越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ロベルト・コッシーのキューバ紀行ーー2015年(1)キューバ人は、辛いものが苦手?

2015年10月02日 | キューバ紀行

(写真)ユッカ芋の料理(友達のグアヒーロとロサ)

キューバ人は、辛いものが苦手?

越川芳明

 キューバでいちばん驚いたのは、辛い食べ物が苦手な人が意外と多いということだ。

 かつて私はメキシコをあちこち歩きまわり、トウガラシを使った辛いサルサソースに慣れ切っていたのかもしれない。「郷に入れば郷に従え」で、トウガラシ料理ばかり食べていたおかげで、一時期気管支をやられて、声が出なくなったこともある。

 コミダ・クレオーリャと呼ばれるキューバの家庭料理は、コングリ(小豆の入った炊き込みご飯)に、フリホル豆のスープ、豚肉か鶏肉からなる素朴な料理だ。野菜はあまり食べない。せいぜいキャベツの千切りとかトマト、キューリぐらいだ。それでアビチュエラというインゲン豆を天ぷら料理に使ってみたら、キューバ人たちから、まるでトランプの中から鳩を出したかのように、驚かれたことがある。

 ともかく、キューバ人は全体的に甘い味付けが好きなようだ。砂糖があらゆるキューバ料理や飲料水に入っている。エラドと呼ばれるアイスクリーム、バティドと呼ばれるフルーツの生ジュース、エスプレッソで飲むコーヒー(クリームは入れない)、ポタへと呼ばれる豆スープ、グアラポと呼ばれるサトウキビの搾り汁。持参したティーバックで緑茶を淹れてやると、彼らは必ず砂糖をたっぷり入れて飲む。

 師匠の新しいパートナーが「辛いものを食べると血圧が急激にあがって」と、私に弁明するが、甘いものだって食べすぎは危険なのだが・・・。ハバナのベダド地区を歩くと、ジャラという映画館の前の公園に、コッペリアという有名なアイスクリーム店があり、いつもハバナッ子が長蛇の列をなしている。

 日本の農畜産業振興機構が作成した興味深い統計がある。国別に、国民一人当たりの砂糖の年間摂取量(2015/16年)を調べたもので、それによると、キューバが世界一である。一人が七一キログラムの砂糖を消費している。一日に換算すると一九四グラム。コーヒーシュガー(四グラムに換算)にすると、一日に四八個分。これはカロリーで言うと、吉野家の牛丼大盛り(七五〇キロカロリー)一杯分にあたる。

 ちなみに、日本人は一八キログラムと少ない。コーヒーシュガーで一日一二個(四九グラム、一八〇キロカロリー)。カロリーで言うと、女性用の茶碗にご飯一杯程度にすぎない。

 というわけで、病気のことが気になる。とりわけ糖尿病だ。IDF(国際糖尿病連合)によれば、世界には、二〇一四年現在、成人(二〇歳~七九歳)の糖尿病患者が三億八千七百万人いるという。キューバの場合、成人の糖尿病患者は七〇万人である。これはキューバの全成人の八・四パーセントで、世界平均(八・三パーセント)をやや上回る程度。とはいえ、実際に街で見かける中年女性は、みなお腹がふっくらしていて、糖尿病患者予備軍のように思える。ちなみに、日本は七・六パーセントで、それほど多くない。

 キューバに行けば、私はキューバ人と同じラム酒を飲み、同じ食事をとることにしている。だからではないだろうが、ここ数年は、健康診断のたびに糖尿病の数値が高い。

 糖尿病の初期の頃には、症状が表に現われないことや、身近に医療施設や安価な薬がないこともあり、世界の患者の半数近くが治療を受けていない。

 だが、キューバでは、未治療患者は二・三パーセントしかいない。日本は四パーセントだから、いかにキューバ人は医療の恩恵に浴しているか、この数字だけでも分かるかもしれない。ちなみに、キューバは社会主義国で、医療は無料である。

(参考)

統計 国民一人あたりの砂糖の年間摂取量

①    キューバ・・・71kg

②    ブラジル・・・65kg、

③    グアテマラ・・・63kg

④    オ—ストラリア・・・60kg

⑤    ベルギー・・・56kg 

参考:日本・・・18kg

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キューバの太鼓儀礼(タンボール)

2015年04月10日 | キューバ紀行

死者のいる風景--キューバの太鼓儀礼  越川芳明

(エレグアのための太鼓儀礼)

キューバの各地を放浪していて、黒人信仰(サンテリア)の太鼓儀礼(タンボール)を初めて見たとき、これだ!と思った。

ハバナの街なかで知り合った男に、マンションの上階の部屋に連れていかれた。玄関を入ると、すぐに居間がある。部屋の奥に作られた祭壇には、紅白の幕が張られ、緑の布が飾られていた。後で分かったことだが、祭壇の色にはすべて意味がある。緑色は大自然を象徴するだけでなく、鉄を司る<オグン>という神様のシンボル。白色は法や秩序を司る神様<オバタラ>のシンボルといったように。オリチャと呼ばれる神様には顔がなく、色や数字で神様たちを表わす。  

太鼓儀礼では、必ず最初の「演(だ)し物」は神様に捧げる。三人の鼓手は祭壇の神様に向かってすわる。歌も歌わずに、ひたすら太鼓を打ちつづける。どの神様に捧げるかによって打ち方は違うが、素人にはよく分からない。  

三個の太鼓(バタ)は、それぞれ名前が異なる。いちばん大きいものはイヤ(アフリカのヨルバ語で「母」という意味)といい、基本となるリズムを刻み、曲をリードする。これにはぐるりと幾つもの鈴が巻きつけられていて、優雅な装飾音をつけ加える。中くらいのはイトトレ(「下で従う者」という意味)と呼ばれ、「母」と音楽的な対話をおこなう。いちばん小さいのはオコンロ(「小さい、若者」という意味)で、前二者のリズムに対して複雑な弾みをつける。  ある学者によれば、<アチェ>というエネルギーを起こすのが太鼓の役目であり、そのエネルギーによってあの世の魂をこの世に呼び込み、生者たちと交流させるのだという。だから、太鼓儀礼は、生者と死者の「交歓会」ということになる。日本のお盆みたいに、死者の霊がやってくるのだから。  

アウンバ ワオリ アウンバ ワオリ  アワ・オスン アワ・オマ レリ・オマ レヤボ  アラ オヌ カーウェ    

<エグン>と呼ばれる死者の霊を呼び出す歌である。

「アウンバ ワオリ アウンバ ワオリ」と、リードボーカルの司祭がヨルバ語で歌うと、大勢の参列者が「アウンバ ワオリ アウンバ ワオリ」と唱和する。西洋音楽でいう「カノン形式」だ。これは北米の黒人教会の「ゴスペル」でも見られる特徴である。  

アフリカ起源の音楽には、演奏家と聴衆の境界がない。音楽は、かしこまって聴くものではない。聴衆も歌や踊りで参加するのだ。  

僕はこれまでに何度も太鼓儀礼の席で、神様の霊や先祖の霊が踊っている人に憑依するのを見た。生者はその場で自分の人生をリセットして、これから生きていくための英気を得る。太鼓儀礼は趣味や鑑賞のためにあるのではない。アフリカから拉致された黒人奴隷とその子孫たちが白人主人たちに隠れてひそかに継承してきた、生存のための知恵にほかならない。

(明治大学経営企画部広報課編集『M Style』Vol.73, May 2015,p.16)

(左)秘儀である修行をおこない黒人信仰の司祭Babalawoになる。(右)司祭として、道具を使ってIFAの占いをする。

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幻のキューバ サンティアゴのブルへリア(四) 

2013年06月06日 | キューバ紀行

幻のキューバ 

サンティアゴのブルへリア(4)      

  越川 芳明 

 

 エスペランサの叔父の家は、薬草類を売っているあのブルへリア通りの近くにあった。

 中央に遊歩道が走っているマルティ大通りから、古ぼけてデコボコ道のラトウル大通りの鬱蒼(ルビ:うっそう)とした緑の並木道を歩いていくと、そびえている大木の下で、大柄で、見るからに実直そうな顔をした男(キューバでは、親しみをこめて「グアヒロ」と呼ばれる)が、即席の台の上に野菜を広げて売っていた。まだ赤くないトマト、ニワトリの卵みたいに小さなタマネギ、料理用の青いバナナ(プラタノ)などが、まるで骨董品みたいにまばらに並んでいた。

 きょろきょろしている私と眼と眼が合い、グアヒロはおどけるように言った。サッケ! サッケ! 

 裂け!裂け!と、命令されているように聞こえたが、私のまわりには引き裂くべき紙や布などはない。

 ひょっとして動詞「サカール」と関係があるのだろうか? 「サカール」という語には「受け取る/引き出す」という意味がある。ここに並んでいる野菜を「おれが畑から取ってきた/引き出してきた」と、言っているのだろうか?

 怪訝そうな顔をしている私を見ると、グアヒロは、トマ・サッケ・ウステッ? と、スペイン語の単語を一つずつゆっくり発音して言った。直訳すれば、「飲みますか、日本酒を、あなたは?」となる。でも、彼の言いたいのは、ひょっとして——

 日本酒を持っているならば、飲ませてくれ。

 ふと彼の真意を察した私は、自分が飲むのはアグアルディエンテ(サトウキビ焼酎)だけだよ、と言った。グアヒロは両手を挙げて、驚いた仕草をした。それから、首を振りながら笑った。まるでお前はイカレているよ、と言いたいかのように。

 私はブルへリアのロドリゴの家を知っているかどうか、訊ねてみた。

 グアヒロはコンクリート製の狭い門を指差して、二軒めがそうだと答えた。

 私が門をくぐり抜け、屋根のない狭い通路を歩いていくと、ひとつづきの長屋のような家が並んでいた。二軒めの軒先に立つと、ドアはなく中は暗かった。

 まだエスペランサは来ていないようだ。

 朝早く民宿にエスペランサから電話があった。急用ができてしまったので、三時頃に直接、叔父の家に行ってほしい、と彼女は言ったのだった。場所はマルティ大通りをくだっていって、マリア・デ・グラハデスの銅像のあるところから右手に少し行ったところよ。そうエスペランサは付け加えた。

 ブエノス・タルデス。

 私は物音ひとつしない暗闇に向かって、そう声をかけた。

 何の返答もないので、今度はやや大きな声で、同じ言葉を遠くの暗闇に放った。しばらくして奥のほうから、まるで幽霊のように音を立てずに、人影がゆっくりと現われた。

 私はお化け屋敷に迷いこんだかのように気味が悪くなり、敷居を跨ぐ前に、その人影というより、むしろ自分自身に言い聞かすように言った。

 ソイ・アミーゴ・デ・エスペランサ。

 人影が近づいて来て、ふくらみのある女性の声で、私に中に入るように促した。少し目が暗闇に慣れてくると、その声の持ち主が小太りの中年女性であることが分かった。着古した質素なワンピースを着ていた。

 敷居の向こうは居間になっていて、右手にはゆり椅子が三脚並んでいた。椅子の反対側には、つまみを廻してチャンネルを切り替える旧型のテレビが置いてあった。

 女性が勧めてくれたゆり椅子は、かなり古くてソファの部分に四角い板が敷いてあった。そもそも居間も地面が剥きだしだった。でも掃き清められていて、塵ひとつない。

 女性は、こちらからは見えない奥のほうにコーヒーを淹れにいった。

 しばらくして、かぐわしいコーヒーの香りと共に、デミタスカップに入ったエスプレッソが運ばれてきた。

 そこでようやく、彼女はロサと名乗った。

 エス・デ・サンティアゴ・ウステッ? と私は訊いた。

 ノー、デ・ドス・パルマス。エネル・モンテ。

 ムイ・レホス・デ・アキ?

 シィー、ムイ・ムイ・レホス、と彼女は言いながら微笑んだ。

 ロサは、褐色のムラータだった。露天の野菜売りの青年と同様に、純朴な女性(ルビ:グアヒラ)で、柔らかい落ち着いた喋り方をした。

 そうした飾らない喋り方から、彼女がドス・パルマス(二本のヤシの木)という、サンティアゴから三十キロぐらい内陸に入った大自然の中で育ったことを誇りにしているのが分かった。

 

 グアンタナメラ グアヒラ グアンタナメラ 

 グアンタナメラ グアヒラ グアンタナメラ 

 ヨ・ソイ・ウナ・ムヘール・シンセラ 

 デ・ドンデ・クレセン・ラス・パルマス 

 

 砂糖の入った甘いエスプレッソを啜りながら、レースのカーテンで仕切られた奥の部屋に目を凝らすと、そこには簡単な祭壇があった。

 私は祭壇を見てもいいかどうか、ロサに訊いた。彼女は、何の問題もないと言うかのように、そっと頷いた。

 レースのカーテンの向こうの部屋には、エスピリティスモの祭壇があった。エスピリティスモとは、キューバにおけるアフリカ系の先祖信仰がヨーロッパの降霊術を取り入れて、独自の発展を見せたものだ。

 ブルへリアが取り仕切るエスピリティスモの儀礼として、太鼓や鉦を使った歌と踊りによる厄除けのベンベイや、死者の命日に家族の者たちが手をつないで円形になり、反時計まわりに足を踏みならしながら歩く憑依儀礼のコルドン・エスピリツアルなどがある。

 そうした儀礼では、聖者や死者の霊が舞い降りてくる。とくにコルドンでは、つないだ両腕を波のように振りながら、単純なお祈りの歌をくり返しているうちに、参列者の誰かに死者の霊が乗り移る。

 霊に乗り移つられた人は「馬」と称され、「馬」はその霊にふさわしい踊りをする。それが死者の霊であれば、「馬」は死者の言葉を喋る。いわゆる「口寄せ」である。それらの言葉は、しばしば常人には理解しがたく、通訳が必要となる。通訳がいちいち「馬」に確認して、死者の真意を対象者(依頼人)に伝える。

 ロドリゴのブルへリアの祭壇は、エディタのそれと違ってあまり飾り気がなかった。それでも、カトリック教会の表象を取り入れた折衷様式は同じだった。

 祭壇にはイエスの写真のほかに、聖ラサロや聖女バルバラなど、キリスト教のフィギュアやイコンが並ぶ。それと同時に、ピンクのグラジオラス、赤い薔薇、白いアスセナなどの花や、ベンセドーラやアルバカなどの薬草類、アノン・デ・オホやペレヒルなどの緑葉が祭壇を多彩に飾る。その他に、ロウソク、聖水の入ったグラス、香水、サオコなどの儀式の道具が並び、アフリカの黒魔術的な要素がたっぷりまぶされている。

 とりわけ興味深いのは、祭壇の後方に「インディオ・カリベ」と呼ばれる黒い肌をした先住民のフィギュアが直立していることだった。黒人と先住民の混血で、アメリカ・インディアンの酋長ように、頭から腰までがすっぽり羽根飾りで覆われ、片手に槍を持っていた。インディオ・カリベは、十六世紀にスペインの征服者たちに抵抗したタイノ族の族長ハトウェイに象徴されるように、強き者に対して信を曲げない頑固な性格ゆえに、キューバの黒人たちには人気の神様だ。

 私が祭壇の飾りつけをノートに走り書きしていると、一人の女性が、ブエノ? と優しく挨拶の言葉をかけながら家の中に入ってきた。

 私はびっくりした。

 二年前に初めてエル・コブレでベンベイを見たとき、私はホルヘの許可を得て、精霊に乗っかられた「馬」の写真を撮ったが、この老女に、見得(ルビ:みえ)を切る歌舞伎役者さながらの目付きで恫喝(ルビ:どうかつ)されたのだった。そのときは、ホルヘがあいだを取り持ってくれ、打ち解けた老女と一緒に記念写真を撮ったが、あとで現像してみて、その射抜くような眼力(ルビ:めじから)に改めて圧倒されたものだった。

 でも、どうしてここに?

 私が不審がっていると、老女は自分がグロリアという名前で、ロドリゴの姉だと言った。

 そうこうするうちに、エスペランサがやってくる。娘のマグダレーナも一緒だった。

 あたしの母よ。彼女もブルへリアなの。

 エスペランサがそう老女を私に紹介した。

 私はまたもやびっくりした。この老女がエスペランサの母だったとは。

 と同時に、すべてが腑に落ちた。老女のあのときの眼力も、私への怒りも。

 あのときの怒りは、個人的なものではなく、死者の霊が憑依したブルへリアとしてのそれであり、死者の声を代弁するものだったのだ。

 老女はさっそく娘や孫娘と一緒に祭壇を整えたり、ロウソクに火を点けたりして、準備を始めた。

 それまで儀式の気配など微塵もなかったのに、まるで爆弾の導火線に火が点けられたみたいに、一斉にすべてが動き出した。

 依頼人の若者は、二十五歳ぐらいの白人の青年だ。エスペランサによれば、仕事も家庭生活もうまく行かなくなって、という話だったが、それ以上の詳細は分からない。エスペランサの叔父によって先祖の霊を呼び出してもらい、その解決策を聴くのだという。きょうの儀式はベンベイともコルドンとも違うが、憑依(ポゼッション)が絡むことだけは確かなようだ。

 いつの間にか、エスペランサの叔父が部屋の中にいた。ロドリゴは痩せて長身で、黒光りする顔には賢者を思わせる深い皺が刻まれていた。エスペランサが私のことを叔父に紹介して、あらかじめ写真撮影の許可を取ってくれた。だが、私は写真に頼るのではなく、できるかぎり自分の目に記憶させようと思った。

 ブルへリアのロドリゴと白人青年を取り囲むように、老女グロリア、ロサ、エスペランサ、マグダレーナの女性たちが祭壇の前に立つ。ロドリゴがグラスに入った聖水で首飾りを浄(ルビ:きよ)め、油の入った缶に火を点けた。炎が精霊たちを呼び寄せるからだ。

 ロドリゴは緑色の頭巾をかぶる。それから、左手に緑の葉をつけたロンペサラウェイやペレヒル、ピニョンなどのガホスの束をもち、一座を浄める。サトウキビ焼酎を口に含み、祭壇の前の道具類に向かって吹きかける。それから、葉巻を咥(ルビ:くわ)えて火を点け、火の点いたほうを口に中に入れ、いったん煙を吸い込んでから道具類に吹きつける。手鈴(ルビ:カンパーナ)とマラカス(ルビ:チュクレ)を鳴らし、精霊たちを召還する。

 依頼人の若者は、祭壇の前の莚(ルビ:むしろ)に座っていたが、立ち上がる。

 ロドリゴが歌を歌い始める。女性陣がロドリゴの告げる歌詞を繰り返す。

 言葉はスペイン語が基調の、単純で力強いクレオールだ。冠詞や名詞の語尾にある複数形のSが発音されずに、ロスではなくロ、イホスではなくイホ、ノスではなくノと聞こえる。

 

  ペディール・オラール・ポル・エル・サンティシモ

  オラモス・ポル・エル・サンティシモ

  オラール・エス・ペディールレ・ア・ディオス・ケ・

  ノ・プロテハス・ア・ロ・イホ・デ・エスタ・ティエラ

  ペディールレ・ケ・ノ・リンピエス・エル・カミーノ

 

  至上の聖者に 願い 祈ります

  至上の聖者に 私たちは祈ります

  祈るのは 神さまに願うこと

  この地球上の子どもたちを お守りくださることを

  頼みます 私たちのために道を浄めてくださるように

 

  祈ります 祈ります

  エレグアの子どもたちは 祈ります

 

  この母は あなたがたに 祈るよう願います

  ラ・ビルヘン・デ・ラ・カリダー(慈悲の聖母)に 願います

  エレグアが 道をあけてくださるように

  祈るすべての子どもたちのために(1)

 

 歌が終わるたびに、ロドリゴはサトウキビ焼酎を瓶から飲み、葉巻を咥える。一座の者もグラスに入った焼酎をまわし飲みする。老女グロリアは祭壇の葉巻を一本手に取ると、ロウソクで火を点け、すぱすぱと喫(ルビ:す)って、あたりに煙をまき散らす。

 ときには、エスペランサが音頭を取って、歌を始めることもある。

 

  ルクミ ルクミ 私は コンゴ ルクミ

  ルクミ ルクミ 私は コンゴ ルクミ

  私はコンゴ ルクミ 私はコンゴ ルクミ

  私はコンゴ ルクミ 私はコンゴ ルクミ

  ルクミ ルクミ(2)

 

 サトウキビ焼酎の酔いも手伝って、何曲も歌っているうちにだんだんその場が熱を帯びてくる。葉巻の煙が漂う薄暗い部屋に、ロウソクの灯りだけが揺らめく。その灯りを見ていると、赤い風船のように大きく膨れたり小さく縮んだりする。

 すると、ロドリゴがいきなり頭部と上半身を震わせて、何かに取り憑かれたかのように落ち着きがなくなり、老女がすばやく彼の身体を両腕で支える。

 依頼人の青年がそばに呼ばれる。死者の霊に囚われたブルへリアは、青年の顔を見据え、低くくぐもった声で何ごとかを呟(ルビ:つぶ)く。ただちに老女があいだに入り、青年の耳もとで通訳した。そのたびに青年は軽く頷(ルビ:うなず)く。

 私には何を言っているのか分からなかった。もっとも、私などに分かる必要もなかった。青年だけに貴重な言葉なのだから。

 老女グロリアが哺乳瓶に入った香水をロドリゴの首の襟足あたりに吹き飛ばすと、ようやく彼は正気を取り戻す。

 それから、ロドリゴは、私を含めて一座の者たちを全員、祭壇の前に呼び、一人ずつガホスの束で頭から足まで身体を浄めて、お祓(ルビ:はら)いをした。

 儀式が始まってから、ゆうに二時間は経っていた。なぜか、私はスポーツをしたときのように、すがすがしい疲労感を感じていた。この非日常的な空間の中で、依頼人の青年だけでなく、誰もが人生をリセットしていたのだった。(つづく)

 

(1)この歌には、アフロ信仰とカトリック信仰の両方の神さま(エレグアと慈悲の聖母)が出てくる。エレグアはアフロ信仰の精霊の一人で、家の玄関や交差点を根城にして、人々に幸運や不運を、旅の安全や事故をもたらすと言われている。アトチャの聖フランシスコをはじめ、カトリック教会の何人かの聖徒と習合している。アフロ儀式は、エレグアに捧げる歌で始めることが多い。

 一方、慈悲の聖母とは、エル・コブレのカトリック教会に祀られている褐色の聖母のことだ。出産や黄金を司る、アフロ信仰の女神オチュンと習合している。

(2)ルクミは、西アフリカの現ダホメ共和国出身のヨルバ語系の人々。コンゴは、中央アフリカ出身のバンツー語系の人々。ともに、奴隷貿易でカリブ海に連れてこられたディアスポラの民で、言語も文化も違う人々だ。カリブ海の植民地の奴隷として、サトウキビ畑や鉱山で働かされてきたが、サンティアゴをはじめとするキューバ東部ではコンゴ系が多い。

 

(『四重奏』第4号(2013年6月5日)2−9頁より)

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8月2日(木)のつぶやき

2012年08月03日 | キューバ紀行
22:19 from web
いま発売中の『週刊現代』(8月11日号)に、中村文則の新作『迷宮』についての書評を書きました。この作家の作品は、去年、『王国』の書評を文芸誌『新潮』に書かせってもらって以来です。

22:32 from gooBlog production
これまで知らなかった作家だが、自虐のユーモアが面白い。 blog.goo.ne.jp/nekonekoneko_1…

by roberto410 on Twitter
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「美しい島」

2012年03月06日 | キューバ紀行

おかまのデニスに連れていってもらったハバナのゲイバーの

スクリーンに、マドンナの「美しい島」スペイン語で、La Isla Bonita (イスラ・ボニタ)

のMTVビデオが流れていた。

そのとき、ふと「美しい島」とは、キューバのことなのか、と思った。

 

 

こちらで歌っているのは、最初は中南米の歌手かな、と思ったが、

alizee アリゼという、85年生まれのコルシカ島出身のフランス人歌手らしい。

最後に発する「メルシ!」でわかった。

マドンナより若いし歌もうまいかもしれない。

マドンナのカリスマ性や妖婉さはないが、若さとセクシーさはある。

<!-- マドンナ -->

 

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ハバナの12月(6)

2012年02月17日 | キューバ紀行

 夕方には、セントロから45分くらい満員のバスに揺られて

 郊外のマリアナオ地区に行き、

 ガビーの「代理娘」(守護霊がオチュン)である若い女性のために、

 ごみで汚れた川のそばでオチュンに雌鳥の血を捧げる儀式をした。

 生け贄にした雌鳥はそのまま川にながして、持ち帰らなかった。


 これが、ほぼ一週間の出来事である。

 はたして、あの「死者たちに捧げるカホン」の夜に、

 サンテロが死者の霊に代わって私に語ってくれたことは、真実なのだろうか。

 ーーー将来にわたって、おまえには金が儲かる仕事が入る。 


 キューバにはこういう諺がある。

 「真実は、嘘つきが語ったものでも、なんとも信じがたいものだ」と。

 真実とか嘘とか、そうした二分法にとらわれるとハムレットのように解決策のない泥沼におちこむ。

 真実であれ嘘であれ、ともかく私はあのサンテロのことばを信じることにして、 

 先祖の霊にろうそくと花を捧げることにした。(了)

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ハバナの12月(5)

2012年02月16日 | キューバ紀行

 その翌日には、朝に家の居間で、遠くスペインにいる「娘」の母からの依頼で、

 娘の守護霊であるオチュン(愛や出産や黄金を司る)に動物の血を捧げる儀式があった。

 若い司祭であるガビーの息子クーキ(二十二歳)も参加して、部屋の一角にゴザを敷き、

 オルンミラという占いの盆でひと通りイファの占いをおこなってから、雄鶏3羽と雌鳥1羽を生け贄にした。

 それらの血をオチュンのカスエラ(容器)に捧げ、その後、カスエラの上に大皿を乗せ、

 パンとカカリヤと呼ばれる白い粉をまぶしたパンを添え、ろうそくを灯して1週間ほどオチュンに祈りを捧げるのである。

 (つづく)


 

 


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ハバナの12月(4)

2012年02月15日 | キューバ紀行

 翌日の夕方には「死者たちに捧げるカホン」の憑依儀式があった。

 打楽器のカホンや鉦の音、ラム酒や葉巻に誘発されて、神がかりになる人が続出した。

 儀式の最後のほうで、儀式をとりしきっていたサンテロ(司祭)彼自身が死者の霊に取り憑かれている様子で、

 いきなり私を中央に引きずりだした。

 皆が取り囲むなかで、私のめがねを乱暴にはずし、死者たちの口伝をほどこした。

 現在の仕事のほかにもう一つ仕事をやっているか、と訊く。私のマドリーノのブランカが必死で通訳する。

 ろれつがまわらないので、通訳が必ず必要になるのだ。

 シ、シ、シ(はい、はい、はい)。

 私も慌ててそう応じると、現在か将来においてそうとう金が儲かるという。

 そのためにも、亡くなった祖父のために花やろうそくや線香を捧げる必要がある、とサンテロは付け加えた。

(つづく)


 

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ハバナの12月(3)

2012年02月14日 | キューバ紀行

 だが、玄関から入った突きあたりの壁に、死者の霊に捧げる「ボベダ・エスピツアル(精霊ボベダ)」が飾られていた。

 小さなテーブルの奥の方に、赤い服をまとった黒人の人形が鎮座しており、葉巻が添えられている。

 面白いのは、宗教的な混淆をしめすかのように、中央の聖水の入ったコップの中には、磔のイエスの十字架が入っている。

 その他の聖水入りのコップにはバラの花が入っている。

 中央の大きな花瓶には、薄いピンク色のグラジオラス、小さいひまわり、香りのよい白いアスセナ、緑のアルバカ、紅色のバラなど、色とりどりの花が飾られていた。

 壁に飾られたアレカと呼ばれる扇状の葉や、セドルの小枝と葉が鮮やかな緑の森を演出していた。

(つづく)

 



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ハバナの12月(2)

2012年02月13日 | キューバ紀行

 

 12月4日(土)が聖女バルバラの日であることもあり、その週末には行事が相ついだ。

 カトリックの聖女バルバラは「ルクミ」のオリチャ(守護霊)の一人である雷・火・太鼓などを司る「チャンゴ」と習合している。

 守護霊が「聖女バルバラ(チャンゴ)」であるガビーの腹違いの妹イリス・カリダーの家で、夜遅くまでフィエスタがあった。

 そこは対岸の街レグラやカサブランカへ向かうフェリの渡しがあるハバナ湾のちかくにある集合住宅。

 黒木和夫監督の映画『キューバの恋人』(1969年)で、若い頃の津川雅彦がハバナの街で引っかけた(と思った)女性を訪ねていくアパートによく似ていた。

 四階の部屋の入口に立っていると、洗濯物が干してある中央の吹き抜けの部分を、テレビの音や、

 誰かが人を呼ぶ声などにまじって、他の部屋で行なわれているタンボールの演奏や歌声が、

 まるで火山の噴火のように勢いよく下から突きあげてくるのだった。

 フィエスタの前に、チャンゴに捧げるタンボール(太鼓)の儀式があるという。

 ガビーの妹の知り合いの家に行ってみると、演奏はバタと呼ばれるルクミの儀式のための太鼓ではなく、

 カホン(木製の打楽器)と、へちまのような形のグラと、鉦だった。

 オリエンテ(キューバ東部)のやり方だという。

(つづく)


 

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ハバナの12月(1)

2012年02月12日 | キューバ紀行

 昨年の12月に新井高子が主宰する季刊雑誌『ミて』(第117号)に寄せたエッセイです。

「死者のいる風景(番外編)——−ハバナの12月」 越川芳明

  キューバのハバナに来てまだ2週間だが、12月は黒人信仰「ルクミ」(サンテリアとも呼ばれる)の儀式がそこかしこである。

 儀式といっても、キリスト教みたいにどこか決まった教会や礼拝堂でやるわけではない。民家の中でプライベートにおこなうので、伝手(つて)がないと入れない。

 私が泊まっているのは、ニューヨーク・シティのロア・イースト・サイドみたいに、道路はごみだらけで人でごった返すハバナの下町で「セントロ」と呼ばれる地区だ。

 カサ・パルティクラルと呼ばれる下宿を経営しているのはブランカという中年の白人女性で、夫のガブリエル(愛称ガビー)は「ルクミ」の司祭(ババラオ)だ。

 二年前の夏に「マノ・デ・オルーラ」という入門の儀式をおこなって、擬制の親子関係を結んだ。ガビーは私より二十歳ちかく年下だが、私の「パドリーノ(代理父)」である。

 私にとっては、まるで私塾に寝泊まりしているようなものだ。分からないところがあれば、すぐに「師匠」に訊くことができる。家で儀式があるときは、身近で見ることができる。

 夜遅くハバナに到着した日に直接訪ねていき、泊めてもらった。お土産の白いアディダスのスニーカーを渡して談笑していると、パドリーノが言った。

 「あさって、マノ・デ・オルーラがある。三日目のイファ占いだけど」

 ということは、きょう動物の生贄(マタンサ)の儀式をおこなっていたわけだ。何を屠ったのか訊くと−−−−

 「雄鶏を8羽」という返事だった。

(つづく)

 

 

 
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昨夜帰国。

2012年02月11日 | キューバ紀行

昨日、キューバから帰国しました。

昨年末に、ビザが失効。なんども事務所を訪れましたが、ビザの申請が遅々として進まず。

1ヶ月以上「不法滞在」に似たような状態になっていました。

はたして2月9日に出発できるかどうか、全然分からなく不安の日々を過ごしました。

が、ついに前日にビザがでて、キューバを出発することができました。

キューバのひどい官僚制を経験したこの件の詳細にかんしては、いずれエッセイか小説のかたちで書くつもりです。

 

 

 

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11月29日(火)のつぶやき

2011年11月30日 | キューバ紀行
06:01 from Tweet Button
Cuba Baseball Season Opens Nov. 27 - Havana http://t.co/YMPxK4i9 http://t.co/qWPDWS3C via @havanatimes
キューバじゃ日程すらも入手ままならない。カナダの空港で、調べた。
by roberto410 on Twitter
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しばらくお休みです。

2011年11月28日 | キューバ紀行

キューバに行って、調べ物や書き物をするので、すみません。しばらくこのブログはお休みです。

ネットはいまだに電話回線なので、

ランケーブルを持って行ってもつながらない。

WFiはハバナの高級ホテルに行けば、1時間1000円ぐらいで

できるのですが、

こちらの泊まる民宿にはそんなものはないのです。

地方にいったら、さらに状況はわるくなる。

というわけで・・・・。

でも、状況が許せば、ときどきアップいたしますので、よろしくお願いします。

出発前に、いろいろと短い原稿を書きました。

『新潮』1月号には、中村文則の新作『王国』の書評。

『すばる』1月号には、アルゼンチン映画の評。

『ブルータス』1月号には、初心者へのSFのすすめ。

などなどです。

 

 

 

 

 

 

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死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(12最終回)

2011年11月28日 | キューバ紀行

 

 私の中では、まずかったなという気持ちと

 いい映像が撮れたという気持ちが相半ばしていた。

 その日、宿に戻ると、

 カメラの中のメモリーカードに保存した画像や動画を

 ノートパソコンに移し替える

  作業をした。

 なぜか、ビデオで撮ったあの最後の儀式のシーンだけは取り込めない。

 その後も、

 毎日のようにメモリーカードの画像や映像をパソコンの中に取り込んだが、

 そのシーンだけは取り込めなかった。

 あるとき、私はカメラに保存してあったその動画をうっかり削除してしまった。

 私は、非常に落胆した。目の前が真っ暗になった。

 翌日、私は自分自身に言った。

 やっぱり保存してはいけないものだった、

 人に見せびらかすものではなかったのだ、と。

 後日、ホルヘが私にぼそっと言った。

 「こういうキューバの諺を知ってるかい。

 『オオカミと一緒に歩く者、吼え方を学ぶ(エル・ケ・コン・ロボ・アンダ・アプレンデ・ア・アウリャール)』って」

 私は、時間をかけて、ホルヘたちからその「吼え方」を学ぶことにした。

(『Spectator2011年秋・冬号)

 

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