春寒や刻み鋭き小菊の芽 久女
春は動物はもちろんのこと、植物にとっても喜びの季節である。小鳥は囀り、獣は繁殖の闘いを繰り広げ、子育ての季節を迎える。
植物も花をつけ、蝶や蜂などの昆虫を賑やかにする。
自然の営みは人知の及ばないところが沢山ある。しかしそうした自然の仕組みを巧に利用し、人間の都合のよいように植物を増やす方法も編みだされている。種を蒔くこと、木の実や苗木を植える、挿木や根分けなど、その植物に合った最良の方法で植物を増やし、栽培している。
自然に手を加え、自然を曲げることは、食物連鎖を崩し環境を破壊するという意見もあることは確かだ。しかし植物や動物の特性を生かし、より良い環境目指す共存も選択枝のひとつとして可能だろう。
鑑賞句は、菊の根分けの情景だろうか。大正8年頃の作である。
「刻み」はもちろん小菊の芽で、挿木か根分けした若い菊のことで、若葉も菊固有のギザギザの葉様をしている。風に吹かれると、この若々しいギザギザが愛らしく揺れる。
兄や知人の紹介で「ホトトギス」に入会した久女は、当初は客観写生の影響が色濃い。「ホトトギス」雑詠欄に初入選となったのは大正七年の四月号で、〈艫の霜に古枝舞ひ下りし烏かな〉であった。一読ごたごたした感があり、お世辞にも上手いとはいえないようだ。
初期の久女には自然観察した独自な句も多い。いわゆる「台所俳句」から少し距離のある自然描写だ。勉強家の久女は俳句にとりつかれたように、めきめき腕をあげてゆく。
ゆく春やとげ柔らかに薊の座
あたたかや皮ぬぎ捨てし猫柳
春耕に躍り出し芽の一列に
素十の描写に近い。
などがある。鑑賞句はよく高野素十の<甘草の芽のとびとびのひとならび>が例えられるが、素十の句は事実見たままを詠んだまでだが、一方「春寒や」の句は「刻み鋭き」に客観写生を超えた、久女の鋭利な目を感じ、読む側も釘づけになる。
またこの頃は夫の宇内との軋轢も目立たず、子供思いの平和な日常をありのまま句にする久女象が窺がえる。畑仕事が好きだったらしい。
★家庭的な句
衣更て帯上赤し厨事
麻蚊帳に足うつくしく重ね病む
新茶汲むや終りの雫汲みわけて
その中に羽根つく吾子の声すめり
葱植うる夫に移しぬ廂の灯
蠣飯に灯して夫待ちにけり
昼飯たべに帰りくる夫日永かな
上記二句、夫恋の句。
獺にもとられず小鮎釣り来し夫をかし
宇内は釣りが好きだった。
ホ句のわれ慈母たるわれや夏痩ぬ
自戒の念か。
★子供の情景を詠った句
仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり
子供は熱中しやすいが、飽きも早い。
童話よみ尽して金魚子に吊りぬ
六つなるは父の蒲団にねせにけり
夫、宇内の留守中の情景。
その中に羽根つく吾子の声すめり
★母親一般の心情
七夕竹を病む子の室に横たへぬ
銀河濃し救ひ得たりし子の命
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