越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

関西の沖縄人地区

2010年02月28日 | 音楽、踊り、祭り
大学の「文化継承学」というプログラムで、大学院生3人を引率して、大阪の沖縄人地区である大正区をフィールド調査しました。

平尾地区の商店街を見てまわり、アーケード街を抜けたところにあるそば屋で「ウチナーそば」を食べました。

折しもテレビ放映されていたオリンピック女子フィギュア-の決勝をみながら、一杯600円のそばで、2時間も「ゆんたく」をしてしまいました。

トークショー@青山ブックセンター

2010年02月13日 | 音楽、踊り、祭り
管啓次郎さんとのトークショー、無事終了しました。

5,6人ぐらいだったら、どうしようと思っていましたが、満員御礼で、ホッとしました。会場に来てくださった方々、ありが

とうございました。

ゼミの3年生や、大学院生もいっぱい来てくれ(動員をかけたからね)、おまけにすてきな花まで、もらってしまいました。

この花をくれた二人には、あとで二倍おごらねばならないでしょう。それから、バレンタインのチョコももらっちゃいまし

た(お義理かな?)。

管さんが、ニューメキシコのアコマ族の居住地(メサの上の)の写真を見せてくださると聴いていたので、僕は下地勇をはじめ

方言で情感を表現するCDをいくつか用意していきました。管さんは、空のきれいなニューメキシコのたくさんのプエブロ

インディアンの写真を見せてくださった。サボテン、グアダルーペの聖母、砂漠、トウガラシ、トウモロコシ、リオ・グランデ

など、いろいろと懐かしい風景がでてきました。

帰宅後、Dさんからメールをいただき、下地勇の「おばぁ」をユーチューブで聴いたとのことでした。

実は、トークのあと、初対面の若いDさんと話したのですが、かれは15歳か16歳のときに学校をやめて、パチプロをやっ

ていたとか。後に大検をとって大学に入り直し、こんどの4月から管さんのところ(理工学部)のデジタルコンテンツ研究科で

大学院生になるのだそうです(わぉ驚)。まだ若いのに、深みを感じました。

Dさんのブログは、http://hobo.no-blog.jp/train/

こんど僕のゼミの授業にきて、就活などで悩んでいる今時の学生に、いろいろと喋っていただきたいとお願いしました。

最後に、ユーチューブの絵いり下地勇の「おばぁ」です。宮古人の夫婦喧嘩をユーモラスに歌ったボーナス(おまけ)の部分も、いいです(笑えますよ)。









長野県天龍村坂部(さかんべ)の赤鬼

2010年01月06日 | 音楽、踊り、祭り
正月の4日から5日にかけておこなわれる坂部の冬祭りに行ってきました。

朝の5時頃に、赤鬼が出てきて、それを二人の男がたいまつで退治するという演し物もあり、厄除けの意味があるようです。

皆様がことし一年つつがなく過ごせますように。ぼくはインフルエンザが治りました。


管啓次郎さんとのトークショウ@青山ブックセンター(表参道)

2009年12月29日 | 音楽、踊り、祭り
旅の達人、文章の名人の管啓次郎(すが・けいじろう)さんとトークショウをすることになりました。

まだずいぶん先のことで、2月9日(火)の夜、場所は表参道の青山ブックセンターです。

管啓次郎さんは、先頃、『本は読めないものだから心配するな』という本を出されたばかりです。

詳細は、書店のホームページ http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_



死者のいる風景

2009年12月29日 | 音楽、踊り、祭り
死者のいる風景(第一話)
「仮装踊りの夜」(メキシコ・オアハカ編)
越川芳明

 メキシコでは、十月三十一日の夜から二夜つづけて「死者の日」のお祭りがある。その日は、ちょうど日本のお盆のように、先祖の霊が現世に戻ってくるので、お墓でお迎えするのである。

 僕は、最初の夜、定石どおりに、まるで超人気のバーゲンセールみたいに人で身動きが取れないオアハカ市内のサンミゲル墓地に行き、“砂絵のガイコツ(ルビ:タペテ)”の展示を見た。さらに、それから車で先住民の多い地区に向かい、まるで芋虫の行列のように縁日の屋台がいっぱい繰り出したホホトランの墓地を見物した。

 しかし、オアハカの「死者の日」の祭りは、お墓でばかり祝うとは限らない。僕はさらに中央オアハカ盆地を三十分ほど東に車で走ったあたりにあるサン・アウグスティン=エトラの村に向かった。夜を徹しての仮装踊りが見られると聞いたからだ。

 仮装踊りと行進は、真夜中すぎてからが本番で、高台の広場に設えられた舞台の上では、バンドの演奏や政治風刺の活劇など、さまざまな演芸が繰り広げられていた。

 夜中の十二時をすぎると、ようやく八、九人編成のブラスバンドに率いられた行軍が始まった。まず舞台に近いあたりから、エトラの各地区を訪ねてまわる。集会場で出迎えた婦人たちから温かい飲み物や酒をごちそうになり、集会場の前の小さな空き地で踊る。それが済むと、また山あり谷ありの真っ暗な夜道を歩いて、別の地区へ向かう。

 ブラスバンドは指揮者がいないので、ホルンが低音でリズムを刻み、他の吹奏楽器をリードする。だいたいが三拍子のワルツだ。

 行軍に参加しているのは、僕のような見物客以外は、仮装した踊り手だ。動物やモンスターの仮面を被ったり、ケバい女装をしたりしている。仮面を付けた上に、鈴を縫いつけた鎧のような上着とズボンを身につけている人も多い。踊り手が飛び跳ねると、鈴がシャンシャンシャンと鳴るので、単調なブラスの音に軽快なアクセントが加わる。

 三番目に訪ねた集会場の空き地で、ある若者がカメラを構えていた僕に向かって、これ着て踊ってみない、と鈴を縫いつけた上着を脱いで、差し出した。試しに着てみると、まるで防弾チョッキのようにずしりと重たかった。

 ある女性に声をかけられた。さきほど鈴の上着を貸してくれた男の姉で、マリアだと名乗った。その地区に住んでいるらしかった。彼女は肌の色が土色に近い、先住民の血をひく三十代の女性だった。

 マリアと一緒に夜道を次の集会場まで歩いた。彼女の家の前を通ったときに、ここが私の家よ、と指さした。誘っているのかな、と思ったが、祭りを最後まで見届けたい気持ちが強かったので、気づかない振りをして通り過ぎた。

 僕が結婚していないの?と訊くと、彼女は「家事と育児に明け暮れるような生活が嫌だから、結婚したくない」と、答えた。

 十カ所以上の集会場の広場を訪ねまわった頃、僕たちは見晴らしのよい高台に来ていた。東の空が白くなり始めていた。

 男たちはオールナイトで重たい鈴の鎧をつけて踊りまくり、疲れきって、みな仮面を脱いでいた。白日のもとに顔をさらしている。夜のあいだ別の人格(ルビ:ペルソナ)を演じてきたあとで、そろそろ元の自分に戻る時刻のようだ。

 完全に太陽が昇り、朝の七時頃になると、僕たちの一行は舞台のある坂道を降りた十字路の前に戻ってきていた。そこで別のルートをまわっていたグループと鉢合わせとなった。ブラスバンドがけしかけるような音を出した。

 両グループが対面する形で、おしくら饅頭(ルビ:まんじゅう)を始めた。相手が勢いよく迫ってくると、僕らは坂道を後ろ向きに後退する。かなり後退したところで、ブラスバンドが僕らを応援するように音を出すと、僕らは勢いづく。すると、相手の一群が坂道を後退する。バトルは一時間以上つづき、一晩中踊ってきたのに、若者たちはまだまだ元気だ。というより、オールナイトの行進はこのバトルのための準備運動であったというかのように、汗を飛ばして暴れまくっている。

 メキシコの「死者の日」とは、征服者(スペイン人)の文化と被征服者(先住民)の文化のぶつかり合いの中から生まれたものだ。七世紀頃からヨーロッパで祝われていたローマカトリック教会の“万霊節”(煉獄にいる死者の罪を浄めるお祭り)と、メキシコの先住民たちの先祖信仰(ご先祖様が神様という発想)が合わさったもので、キリスト教の行事でありながら、きわめて異端の匂いのする行事だ。

 その日の午後遅くにも、二日目の祭りがあるらしかった。道中、そのことを僕に教えてくれたのはマリアだった。その祭りを一緒に見ようと約束したが、いま、あたりを見まわしても、彼女の姿はなかった。

 オアハカ市内のホテルに帰って、ベッドの上で熟睡した。僕ははからずもマリアとの約束をすっぽかしてしまった。

『Spectator』21号(2009年12月)、146-147頁

青山ブックセンターで、エクスタシー祭

2009年12月18日 | 音楽、踊り、祭り
青山ブックセンター(表参道)で、エクスタシー祭りをやっているとの情報が入りました。

『エクスタシーの湖』のカヴァーを拡大したポスターの前に、本を広げた展示がなされているらしいです。

店を訪れた人が恍惚となって、我を忘れて本を買ってくれればよいのですが。。。





鷲宮神社の酉の市

2009年12月04日 | 音楽、踊り、祭り
こんどの日曜日(6日)に、埼玉の鷲宮神社で大酉の市があるようです。商売繁盛を祈り、神楽の奉納もあります。

神社によれば、「お酉様の本社」として、福をかき取る縁起物が社頭に並び、商売繁晶を願う人々が集うそうです。

金儲けをねらう人には見逃せませんよ。

この前の浅草神社の酉の市には行けなかったので、天気も良さそうなので、熊手でも買ってきたいと思います。

もし行かれる方がいたら、午後には行って神楽を見ていますので、声をかけてください。

東武伊勢崎線鷲宮駅徒歩7分。

BRUTUSが研究室にやってきた!

2009年12月01日 | 音楽、踊り、祭り
 先日、BRUTUS(マガジンハウス)が小生の研究室にやってきました。
 
 鹿児島出身の才色兼備のオリーブも一緒でした。キューバのオリチャ(神霊)のために、和菓子を持ってきてくれました。皆でいただきましたが、とても美味しかったです。

 今月15日発売号で、<読書特集>をするということで、オリーブの取材を受けたのです。若いポパイ(写真家)もやってきて、南米のカルトグッズが密かに飾られている研究室の様子をパチパチいっぱい写真に撮りました。

 どんな風なページになるか、楽しみだなあ。
 

山伏修行

2009年08月14日 | 音楽、踊り、祭り
友人のHさんが出羽三山の山伏修行(二泊三日)に行っていたらしいです。今月下旬に予定されている第二回目の案内をいただきましたが、その頃はキューバなので、来年の楽しみにします。朝4時から夜中の12時までびっしりと修行するようですが、Hさんは楽しかったといっていました。本当かな~?

Hさんから送っていただいた詳細は以下の通りです。
■主 催 出羽三山山伏修行体験星野塾
■期 日 (A日程)2009年8月7日(金)13:30集合~同9日(日)14:00~随時解散
(B日程)2009年8月21日(金)13:30集合~同23日(日)14:00~随時解散
■場 所 大聖坊・羽黒山・月山・湯殿山 (大聖坊へは前日入り・最終日の宿泊も可能です。
下記申し込み・問合せ先までご連絡ください)
■参加費 22,000円 (食費・宿泊費・保険料・消費税など全て込み。交通費別途。
参加費は現地にてお支払ください)
■先 達 星野文紘 山伏名 星野尚文
■申し込み・問合せ先 成瀬 正憲 山伏名 成瀬正彗
tel.090-1833-8508
mail.caracol4380@gmail.com
http://50000.in/dewa
■宿坊 大聖坊
address: 〒997-0211山形県鶴岡市羽黒町手向字手向99
tel/fax: 0235-62-2031
■持ち物 下記の持ち物を必ず持参ください。
・ 雨具(雨合羽、雨天時も合羽を着用して歩きます)
・ リュック(月山に登拝の時使用します)
・ 着替え(白い長そでのシャツ)
・ 女性は白いTシャツを二枚(水垢離のため)
・ 足のサイズが28.5センチ以上の方は、白いスニーカーを持参

島津亜矢さんの歌(その3)明治座のコンサート「無双」

2009年04月03日 | 音楽、踊り、祭り
 4月1日から5日まで,東京の浜町にある明治座で島津亜矢コンサート2009「無双」が開かれています。

 私、行ってきました。もちろん「帰らんちゃよか」を生で聴くために、です。

 1階席と2階席はすでに埋まっており、3階席からオペラグラスならぬ双眼鏡を覗きながら、観賞しましたが、彼女の声は3階でもまったく影響なく響きわたりました。

 懐メロ(第一部)とオリジナル曲(第二部)からなる二部構成で、30曲ちかくを、あいだに30分の休憩をはさみ、2時間ノンストップで歌いました。

 第二部の最後に、名作歌謡劇場という出し物があり、これが彼女の持ち味なのでしょうが、物語の中に歌を織り込んでいくわけです。今回は、井原西鶴の『好色五人女』より八百屋お七の物語を演じ、想う男のために犯罪を犯して処刑された娘の心境を「お七の恋」を歌いました。
 
 第二部の最初に、紀伊國屋文左衛門を主人公にした「豪商一代」という曲と、昔話『鶴の恩返し』を題材にした「おつう」という曲を歌いました。物語性がある曲ですと、その主人公の世界にのめり込める能力のある彼女は、いっそう輝きを増すように思えます。浪曲も巧いです。ごらんください。驚きますよ~。

 

 

 さて、先日ののBSスペシャルステージが、ユーチューブにアップされていました。感激をあらたにしました。



そらぁときどきゃ 俺たちも
淋しか夜ば過ごすこつも あるばってん
二人きりの 暮らしも長うなって
これがあたりまえのごつ 思うよ
どこかの誰かれが 結婚したとか
かわいか孫のできたて聞くとも もう慣れた
ぜいたくば言うたら きりんなか
元気でおるだけ 幸せと思わんなら
それでどうかい うまくいきよっとかい
自分のやりたかこつば 少しはしょっとかい
心配せんでよか 心配せんでよか
けっこう二人で けんかばしながら暮らしとるけん
帰らんちゃよか 帰らんちゃよか
母ちゃんもおまえのこつは わかっとるけん


島津亜紀さんの歌(その2)ーダイアレクトの魅力と演歌特有のジェンダー・クロッシング

2009年03月28日 | 音楽、踊り、祭り

 先日とりあげた島津亜紀さんの「帰らんちゃよか」という曲について分析してみました。その結果、この曲の魅力のもとは次の三つの元素で、それらが互いに効果的な化学反応を起こしていることが判明しました。

 ①島津亜矢さんの歌唱力とアクション
 ②熊本ダイアレクトの使用
 ③演歌に特有のジェンダー・クロッシング

1 歌唱力とアクション
 ①の歌唱力の詳細については、ここでは論じないことにします。が、ただ一つだけ、③と関係するので指摘しておきたいと思いますが、演歌特有のコブシをまわす時に敢えて地声で歌っている点が、ただ女性的な美しい声だけで終わらない印象を与えるのではないか、ということです。それと、彼女のアクションですが、男の歌を歌う時に、コブシを握ります。声のコブシと手のコブシが連動しています。

2 熊本ダイアレクト
 熊本ダイアレクトの魅力ですが、この歌を作詞・作曲したのは関島秀樹という方です。ネット動画でも見られますが、かれ自身も弾き語りという形式でこの曲を歌っています。また、ばってん荒川という芸人が歌っている動画もネット上にあります。もともと熊本ローカルでは大いに知られた歌だったのでしょう。

 ダイアレクトの歌には標準語の歌にはない情感に訴える力があります。とりわけ、この歌のラストで、「心配せんでよか 心配せんでよか/親のために おまえの行き方かえんでよか/どうせおれたちゃ、おまえの先に逝くとやけん/おまえの思うたとおりに 生きたらよか」と、父親が歌いますが、熊本ダイアレクトだからこそ、「親不孝」の息子/娘たちには心にぐさりときます。たとえ熊本生まれでなくとも、「心配しないでもいいよ」と、標準語でいわれるよりも、ずっと心に響きます。

 そうはいっても、売り上げがすべての人気歌手が持ち歌をダイアレクトのみで歌うのは、勇気がいることです。日本にはいまなおダイアレクトに対するいわれなき偏見が根強く残っており、また意味を重視すれば、標準語で歌うほうがいいし、それゆえ標準語で歌ったほうが売れるからです。標準語で歌っている奄美黄島出身の中孝介さんを見れば分かります。

 ですが、それに対して、執拗なまでに「みゃーくーふつ」(宮古ダイアレクト)で歌う下地勇さんは、売り上げと知名度では中孝介さんに及ばないかもしれませんが、音楽性と情感表現の点で、中孝介さんよりも注目に値いする、と思います。

 たとえば、おじぃを先に亡くしたおばぁの心境を歌った「おばぁ」があります。あるいは、米国のいいなりになって安直に自衛隊を紛争地域に派遣する政治風潮に対して、両親の平和の教えをやさしく噛み締めて歌う「反戦歌」の「アタラカの星」もあります。




(標準語訳)
どこまで歩けばいいのだろう
人々は同じ場所を目指すの
果てしない砂漠の地を
祈る心だけがオレを支えている
この星には
オレと一頭の馬だけ
平和の地を求めて
悔しさだけを背負いながら
大切な父母は
大切なものを残してくれた
いつまでも回り続ける世
オレを歩かせるだけ
(以下、略。ライナーノーツより)

 さて、島津亜紀さんは下地勇さんほどダイアレクトに固執していないようですが、それでも、島津亜矢さんの「帰らんちゃよか」は、未だ生まれざる日本各地のダイアレクトによる歌の発生とヒットの可能性を暗示している、と言えないでしょうか。

2 演歌特有のジェンダー・クロッシング
 つぎに、演歌特有のジェンダー・クロッシングの魅力について。演歌というジャンルでは、男の歌手が女心を歌ったり、女の歌手が男の義侠心を歌ったりすることがよくあります。

 たとえば、山口洋子作詞、平尾昌晃作曲で、五木ひろしの起死回生の大ヒット曲「「よこはま・たそがれ」があります。「あの人は行って行ってしまった/あの人は行って行って/もうおしまいね」というフレーズが「女心」というか「女の諦め」を表わしていると思われたようです。

 一方、昭和の歌の女王、美空ひばりが歌い、180万枚を売ったと言われる「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)があります。「勝つと思うな/思えば負けよ/負けてもともと/この胸の/奥に生きてる/柔の夢が(以下、略)」という柔道家の極意を歌ったものです。もちろん、最近は、女子柔道も強いので(むしろ、女性柔道のほうが世界的に強いので)、いま聴けば、この曲は必ずしも男の心を歌ったものとは言えないかもしれませんが、当時は、男のハートを女性の歌手が歌った、ジェンダー侵犯の歌だったのです。以下の昭和の映像では、美空ひばりのコスチュームも男性的ですね。

 



 

 その他にも、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、殿様キングス「なみだの操」、渥美二郎「夢追い酒」、大川栄策「さざんかの宿」など、男の歌手が「女心」を歌ったものは数少なくないですが、女の歌手が「男心」を歌ったものは、美空ひばり以外に、亜矢さんの熊本の先輩、水前寺清子の「涙を抱いた渡り鳥」や「浪花節だよ、人生は」ぐらいで(もし、ほかにご存知の方がいたら、コメントお寄せくださいまし)、そういう意味で、島津亜矢さんはとても貴重な存在だと言えるでしょう。

 われわれの中には、たとえ女性の体を持っていてもどこかに「男心」がひそみ、また逆に、男の体を持っていても、「女心」がひそんでいます。演歌という日本の歌のジャンルは一見古臭く思えますが、実は、ジェンダーの境界の曖昧さを突き、ジェンダーに関して斬新なアイディアを実例を持ってしめす場合もあります。

 そういう意味では、島津亜矢さんは、オリジナル曲の「海ぶし」や「流れて津軽」のほか、股旅もの、任侠もの、漂泊ものなど、三波春夫や村田英雄や北島三郎らの昭和の男の歌手たちが歌った「男心」の歌を敢えて歌うことで、盛んにジェンダー侵犯をおこなう過激な歌手と言えないでしょうか。

 それでは、最後に三波春夫の「決闘高田の馬場」のリメイク(亜矢ヴァージョン)をお聴きください。9分と長いです(笑)が、飽きさせません。それにしても、亜矢さん、よくセリフ覚えられるものですねえ。芸達者です。





 








歌手の島津亜矢さんにノックアウト。

2009年03月16日 | 音楽、踊り、祭り
 きのう、たまたまかかっていたNHKBSの歌番組で、島津亜矢さんという演歌歌手の歌を聴きました。

 熊本ダイアレクトで、父親から都会にでていった娘あるいは息子に語りかける歌、「帰らんちゃよか」という曲でした。

 



 オペラ歌手にも匹敵するほどの声量があるのは、だれもが認めるところでしょうが、歌詞(ことば)を自分の中に取り込んで歌う点は、天性なのでしょうか、それとも努力の賜物なのでしょうか。

 その歌いっぷりを見て、ふと、南大東島出身のオキナワ民謡歌手、内村美香さんを思い出しました。

あるいは、ジャンルはちがいますが、キューバの大物歌手セリア・クルースをも彷彿とさせます。




 島津亜矢さんは熊本の田舎から出てきて、作詞家の星野哲郎氏に師事したそうです。作曲家の船村徹氏とよくコンビを組んで曲を作っている御大です。
 
 いまどきの男にはない侠気があるので、男の歌を歌わせるとすごく巧いです。北島三郎と共演して、サブちゃんの歌を見事に歌っていました。

 番組のラストで、「(一緒に歌えた)今日の日は、私の宝です」と、先輩サブちゃんに感謝の気持ちを表現した点に、彼女のこれまでの苦労が忍ばれました。

 それでは、北島サブちゃんと島津亜矢さんのヴァーチャルな共演をお楽しみください。

 まずは、サブちゃんの「風雪ながれ旅」からどうぞ。語りうたになっています。さすがおさえ気味に歌うところが心憎いです。

 


 つぎに、島津亜矢さんの「風雪ながれ旅」です。耳の鼓膜をやられないように、ボリームをすこし落としてくださいね(笑)。
 
 

国境の南、メキシコのボーダーを歩く

2009年02月15日 | 音楽、踊り、祭り
すべてを欲しがるものは、すべてを失う
ーー国境の南、メキシコのボーダーを歩く 
越川芳明

 テキサス州エル・パソから国境のサンタフェ橋を歩いて渡り、メキシコのフアレス市に入ると、白塗りのシボレーが待っていた。

 テンガロンハットを被った中年の運転手が車に乗っていたが、まるで非情なハンターみたいにめざとく私の姿を認めると、外に出てきて、左手でこっちへ来いと合図を送ってきた。

 なんだか私は地理の不案内のこの町で、ハンターに言いなりになる猟犬みたいな気持ちになった。

 フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏はフアレスの大富豪だということだったが、私には面識がなかった。

 「ハポネス(日本人)?」と、私が後部座席に乗り込むと、ベガ氏のお抱え運転手が訊いた。

 「そう」

 「フアレスは初めてかい? なんでまた?」

 「まあ、いろいろと。『ボーダータウン』(1)という映画、見ましたか? この町の連続女性殺人事件を扱ったものだけど」

 運転手はなぜか、しばらく無言のままだった。「その映画、アメリカじゃ公開されてないらしいよ」

 「当局から圧力がかかったってこと?」

 「そんなこと、わかるものか」運転手は急に怒ったようにそっけなくいうと、黙ってしまった。

 この運転手は、被害者の女性の側に立っているのか、それともモラルのない娘たちが夜遊びして犯罪に巻き込まれただけだとうそぶく警察署長や地元政治家たちの側に立っているのか。

 シボレーはフアレス市の東部のほうへ向かっていた。

 外の風景も、いつの間にか商店やレストランのはいったビルなどが立ち並ぶダウンタウンから、落ち着いた住宅街へと変化していた。

 家という家は防犯のために、まるで動物園の檻のような鉄格子を張り巡らしていた。

 フアレスは、サンディエゴの対岸の町ティファナと並ぶ、巨大なメキシカンマフィアの暗躍する町だ。

 フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏の屋敷の前に着くと、運転手はリモコンを取り出して、扉をあけた。

 まるで刑務所みたいに高い白壁に取り囲まれて、中は建物の屋根さえも、まったく見えない。

 扉も壁と同じ白ぬりの塀で、どこからどこまで扉なのか、部外者には分からない。
 
 八〇歳に手が届くかと思えるベガ氏は、居間で私を待っていた。

 喉をうるおす冷たい水のペットボトルを給仕に持ってこさせると、裏の庭を案内しようといった。

 咽頭癌を患っているために首に包帯を巻いて、声が聞き取りにくかった。

 若い頃、米国に留学して、マサチューセッツ工科大学で化学を専攻したといった。

 英語が堪能だった。
 
 大きな開きガラス窓を抜けて、居間の外に出ると、石のタイルを敷き詰めた二十五メートルプール大のベランダがあり、そのまわりをアリゾナ砂漠で見かける、人間が両手を広げたような巨大サグアロ・サボテンが植わっていた。

 テキーラの原料となるアガベ(竜舌蘭)や、雨期に一度だけピンクや黄色など、鮮やかな花を咲かせるウチワサボテンなども品よく配置されていた。

 私とベガ氏は、ベランダから石段を降りて、芝生の植わった広大な庭園の細道を歩いた。

 道の脇の大石の上を緑色のトカゲが駆けおりて、石の割れ目に逃げ込んだ。

 空を見上げると、首から頭部にかけての部分が白色の禿鷲が大きく黒々とした両翼を広げて悠然と旋回していた。
 
 「立派なサボテンですね」
 
 「ありがとう。砂地のどこかにガラガラ蛇にいて、噛まれた使用人もいるよ」ベガ氏はこともなげにいった。
 
 「もうちょっと奥にいってみよう」
 
 そういうと、ベガ氏は私を屋敷から一番遠い、高いチワワ松に囲まれた、薄暗い雑草の生い茂った一角に案内した。

 私はまるで、死者の霊が宿っているような不気味な雰囲気を感じた。

 スペイン系の大農場主だったに違いないベガ氏の先祖が、謀反を起こした使用人をここで処刑したのだろうか。

 「ここはサッカーの練習場だった。十年前までプロチームを持ってたんだ」と、ベガ氏は、まるでプロの料理人が上客に秘密のレシピを教えるみたいに、こっそり小声でいった。

 それから昔、ゴールポストがあったはずの、奥まった雑草に覆われたあたりを指差した。

 その向こうの松林の中で、キジが甲高く啼いた。
 
 「サッカーチームを?」
 
 「ああ、すでに手放してしまったがね」

  私はしばらく口が利けなかった。
 
 「メキシコの諺を教えてあげましょう。El que todo lo quiere todo lo pierde.(すべてを欲しがる者はすべてを失う)。

 君は『ペドロ・パラモ』(2)という有名な小説を知っているはずだね。

 貪欲に土地や富を手にいれまくって、すべてを失った男の話だよ」
 
 「ええ。フアン・ルルフォの原作の『金の鶏』(3)という映画も見たことがあります」

 「メキシコ的な無常観とでもいえばいいのかな。 裸一貫で築きあげた富も権力も最後にはすべてゼロになってしまう」

 「『黄金』(4)という映画も、タンピコのあたりの山奥で砂金を探り当てたアメリカ人が、自分たちの強欲のために最後は無一文になってしまう話でしたね」

 ベガ氏の屋敷を後にして、数カ月後、私はフアレス市の女性殺人をめぐる原稿を書く必要があって、それまでに何度も見たロールデス・ポルティージョ監督のドキュメンタリー作品『セニョリタ・エクトラビアダ(消えた少女)』(二〇〇二年)を見直して驚いた。

 あのベガ氏のお抱え運転手が、殺された女性の父親の一人としてインタビューを受けていたからだ。


(1)グレゴリー・ナヴァ監督、ジェニファー・ロペス主演。二〇〇八年。
(2)メキシコ二〇世紀最大の作家の代表作。
(3)ロベルト・ガバルドン監督、一九六四年。
(4)ジョン・ヒューストン監督、一九四八年。

(『スタジオ・ボイス』2009年3月号ラテンアメリカ特集号 63頁に若干手を加えました)

佐藤文則 写真展<ダンシング・ヴードゥー>

2009年01月13日 | 音楽、踊り、祭り
23日(金)の午後、明治大学生田キャンパスで開かれていた佐藤文則<ダンシング・ヴードゥー写真展>をゼミの大学院生と見に行った。

ダホメイ(現ベニン)出身の人々の信仰がフレンチカトリックと集合したヴードゥーの祭儀の最中に、神霊に憑依された人の衝撃的な写真に度肝を抜かれる。

あるいは、マイナスイオンの多そうな巨大な滝に打たれて、あるいは見るからに泥水としか見えない水に浸かりながら、神霊に乗り移られる人々。これをエクスタシー(脱魂)と呼ばずしてなんと呼ぶのか?

2年前にポルトープランスに行ったときには、ホテルの外にでられないくらい治安が悪かったので、ヴードゥーどころではなかった。

なのに、佐藤さんはハイチの人々を身近なところで撮っている。

ゾラ・ニール・ハーストンの小説でも、ヴードゥーの理解は必須のように思われる。英米文学の学者(日本人をふくめて)でどのくらいの人がそこまで入っているだろうか?

あらかじめ管啓次郎さんに無理にお願いして、佐藤さんに紹介していただき、生田の学食で二時間くらい歓談した。

佐藤さんは、ハイチに何十回もいかれて、土着の信仰風景を撮られているとのこと。キューバのサンテリアをいつか一緒に撮影に行きましょうと申し上げた。

佐藤さんの写真は以下のHPで見られる。

http://www.k2.dion.ne.jp/%7Esatofoto/



演劇「人類館」

2008年12月23日 | 音楽、踊り、祭り
16日(火)夜、早稲田大学大隈講堂で、1978年に岸田戯曲賞を受賞した「人類館」を見る。今回は、これ一回限りということで、貴重な体験だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/人類館事件

早稲田大の沖縄研究所所長の勝方=稲福恵子先生のご尽力によるところ大きい。劇団<創造>の俳優たちの演技もすばらしい。ウチナー口と日本語を縦横無尽に使いこなし、ブラックユーモアの風刺をつかって、本土から沖縄への<抑圧>の構造を浮かび上がらせる。

ゼミ三年生15名も観劇。オフキャンパスの課外活動の一環として。閉演後、高田馬場のお好み焼き屋で夕食。予定外の楽しいゼミの忘年会になった。三年生ゼミは、1月にまた新年会(沖縄料理)が予定されている。