平尾地区の商店街を見てまわり、アーケード街を抜けたところにあるそば屋で「ウチナーそば」を食べました。
折しもテレビ放映されていたオリンピック女子フィギュア-の決勝をみながら、一杯600円のそばで、2時間も「ゆんたく」をしてしまいました。
先日とりあげた島津亜紀さんの「帰らんちゃよか」という曲について分析してみました。その結果、この曲の魅力のもとは次の三つの元素で、それらが互いに効果的な化学反応を起こしていることが判明しました。
①島津亜矢さんの歌唱力とアクション
②熊本ダイアレクトの使用
③演歌に特有のジェンダー・クロッシング
1 歌唱力とアクション
①の歌唱力の詳細については、ここでは論じないことにします。が、ただ一つだけ、③と関係するので指摘しておきたいと思いますが、演歌特有のコブシをまわす時に敢えて地声で歌っている点が、ただ女性的な美しい声だけで終わらない印象を与えるのではないか、ということです。それと、彼女のアクションですが、男の歌を歌う時に、コブシを握ります。声のコブシと手のコブシが連動しています。
2 熊本ダイアレクト
熊本ダイアレクトの魅力ですが、この歌を作詞・作曲したのは関島秀樹という方です。ネット動画でも見られますが、かれ自身も弾き語りという形式でこの曲を歌っています。また、ばってん荒川という芸人が歌っている動画もネット上にあります。もともと熊本ローカルでは大いに知られた歌だったのでしょう。
ダイアレクトの歌には標準語の歌にはない情感に訴える力があります。とりわけ、この歌のラストで、「心配せんでよか 心配せんでよか/親のために おまえの行き方かえんでよか/どうせおれたちゃ、おまえの先に逝くとやけん/おまえの思うたとおりに 生きたらよか」と、父親が歌いますが、熊本ダイアレクトだからこそ、「親不孝」の息子/娘たちには心にぐさりときます。たとえ熊本生まれでなくとも、「心配しないでもいいよ」と、標準語でいわれるよりも、ずっと心に響きます。
そうはいっても、売り上げがすべての人気歌手が持ち歌をダイアレクトのみで歌うのは、勇気がいることです。日本にはいまなおダイアレクトに対するいわれなき偏見が根強く残っており、また意味を重視すれば、標準語で歌うほうがいいし、それゆえ標準語で歌ったほうが売れるからです。標準語で歌っている奄美黄島出身の中孝介さんを見れば分かります。
ですが、それに対して、執拗なまでに「みゃーくーふつ」(宮古ダイアレクト)で歌う下地勇さんは、売り上げと知名度では中孝介さんに及ばないかもしれませんが、音楽性と情感表現の点で、中孝介さんよりも注目に値いする、と思います。
たとえば、おじぃを先に亡くしたおばぁの心境を歌った「おばぁ」があります。あるいは、米国のいいなりになって安直に自衛隊を紛争地域に派遣する政治風潮に対して、両親の平和の教えをやさしく噛み締めて歌う「反戦歌」の「アタラカの星」もあります。
(標準語訳)
どこまで歩けばいいのだろう
人々は同じ場所を目指すの
果てしない砂漠の地を
祈る心だけがオレを支えている
この星には
オレと一頭の馬だけ
平和の地を求めて
悔しさだけを背負いながら
大切な父母は
大切なものを残してくれた
いつまでも回り続ける世
オレを歩かせるだけ
(以下、略。ライナーノーツより)
さて、島津亜紀さんは下地勇さんほどダイアレクトに固執していないようですが、それでも、島津亜矢さんの「帰らんちゃよか」は、未だ生まれざる日本各地のダイアレクトによる歌の発生とヒットの可能性を暗示している、と言えないでしょうか。
2 演歌特有のジェンダー・クロッシング
つぎに、演歌特有のジェンダー・クロッシングの魅力について。演歌というジャンルでは、男の歌手が女心を歌ったり、女の歌手が男の義侠心を歌ったりすることがよくあります。
たとえば、山口洋子作詞、平尾昌晃作曲で、五木ひろしの起死回生の大ヒット曲「「よこはま・たそがれ」があります。「あの人は行って行ってしまった/あの人は行って行って/もうおしまいね」というフレーズが「女心」というか「女の諦め」を表わしていると思われたようです。
一方、昭和の歌の女王、美空ひばりが歌い、180万枚を売ったと言われる「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)があります。「勝つと思うな/思えば負けよ/負けてもともと/この胸の/奥に生きてる/柔の夢が(以下、略)」という柔道家の極意を歌ったものです。もちろん、最近は、女子柔道も強いので(むしろ、女性柔道のほうが世界的に強いので)、いま聴けば、この曲は必ずしも男の心を歌ったものとは言えないかもしれませんが、当時は、男のハートを女性の歌手が歌った、ジェンダー侵犯の歌だったのです。以下の昭和の映像では、美空ひばりのコスチュームも男性的ですね。
その他にも、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、殿様キングス「なみだの操」、渥美二郎「夢追い酒」、大川栄策「さざんかの宿」など、男の歌手が「女心」を歌ったものは数少なくないですが、女の歌手が「男心」を歌ったものは、美空ひばり以外に、亜矢さんの熊本の先輩、水前寺清子の「涙を抱いた渡り鳥」や「浪花節だよ、人生は」ぐらいで(もし、ほかにご存知の方がいたら、コメントお寄せくださいまし)、そういう意味で、島津亜矢さんはとても貴重な存在だと言えるでしょう。
われわれの中には、たとえ女性の体を持っていてもどこかに「男心」がひそみ、また逆に、男の体を持っていても、「女心」がひそんでいます。演歌という日本の歌のジャンルは一見古臭く思えますが、実は、ジェンダーの境界の曖昧さを突き、ジェンダーに関して斬新なアイディアを実例を持ってしめす場合もあります。
そういう意味では、島津亜矢さんは、オリジナル曲の「海ぶし」や「流れて津軽」のほか、股旅もの、任侠もの、漂泊ものなど、三波春夫や村田英雄や北島三郎らの昭和の男の歌手たちが歌った「男心」の歌を敢えて歌うことで、盛んにジェンダー侵犯をおこなう過激な歌手と言えないでしょうか。
それでは、最後に三波春夫の「決闘高田の馬場」のリメイク(亜矢ヴァージョン)をお聴きください。9分と長いです(笑)が、飽きさせません。それにしても、亜矢さん、よくセリフ覚えられるものですねえ。芸達者です。