外反母趾の手術をして、いろいろ気づいたことがあります。
一つは、手術には直接関係ないけど、この歳(現在73歳)でよかった、ということ。
歳のせいか傷の治りも遅いのですが、基本的に年金生活なので(超ギリギリですが)時間がたっぷりある。
週に何度か日本語レッスンをしたり、英会話に行ったり、エッセイを書いたり、ジムに通ったり(今は休み)といった程度。
歳を取るというのは、悪くないです。
時間がたっぷりあるし、先が見える。
どう考えてもあと30年は生きられないだろうし、20年もかなり無理。
10年かせいぜい15年も生きられれば、御の字。
なので見通しが利くのです。
私の父は87歳で他界しましたが、85歳を過ぎたあたりで、
「50からこっちはあっという間だったな」
と言っていました。
まだ50になったばかりの私は、「ウッソー!」と思ったものですが、
今となってはよくわかります。70代になって、時間のたつのがやたら速い。この分だとあっというまに100歳だよ、と思います。
なので、10年前はつい昨日、20年前は先月くらい、になってくるのは当然でしょう。
残り時間をいかに過ごすかが超重要課題。
残念ながら、同世代の人たちの中にはしっかり自覚していない人がけっこう多い、とも感じます。
老いを自覚して、歳相応に振る舞え、というのではありません。
無自覚なまま老害をまき散らすな、ということでもありません。
「老い」というのは、来し方行く末をじっくり考える時間なのだと受け止めると、残り時間の大切さが身に染みてわかってきます。
つまり、「老い」は人生最後の大きな贈り物でもあるのだと。
この時間を与えられずに若くして逝った友人たちのことを思い出します。
彼らが今も生きていたら、どんな話をするだろうか、彼らならどんな風にこの時期を生きるだろうかと。
そして、彼らが得られなかったこの時期を私は迎えることができている、それは何と豊かな贈り物であるだろうかと。
もちろん、日々の生活には苦痛もあるし悩みもあります(隣家の煙害とか、足の痛みとかね)。
それでも、大筋は幸せな老後であるような気がします。
そのことに感謝したいと思っています。
でも、世界は今やとても不安定で、この先何が起きるかわからない、
という不安はもちろんあるし、
おもいがけず100歳まで生きることになってしまったらどうしよう・・
というのもあります。
でもまあ、それはそのときにまた考えよう、と思っています。
考えられれば、の話ですが。
何歳になっても、気分は若くありたいものです。
ご同輩の皆さん、
「老い」を人生の残り時間を豊かに楽しく過ごそうではありませんか!
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