世界を救うための寓話
ロサ・モンテーロ『世界を救うための教訓』
スペインの首都マドリードを舞台にした現代小説だ。
交互にめまぐるしく視点を変え、サスペンスあふれる小説の前半には、主要人物がふたり出てくる。
ひとりはマティアスという男で、四九歳になるタクシードライバー。
三十年以上連れ添った十七歳年上の妻を亡くしたばかりだ。
妻の残した捨て子の犬二匹と暮らしているが、孤独感は癒しがたく、「世界は難破船の残骸のように漂う」と感じている。
一方、ダニエルは、救急センター棟に勤めている四十五歳の医師。
ばりばりのキャリウーマンである妻マリーナとの十五年間に及ぶ結婚は破綻している。
かれは妻の目を盗んでコンピュータゲームに没頭。
素性のわからない女性たちと、アバターを使ってヴァーチャルセックス(サドマゾプレー)に耽る。
冒頭で、作家は人間を二つのタイプに分類している。
「人々は夜、ベッドにもぐりこむことを楽しむ人々と眠りにつくことに不安を覚える人々に分かれる」と。
確かにマティアスもダニエルも、その日の暮らしに行き詰まる困窮者ではない。
にもかかわらず、夜に眠りにつくときに不安を覚えるタイプなのだ。
なぜふたりは不安を覚えるのか?
マティアスはアルコール依存症の母に育児放棄され、不幸な少年時代を送ったという。
盗みを働き少年院に入れられたり、マリファナに溺れたりするストリートキッズだった。
かれがいま深夜勤務を望むのは、母の代わりにかれを育ててくれた最愛の妻を失って、孤独の夜を直視できないからだ。
ダニエルは医療補助者だった父のようになりたくないからという不純な理由で医者になったものの、二十年間まったく研鑽を重ねることなく、怠惰に生きてきた。
深夜勤務を選ぶのは金のためだ。だが、昼夜逆転の生活で、不眠症とうつ病に陥ってしまう。
周縁に追いやられた人物
小説の後半には、このふたりのほかにスペイン(キリスト教)社会の周縁に追いやれた人物たちが登場する。
いわば社会の底辺に生きる「見えない人たち」が持っている、もう一つの価値観が提示される。
ひとりはマティアスから人種にまつわる偏見で暴力を振るわれてしまうモロッコの少年ラシッド。
かれはのちにイスラム原理主義に染まり、自爆テロに走る。
本国では理工系の優秀な学生であったが、スペインで差別に遭ううちに、「西洋人はみんなそうだ。人種差別主義者で、攻撃的で、抑圧者で、帝国主義者だ。(中略)アラブ人の敵であり、虐殺者だ」と、過激思想に走るようになる。
さらに、若いアフリカ人の娼婦ファトマが登場する。
シオラレオーネからの難民で、パスポートも滞在許可証も売春宿のオーナーに奪われてしまっているようだ。
そんな社会的な弱者である彼女だが、マティアスやダニエルにはない精神的な強さがある。
その基礎になっているのは、故郷で培われた輪廻転生の思想だ。
彼女のそばには、つねにペットのヤモリがいる。彼女と弟は七万五千人もの死者を出したシエラレオーネの内戦(一九九一年から二〇〇二年まで)に巻き込まれたが、弟はそのとき殺されてしまった。
ヤモリは死んだ弟の精霊だと、彼女は信じている。
その後、難を逃れたスペインでさまざまな男と関係をもたされて、彼女は父親のわからない子を身ごもってしまうが、その子を弟の生まれ変わりだと信じて産む決心をする。
性善説の寓話
本書は前半、妻の急死を不審に思ったマティアスによる担当医ダニエルの誘拐・拘束という、犯罪小説めいた面白い展開を見せる。
しかし後半、あるメッセージ性を有した寓話へと変化する。
それに寄与するのは七十すぎの老女セレブロの存在だ。
彼女はかつて最年少で主任教授の座を射止めたものの、弟子の大学院生による(おそらくパラハラの)告発でその座を追われたらしい。
いま醜くなった老女は酒場でマティアスに、不当に冷遇を受けたと思える二十世紀の科学者をめぐって、独自の講釈を垂れる。
なかでも、とりわけアーロン・フィールドマンというユダヤ人科学者の唱えた仮説が興味深い。
かれはナチスから逃れてアメリカに渡り、ロス・アラモスでの原爆実験「マンハッタン計画」に参加したという。
実在の人物であるオッペンハイマーと同様、この科学者は敵国ナチスドイツよりも早く、敵国にまさる破壊力を持つ武器を作るという使命を帯び、原爆の開発にかかわった。
だが、戦争末期においてその武器の使用に恐怖を覚え、パラノイアに陥ったという。
フィールドマンの学説は「コップの理論」と呼ぶもので、老女いわく「人間の行動は物理的世界、地球とほかの生き物の現実に影響力をもつということだった。(中略)生き物はエネルギーをもった統一体を形成していると言われる。あらゆる生き物は何らかの形で、ハエからローマ法王まで、お互いに影響を及ぼしている。そして我々がしたことに依存しながら、ものを秩序立て、調和を作ろうとする。さもないと物事が混乱し、不安定と混乱への道を解き放つことになるからである」
世界は調和に向かうのか、それとも混乱に向かうのか?
その二つの可能性のうち、作家は、たとえ匿名のものでも小さなものでも、「良い行いは世界をより良くする」と信じているようだ。
終盤のマティアスの慈善行為も、ダニエルの改心もそんな作家の性善説に基づいたものであり、「世界を救出するための方法」であるに違いない。
いま(二〇二四年四月)世界に目を向ければ、ロシアとウクライナの戦争は膠着状態のままである。
イスラエルのガザ攻撃よるパレスチナ人の殺戮は三万人を越え、まったく歯止めがかからない。
フィールドマンの学説で言えば、世界は確実に悪い方向に向かっている。
だからこそ、われわれ一人ひとりが良い行動をとらなければならない。これは作家がそういう倫理的なメッセージをこめた寓話である。
ロサ・モンテーロ『世界を救うための教訓』
スペインの首都マドリードを舞台にした現代小説だ。
交互にめまぐるしく視点を変え、サスペンスあふれる小説の前半には、主要人物がふたり出てくる。
ひとりはマティアスという男で、四九歳になるタクシードライバー。
三十年以上連れ添った十七歳年上の妻を亡くしたばかりだ。
妻の残した捨て子の犬二匹と暮らしているが、孤独感は癒しがたく、「世界は難破船の残骸のように漂う」と感じている。
一方、ダニエルは、救急センター棟に勤めている四十五歳の医師。
ばりばりのキャリウーマンである妻マリーナとの十五年間に及ぶ結婚は破綻している。
かれは妻の目を盗んでコンピュータゲームに没頭。
素性のわからない女性たちと、アバターを使ってヴァーチャルセックス(サドマゾプレー)に耽る。
冒頭で、作家は人間を二つのタイプに分類している。
「人々は夜、ベッドにもぐりこむことを楽しむ人々と眠りにつくことに不安を覚える人々に分かれる」と。
確かにマティアスもダニエルも、その日の暮らしに行き詰まる困窮者ではない。
にもかかわらず、夜に眠りにつくときに不安を覚えるタイプなのだ。
なぜふたりは不安を覚えるのか?
マティアスはアルコール依存症の母に育児放棄され、不幸な少年時代を送ったという。
盗みを働き少年院に入れられたり、マリファナに溺れたりするストリートキッズだった。
かれがいま深夜勤務を望むのは、母の代わりにかれを育ててくれた最愛の妻を失って、孤独の夜を直視できないからだ。
ダニエルは医療補助者だった父のようになりたくないからという不純な理由で医者になったものの、二十年間まったく研鑽を重ねることなく、怠惰に生きてきた。
深夜勤務を選ぶのは金のためだ。だが、昼夜逆転の生活で、不眠症とうつ病に陥ってしまう。
周縁に追いやられた人物
小説の後半には、このふたりのほかにスペイン(キリスト教)社会の周縁に追いやれた人物たちが登場する。
いわば社会の底辺に生きる「見えない人たち」が持っている、もう一つの価値観が提示される。
ひとりはマティアスから人種にまつわる偏見で暴力を振るわれてしまうモロッコの少年ラシッド。
かれはのちにイスラム原理主義に染まり、自爆テロに走る。
本国では理工系の優秀な学生であったが、スペインで差別に遭ううちに、「西洋人はみんなそうだ。人種差別主義者で、攻撃的で、抑圧者で、帝国主義者だ。(中略)アラブ人の敵であり、虐殺者だ」と、過激思想に走るようになる。
さらに、若いアフリカ人の娼婦ファトマが登場する。
シオラレオーネからの難民で、パスポートも滞在許可証も売春宿のオーナーに奪われてしまっているようだ。
そんな社会的な弱者である彼女だが、マティアスやダニエルにはない精神的な強さがある。
その基礎になっているのは、故郷で培われた輪廻転生の思想だ。
彼女のそばには、つねにペットのヤモリがいる。彼女と弟は七万五千人もの死者を出したシエラレオーネの内戦(一九九一年から二〇〇二年まで)に巻き込まれたが、弟はそのとき殺されてしまった。
ヤモリは死んだ弟の精霊だと、彼女は信じている。
その後、難を逃れたスペインでさまざまな男と関係をもたされて、彼女は父親のわからない子を身ごもってしまうが、その子を弟の生まれ変わりだと信じて産む決心をする。
性善説の寓話
本書は前半、妻の急死を不審に思ったマティアスによる担当医ダニエルの誘拐・拘束という、犯罪小説めいた面白い展開を見せる。
しかし後半、あるメッセージ性を有した寓話へと変化する。
それに寄与するのは七十すぎの老女セレブロの存在だ。
彼女はかつて最年少で主任教授の座を射止めたものの、弟子の大学院生による(おそらくパラハラの)告発でその座を追われたらしい。
いま醜くなった老女は酒場でマティアスに、不当に冷遇を受けたと思える二十世紀の科学者をめぐって、独自の講釈を垂れる。
なかでも、とりわけアーロン・フィールドマンというユダヤ人科学者の唱えた仮説が興味深い。
かれはナチスから逃れてアメリカに渡り、ロス・アラモスでの原爆実験「マンハッタン計画」に参加したという。
実在の人物であるオッペンハイマーと同様、この科学者は敵国ナチスドイツよりも早く、敵国にまさる破壊力を持つ武器を作るという使命を帯び、原爆の開発にかかわった。
だが、戦争末期においてその武器の使用に恐怖を覚え、パラノイアに陥ったという。
フィールドマンの学説は「コップの理論」と呼ぶもので、老女いわく「人間の行動は物理的世界、地球とほかの生き物の現実に影響力をもつということだった。(中略)生き物はエネルギーをもった統一体を形成していると言われる。あらゆる生き物は何らかの形で、ハエからローマ法王まで、お互いに影響を及ぼしている。そして我々がしたことに依存しながら、ものを秩序立て、調和を作ろうとする。さもないと物事が混乱し、不安定と混乱への道を解き放つことになるからである」
世界は調和に向かうのか、それとも混乱に向かうのか?
その二つの可能性のうち、作家は、たとえ匿名のものでも小さなものでも、「良い行いは世界をより良くする」と信じているようだ。
終盤のマティアスの慈善行為も、ダニエルの改心もそんな作家の性善説に基づいたものであり、「世界を救出するための方法」であるに違いない。
いま(二〇二四年四月)世界に目を向ければ、ロシアとウクライナの戦争は膠着状態のままである。
イスラエルのガザ攻撃よるパレスチナ人の殺戮は三万人を越え、まったく歯止めがかからない。
フィールドマンの学説で言えば、世界は確実に悪い方向に向かっている。
だからこそ、われわれ一人ひとりが良い行動をとらなければならない。これは作家がそういう倫理的なメッセージをこめた寓話である。