震災後日本の偽装を暴く
古川日出男『ドッグマザー』
越川芳明
著者は、東北地方を舞台にした『聖家族』という小説で、「歴史はさまざまな形で埋蔵されている」と書いたことがある。
小説が歴史学や考古学と違うところは、過去のかけらを想像力によって一気に現在の位相へと転じる点だ。埋蔵された歴史は、小説家によって再利用されるのだ。
こんどの小説では、京都が舞台。長らく首都として権力者が日本国の歴史を形作ってきた都市だ。この小説でも、国家の要という意味で、「日本列島の腰椎」と称されている。
しかしながら、この小説で再利用されている歴史は、均一な権力者のそれではない。強者も弱者も絡み合って複雑な様相を呈する歴史である。しかも、三つある物語の最後の語りの時間は、2011年の春に設定されている。いわば、震災後の日本の行く末をいち早く考察した小説と言える。
主人公である「僕」は、実の父母を知らない。養父母によって、「歴史」のない関東の「湾岸地帯」で育てられ、城東の錦糸町に移住したという。いま、3種類の偽造身分証明書を携帯し、養父の亡骸を背負って、老犬と共に旅に出る。
京都市の南、伏見桃山御陵への養父の埋葬から始まり、「僕」はさまざまな京都人と関係を作りながら変身を遂げていく。老舗の料理を裏取引でケータリングする「六地蔵の女性」や、裏でスポーツ賭博を開帳するお好み焼き屋、「僕」を広告用の素材に見込んだ写真家、限られたセレブだけを対象に「性のデリバリー」を手配する奇人、鴨川の河川敷で生活する情報通の「家なし」の老人などとの関係を通して、この都市の現在進行形の「歴史」を目撃する。
そうした現在進行形の「歴史」は、つねに二重構造を有している。とりわけ、「僕」が関わりあいを持つことになる宗教団体は、宗教法人の下に関連企業がいくつも接続している。震災以降に日本の復興をうたって、大物政治家を取り込み国家に公認されることをめざす。
この小説が震災以降の文学として意義を持つとしたら、二重構造のために見えにくい偽装の社会貢献を行なうやからの存在を私たちにかいま見させてくれたことだ。
(『神奈川新聞』2012年5月27日ほか)