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蕪村はその時、どこにいたか。     高橋透水

2014年02月12日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  菜の花や月は東に日は西に    蕪村

 「蕪村はその時、どこにいたか」は野暮な問い。
 こんな愚問も酒の肴になる。カウンターの数人が興味深げに耳を傾ける。新宿の居酒屋だ。風変りな顔見知りばかり。
「どこにいたかって、そりゃー、月と日の間の地上に決まってるじゃないか」と即座に答えが返ってきた。
もう少し、この句の出来た状況を知っている人が、「この句は神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときのものだ」と得意げに教えてくれた。続けて、「六甲山脈は海の近くで、また当時は、摩耶山には見渡す限り菜の花が咲いていたんだよ」と付け加えた。
 もう一人、文学被れだった、元青年がおれの出番とばかり口を開く、
「この句って完全な蕪村のオリジナル作品じゃないんだ。陶淵明や李白に、設定が類似した漢詩があるし、それにほら、人麻呂の〈東の野にかぎろひの立つ見えて顧みすれば月傾きぬ〉っていう歌があるだろう。月と日は反対だけどさ。そうそう、こんなのもあるよ、〈月は東に昴は西に いとし殿御は真ん中に〉なんてね。蕪村は殿御気分で、もちろん真ん中にいたのさ」話しながら陶酔している。
 ここで、じっと聞いていた、物知り男が登場、
 「フェクションだね、蕪村はそいいう男さ」と得意げに、「あいつは絵を一番、俳諧など道楽としか考えていなかったんだ」と。皆の様子を見つつ、ビールを注ぎ、「この句は安永三年の作で、これを発句として蕪村・樗良・凡董の三人が歌仙を巻いたときのもの。その初めの三句はだね、
  菜の花や月は東に日は西       蕪 村
   山もと遠く鷺霞み行         樗 良
  渉し舟酒価(さかて)貧しく春暮て  凡 董
 
だよ、洒落てるじゃないか」と美味そうに、ビールを飲み干した。

 そうか、蕪村は頭のなかで、漢詩や万葉集の人麻呂の歌を念頭に一句をものにしたのか。それなら、頭の中でこの句の情景を思い浮かべれば充分らしい、と半分合点していると、
 「でもそんなこと関係なく、この句を素直に味わったらどうなの。純粋にさ・・」
と、この店の常連で、俳句をやっているらしい五十路の女が加わった。この女酔っ払うと誰にでも抱きつく。いつだったか、ほっぺにキスをされたこともあった。窓からは貌半分の月が嗤っているのが見えた。
 すると、店の奥にいた某大学の院生が立ち上がった。晩学だから、三十は過ぎている。「面白いことが、出ていますよ。その句についてですが」
 パソコンを開いていたのだ。いつもスマホ、タブレット、パソコンを駆使して情報を提供する便利屋だ。
 その面白い事とは。うーん、喉が渇いた。ま、酒でも飲んだ後でということに。


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