
(恐怖はダークサイドへの入り口だ。恐怖は怒りへと導き、怒りは憎しみへと導く、そして憎しみは苦しみへと導くのだ。)
所有は執着を生み、
執着は失うことへの恐れを生み、
恐れは怒りを、
怒りは憎しみを、
憎しみは苦しみを・・
とどんどんダークサイドに堕ちていくというわけ。
ヨーダに限らず多くの賢者たちが同じことを言っていますね。
「所有」を手放したとき、
全然ちがう景色が見えてくるかもしれない・・
捨てればいいのです。簡単なことです。
でも、全然簡単じゃない。
私たちは、たくさんのモノを失ってきた経験から、失ったものは二度と手に入らない、と学んできているからです。
失くしたらそれきり。二度と手に入らない。だから失くさないようにしないと・・
モノは(人も)大事にしないと、失ったら二度と戻らない・・
だから失うことを恐れ、必死で守ろうとする。
でも、今や地球は大変なことになっています。
人間の強欲のせいで、環境が破壊され、野生動物たちにまでしわ寄せがきている。
だから、もうモノを「所有」するのはやめにしようよ。
同時に、
「共産主義」「社会主義」「帝国主義」「資本主義」「・・主義」といった「物語」に執着することを手放し、もっと自由になろうよ。
彼らはそう言っているような気がします。
全く別の新しい価値観が生まれようとしている・・
そんな気がします。
モノに執着しない暮らしは、いたってシンプルで、
「命」そのものを見つめ、「今ここ」で生きることを大事にする・・
そろそろ「執着」を捨ててシンプルに生きようよ。
本当の豊かさは、精神的な豊かさによってこそ得られるものだからと、
ミニマリストになった若者たちは、人々に伝えようとしているのかもしれません。
そうはいってもねえ、捨てるのは難しいんだよね~