越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 コラム・マッキャン『世界を回せ』 

2013年09月13日 | 書評

多種多様なニューヨークの市民像 

コラム・マッキャン『世界を回せ』 

越川芳明

  ニューヨークを舞台にした、9/11以降を見据えた小説だ。

 弁護士や医者、サラリーマンやエレベーターボーイ、掃除夫など、さまざまなニューヨーカーが世界貿易センタービルの上空を眺めている。

 だが、それは二〇〇一年に同時多発テロで崩壊するツインタワーではない。ビル完成の翌年(一九七四年)の夏、ある男(綱渡りの大道芸人フィリップ・プティ)が二棟のあいだに鋼鉄ロープを張って綱渡りを行なった、その有様を見ているのだ。

 この冒頭の描写は、小説の基調をなす。生死を賭けたアクロバティックな行為が、9/11以降に荒んでしまった人々の心に、癒しのヒントを与えてくれるからだ。

 作家は失われたタワーを回復するために三十年ほど過去にさかのぼる。だが、それは過去を美化するだけのノスタルジーではない。その証拠に、アメリカ政治の失態とも呼ぶべきものーーニクソン大統領の辞任劇や、ベトナムや中東を舞台にアメリカが関与する戦争への言及があるからだ。

 とりわけ、ベトナム戦争で息子たちを失った母親の会が象徴的だ。メンバーの中の上流階級の白人女性クレアと下層階級の黒人女性グロリア。出自も階級も人種も異なりながら、悲しみを共有する二人が、誤解を乗り越えて心を通わせる。これも、当事者からすれば、一種の危うい綱渡りなのだ。バランスを失いそうになりながらも勇気を奮って行なう心の綱渡り。異なる人間同士のコミュニケーションの綱渡りが各所で見られるのがこの小説の醍醐味だ。

 小説の語りに注目すると、多種多彩な人物が登場して、一人称と三人称の語りが並存する。とりわけ、一人称の語りは、作家の分身とも言えるアイルランド人キアラン以外に、ほとんどが女性だ。

 中西部出身の大金持ちの娘で、ソーホーでのきらびやかな生活に飽き足らない思いを抱く画家のララ。貧困地区サウス・ブロンクスに住む中年の黒人売春婦ティリー。夫を暗殺されてグアテマラから子供を連れて亡命してきた看護師アデリータ、そして前述したグロリアなど。

 ウォールストリートばかりがニューヨークではない。この都市には実にさまざまな人種や階級、思想や信仰を有した人々が住んでいる。紋切り型でない彼ら一人ひとりの「声」を作り出すこと。それこそ、作家が「グラウンドゼロ」という舞台に仕掛けたアクロバティックな言葉の「魔術」でなくて何であろうか。

(『日経新聞』2013年7月28日朝刊)