越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

民衆演劇ワークショップのお知らせ

2008年11月10日 | 音楽、踊り、祭り
下記の通り、放浪芸の第一人者・小沢昭一も顔負けの、フィリピンの生んだ<笑いの帝王>による民衆演劇ワークショップを行ないます。気楽に遊びにきてください。

 講師:Ernesto Nonato Cloma氏(フィリピン演劇教育協会PETA委員)
「社会・文化・教育活動としての演劇」(仮題)
 通訳:鈴木まり
 司会:越川芳明
 日時:11月19日(水)16時30分~18時
 場所:明治大学(お茶の水)アカデミー・コモン 8階A7-A8会議室
 参加費:無料(予約も不要)

築地がハバナの広場になった日:トレスギター奏者、パンチョ・アマートのライブ

2008年07月31日 | 音楽、踊り、祭り
 今月の初めに、キューバのトレスギターの早弾きの名手、パンチョ・アマートとそのグループ(6名)が来日した。10日に築地のキューバン・カフェでもライブを行なったが、その日は、カフェにぎっしりと150名の観客が来場。かれらのはじけるような演奏に酔った。トレセロの末永さんも最前列でご覧になっていた。

 演奏の始まる前に、友人がキューバ大使館の臨時代理大使の奥さんのMさんを紹介してくれた。自分の本を一冊あげて、この夏にキューバに行くことを伝えた。その後、Mさんが旦那さんを連れてきて、紹介してくれた。やっぱり女性の連帯力はすごい。

 二週間後、キューバ大使館のベテラン通訳Yさんのご好意で、東麻布のキューバ大使館を訪問することができた。北京オリンピックの代表選手の直前合宿(日本での)のアテンドで忙しいなか、臨時代理大使は、キューバの作家や文化人や音楽家に会いたいというこちらの要望を本国に伝えてくれるという。ダメもとで、最近『わが夫、チェ・ゲバラ』(朝日新聞社)という回想記を出した、チェ・ゲバラの奥さんであるアレイダ・マルチさんの名前も入れておいた。

キューバン・カフェでのライブ終了後、発売されたばかりのCDを買って、パンチョさんにサインをもらった。情熱的な演奏をする割りには、クールな応対だったような気がする。でも、演奏後、誰かが「ハバナの広場にいるみたいな気がした」と、漏らしていたのが印象的だった。



 

築地のキューバンナイト

2008年06月06日 | 音楽、踊り、祭り
 先週、築地市場の<キューバン・カフェ>に行ってみた。ちょうど、<キンテート・ソネス・デ・オリエンテ>というグループが来て、ライブをやる日であった。
 
 その日は、二度、演奏を聴いたが、歌詞を大事にするソンという曲奏に魅せられた。リズムとメロディーの両方を楽しめるから。

 二度目の演奏のときには、ほとんどの人が踊っていた。

 ボーカルの佐々木誠さんは、日本人ばなれしたいい声といい発音(スペイン語)をしていて、正直なところ、大きな衝撃を受けた。かれのブログ(マコト日記)も人柄を映し出すように、あったかい。

 トレスギターの末永雄三さんとも、少しだけキューバの話をしたが、演奏するときは、キューバのグアヤベラを着て、じつにシブいオヤジである。ライ・クーダーよりもかっこいいと思った。

 かれらの演奏を聴いて、かれらの音楽のふるさとであるサンティアゴ・デ・クーバに行ってみたくなった。

 参考 <マコト日記>http://chekere.exblog.jp/i0


アレイダ・ゲバラさんの講演会

2008年05月20日 | 音楽、踊り、祭り
チェ・ゲバラの娘さん(1960年生まれで、現在47歳)、アレイダさんの講演会が、千代田区番町のセルバンテス文化センターであった。

ゲバラの妻、アレイダ・マルチによる回想録『わが夫、ゲバラ』(朝日新聞出版)の刊行を記念しての企画。

自身、小児科医としてのキャリアを持つアレイダさんは、終始冷静に話していたが、父から母に宛てた手紙のことに触れるところでは、涙を流していた。

司会兼質問者の戸井十月氏が、その本を読んで、どのようなエピソードに衝撃を受けたか?と訊いたのに対して、アレイダさんが、自分の母が、規制のつよい田舎の出身者でありながら、結婚前のチェとの男女関係まで、率直に書いていることにつよい衝撃を受けたと答えたのが印象的だった。

この本には、これまで触れらなかったゲバラの私人としてのエピソードがたくさん書かれているという。

会場で一冊買い求めた。



ナタリー・カルドーネ『Hasta Siempre』



キューバ学校

2008年05月12日 | 音楽、踊り、祭り
ロス・ロボスの「グアンタナメラ」



現代企画室の太田昌国さんの主催するキューバ学校(第一回)に行ってきた。

場所は、代官山のヒルサイドプラザというところ。

最初から最後まで、断続的に「グアンタナメラ」が会場に流れていた。

今回のテーマは「なぜ、キューバ学校なのか。<グアンタナモの不条理>を通して」だった。

マイケル・ムーアの『シッコ』にも取りあげられたキューバの中の米軍基地<グアンタナモ>。

画家の富山妙子さんが、60年代のミサイル危機のときにキューバを訪れたその経験を話した。

金井桂子さんが岩田宏の詩「グアンタナモ」を朗読した。

最後に、太田昌国さんがキューバの中に米軍基地が存在する不条理、9/11以降、米国がタリバンと無関係のイスラム教徒を多数収容する収容所としてグアンタナモを利用する身勝手さを、大航海の時代からのキューバ史を振り返りながら説いた。

あとは、会場で、キューバのお酒、モヒートがふるまわれた。

会場をあとにして、三省堂のTさんと恵比寿の居酒屋<ジャックポット>へ行って、飲み直した。

Tさんは4月にブラジルに行ってきたばかりで、リオのスラム街ファベイラや売春街など、いろいろと興味深い話を聞かせていただいた。





続 リラ・ダウンズ

2008年04月13日 | 音楽、踊り、祭り
 リラ・ダウンズは、90年代の後半から頭角をあらわしてきた<ボーダー・シンガー>。グロリア・アンサルドゥアが『ボーダーランズ』で唱えた<混血(メスティサへ)の思想>をポピュラー音楽の分野で実践している歌手といえるかもしれない。

 リラは、スペイン語や英語といったヨーロッパ系の言語だけでなく、メキシコのオアハカ州でいまなお使われているミシュテカ族やサポテカ族の言語もアステカのナワトル語も使いこなす、いわばマルチリンガルのノマド歌手だ。
 
 99年、フォルクローレ色のつよい『ラ・サンドゥンガ』でメジャー・デビューを果たす。その後も立てつづけに『生命の樹』(2000年)、『ボーダー』(2001年)といったCDアルバムを発表した。最近、『一つの血』という四枚目のCDアルバムを出している。
 
 歌手リラ・ダウンズの特徴を一言でいえば、<混血>という出自に自覚的ということだろうか。父はスコットランド系米国人の映画カメラマンであり、母はオアハカ州のミシュテカ族の子孫で、メキシコシティで歌手をしていた。

 リラは少女時代に母の田舎オアハカのシエラ・マドレ山脈と、父の田舎のミネソタで育った。8歳の頃にマリアッチを歌い始め、14歳のときからロサンジェルスで声楽の勉強を始めた。その後、オアハカの芸術院でも声楽を勉強していたが、ミネソタに戻り、ミネソタ大学で声楽と文化人類学を学んだ。

 オペラ歌手を目指していたが、性に合わずドロップアウト。ストリートで装飾品の販売をしたり、ロックグループのグレイトフル・デッドの追っかけをしたりしたのち、母の故郷でインデォオの織物を習った。

 のちに大学に戻り、ツリクィ族の女性たちが織物という<言語>によって歴史を語る、その独自の方法について論文を書いたという。
 
 わたしがリラ・ダウンズを初めて知ったのは、2001年の師走にヒューストンからメキシコシティへ向かう飛行機の中だった。拾い読みしていたスペイン語版『ピープル』誌に、リラの新作CDが紹介されていた。

 『ボーダー』というそのCDを手に入れて聞いてみると、ウッディ・ガスリーの歌と自作の詩をミックスして、米国の農場で土にまみれて働くメキシコ人労働者の立場から<自由>とは何かを問うた「この土地はあなたのもの」をはじめとして、米国のチカーノ文化に自覚的なロック風の作品もあるが、それだけでなく、ジャズ風にアレンジされたり、フォルクローレ風に歌われたり、あるいはカリブのクンビア風やメキシコのボレロ風に演奏される曲もあり、実に多彩だった。
 
 歌のテーマとしても、単にみずからの民族だけのプロパガンダとなるような曲だけを歌う歌手でないのは、米国南西部でよく知られたメキシコ系の伝説「ラ・ジョローナ」を斬新に解釈し直した曲を聞けばよく分かるだろう。
(拙著『ギターを抱いた渡り鳥』第一部より)

リラ・ダウンズの「フェオ」




リラ・ダウンズ「ラ・ジョローナ」

2008年04月10日 | 音楽、踊り、祭り
リラ・ダウンズ「ラ・ジョローナ」
Salias del templo un día, Llorona ある日きみが教会から出てきたジョローナ
Cuando al pasar yo te vi. きみが通りすぎるのを見た
Hermoso huipil llevabas, Llorona ステキなウイピルを着ていたねジョローナ
Que la Virgen te creí.   だからきみを聖母だと思った
 
Ay de mi, Llorona     ああジョローナ
Llorona de azul celeste.      空色のジョローナ    
Aunque me cueste la muerte   たとえ自分の命を失おうとも
No dejaré de quererte, Llorona きみのことを好きにならずにいられない





スペイン語の歌「ラ・ジョローナ」

2008年04月09日 | 音楽、踊り、祭り
チャベラ・バルガス「ラ・ジョローナ」(映画「フリーダ」より)

Todos me dicen el Negro, Llorona 皆が僕を黒人と呼ぶよジョローナ
negro pero cariñoso.    黒いけど やさしいよ
Yo soy como el chile verde, Llorona 緑の唐辛子みたいだよジョローナ
picante pero sabroso.    辛いけど 美味しいよ

Aye de mi, Llorona, Llorona     ああジョローナ ジョローナ 
Llorona, llévame al río.     ジョローナ 川へ連れて行って
Tápame con tu rebozo, Llorona.  きみのショールで僕を包んで
porque me muerto de frió    寒くて死にそうだから




「ラ・ジョローナ」のお話はいろいろバリエーションあるが、共通する特徴は、次の二つだ。①ある女性が結婚後、子供を産むが、夫がどこかへ行ってしまい(たぶんよそに別の女をつくり)、そのため女は狂気に陥り、子供を川に投げ捨てて死なせる。②その後、女はみずからも川に身を投げて死ぬが、その魂は夕方になると子供を求めて泣き叫びながら、川べりをうろつく子供を捕まえようとする。

 ボーダー版<屋根裏の狂女>ともいうべきこの大衆伝説を、ジェンダー理論を応用して、チカーノ社会の家父長制の産物として読み直すチカーナ・フェミニストたちがいるが、リラ・ダウンズも、通常チカーノ文化においてネガティヴな<悪女>として語り継がれている<ラ・ジョローナ>を、魅力的な、慈悲深い<聖母>に大胆に喩える。
( 拙著『ギターを抱いた渡り鳥』より)


メスクラ『チャンゴ・アラーニャ』

2008年04月01日 | 音楽、踊り、祭り
メスクラの『チャンゴ・アラーニャ(クモザル)』

スーツケースを抱えて乗り込むのは
向こう行きジプシー・フライト
空から捧げものが降りてきたら
バスが発車
きみの目は灰でいっぱい
奇跡で口はよだれでいっぱい
火山がめざめ でっかいでっかい嵐を呼び起こす
炎の女たちが踊る 平和の炎で男たちを魅了する
火山へむかってはりめぐらされた暗い道路に
勇敢にそいつ(その動物)を解き放つ
目はしばしば 
トランペットの音で海がめざめる 
風のように楽隊が町をめぐってゆく
しっかりしようぜ 兄弟
クモザルはやんちゃな動物
クモザルは我慢できない
クモザルはつるつるした磁石
クモザルは町から町へ 散らばってゆく
クモザルは電車と船で出発 あっちこっちへ旅してゆく




無と夜明けのはざまで 太陽の鶏は時の声をあげる
リズムで満ちあふれた豊かな鉱脈
夢の中を泳ぎながら 歌いだす
バターが溶けた鍋の中では いろいろなものが混ざりだす
黒い山のキノコ 生きのいい野郎の雄牛の力 インド アフリカの低音
そして世界の歌 向こう側へルンバが流れ出せば
死の悲しみなど忘れてしまうよ ママ
このリズムは死人までも呼び覚ますよ
ケッツアルの神が天を覆いつくす
ほら 皆 騒いで楽しみたいんだ 
このリズムこそが俺の慰めだから
クモザルはやんちゃな動物
クモザルは我慢できない
クモザルはつるつるした磁石
クモザルは町から町へ 散らばってゆく
クモザルは電車と船で出発 あっちこっちへ旅してゆく  
(霜村由美子訳 ライナーノーツより)

続々 牛タン情報

2008年03月31日 | 音楽、踊り、祭り
 近くのスーパーで「牛タン仙台味噌焼」というおにぎりを見つけた。買って食べてみたが、牛タンは刻んであり、ほとんど味噌ネギを食べている感覚でおわった。企画ネタだね。
 
 秋田のM<猫>さんから、カラーコピーで、仙台の牛タンの店のガイド(一枚)が送られてきた。

 それによると、仙台駅前には、ぼくたちが行った「伊達の牛タン本舗」をはじめ、「真助」「福助」「牛タン焼 右門」などがあり、一番町には、「味 太助」「味工房」「閣」「キ助」「おやま」「とだて」などがあり、国分町には、「一隆」「一福」「べこ政宗」などがあり、仙台駅東口には「備前」がある。

 さらに特別にもう一枚、猫さんおすすめの「味 太助」のページが同封されており、それには、牛タンの説明のあとに、こうあるーー

 「合いの手は、青唐の南蛮漬。唐辛子の辛さと味噌の塩気が牛タンの甘みを切るのにうってつけ。ビールにもことのほかよく合う・・・テールスープのさっとだけ火を通したネギのうまさは出色の味」

 ・・・だそうです??? ネギを褒めてどうするの。
 どうせ褒めるなら、「さっと火を通しただけのネギを入れたテールスープは出色の味」じゃないだろうか。