さまざまな「権威」をこなごなにする
サルバドール・プラセンシア『紙の民』(白水社、2011年)
越川芳明
僕はこの小説を読みながら、何重もの既視感にとらわれていた。
のっけから紙で猫や人間の臓器や血管を作る、折り紙外科医アントニオにまつわる突拍子もないエピソードが出てくる。
そこに、かつてのハイウッドの大女優リタ・ヘイワースがメキシコの国境の町ティファナからやってきて「魔性の女」よろしく「アメリカン・ドリーム」を成し遂げるという「偽書」が絡み、さらにメキシコで絶大なる人気を誇る覆面レスラー「サントス」と「タイガーマスク」(サトル・サヤマ)との友情の物語という「脱線」が追い打ちをかける。
そういうポップな装いをまとった「実験小説」の顔を持ちながら、小説を貫くテーマのひとつは、愛の喪失の悲しみという、とてもメローなものだ。
そう、僕は高橋源一郎の『さよならギャングたち』を連想していた。きっとこの作家は、『さよならギャングたち』の英語版を読んでいるに違いない。
(つづく)
じつは、つい先頃、フェースブックにリン・ティルマンからメーセージがあり、しかし、間抜けににも、きょうになって気づいて、返事をしたところでした(このところ、あまり見ていなかったので)。リンによれば、京都にいくということでしたが、そういうわけでしたか。
小生は、土曜日に明治大学で伊藤比呂美さんとのトークがあり、その後も、谷川俊太郎VSゲイリー・スナイイダーの朗読にいったり、また昨日は、来年明治の文学部で教鞭をとることが決まっている唐十郎さんの赤テントの芝居を見に行ったりして、めずらしく口内炎ができてしまいました。→飲み過ぎと寝不足で(笑)。