そうは言っても手放すのは難しい。
それが大半の人の思いだと思います。
手放してしまったら、二度と手に入らないかもしれない・・
たとえば、間違えて手放してしまった本を、また読みたいと思って再購入した場合、
なぜか再購入した本は前の本とは別モノだと気づいたりします。表紙や中身や版が全く同じだとしても。
以前、大好きだったマンガ「ホワッツ マイケル」シリーズを売ってしまい、すごく後悔してね、
もう一度読みたい、と思ってネットで中古本を再購入したのですよ。
ところが、何か違う。
私が持っていた「マイケル」と新しく購入した「マイケル」は、
中身は全く一緒なのに、何かが違う、違和感がある(中古だけどきれいな本でした)。
結局、読まずにお蔵入りしました。
あの感覚はすごく不思議だったなあ。
本に限らず、モノには何か所有していた人の印みたいなものが刻まれている気がします。
私が持っていた「マイケル」と再購入した中古本「マイケル」が違うように、
どんなモノにも、何かの印が刻印されていて、特に中古品の場合、違和感を感じたりします。
(他にも、インドのサリーの切れ端で作ったスカーフが素敵だったので購入したけど、結局使うことなく捨ててしまった、ということがありました。なぜか身に付けたくないと感じたので。古着は往々にしてそうですね。)
「出会い」というのは、一回性のもので、
人であれモノであれ、その時そこで、出会ったことが大事なのであって、似たようなシチュエーションで似たようなことを再現してみても、それは全く異なる経験である、という感じかな。
なので、モノを捨てるときは注意しないといけない。
とはいえ、そう考えるとモノは捨てられなくなるよね。
私が「マイケル」に抱いた思いは、あの時あそこで、の一回性のもので、だから捨てるという決断は別に間違っていなかったし、再購入する必要はなかったのだ、と後になって思いました。
(どんな決断も間違ってはいない、とも言える)
どんなに素敵な思い出であっても、再現したときは全く別のものに変化している。
つまり、再現する必要はないわけです。
(事件の現場検証とかなら別だけど・・)
で、気づいたのは「本」という紙媒体の場合はそうだけど、映画の場合はDVDだろうがTVだろうが配信だろうが変わりはない、ということ。
これって、やはりモノの持つ独特な手触りとか、モノそれ自体の記憶とかと関係しているのではないか・・
(こんまりさんの「ときめき」に通じるものかもしれない・・)
従って、紙の本は全部電子書籍にすればよい、という意見がありますが、
私は、反対です。
電子書籍にしたとたん、何かが変化する。
映画と一緒じゃないか、と言われるもしれないけれど、映画はもともと電子書籍と同じように電気的な仕掛けで動くものなので、紙の本とは別モノかと。
もしかすると、DVDのケースなんかには印がついてるかもしれないけど・・
これはまたいずれ考察してみたいテーマです。
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居間の押入れの片づけの続き。
上段のカラーボックスの中から長いこと忘れていた本を発見。
「ゴジラ・デイズ/ゴジラ映画40年史」
「ゴジラ大辞典」
「ゴジラ研究読本」
の3冊です。
私はゴジラ映画の大ファンでもありまして、ゴジラ映画は(子ども向けのちゃちな映画は数本飛ばしていますが)大体見ています。
考えてみると、「スター・ウォーズ」といい「ゴジラ」といい、
あんまり女性好みの映画じゃないよね。
近所に男の子しかいなかった幼少期の環境が影響していると思われますが、
それだけじゃなく、何か根源的なところで(無意識のうちに)これらの映画に惹かれるのだと思います。
このこともいずれ考察してみたいと思います。