のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

この曲は 想い溢れて 譜も滲む    真白き富士の根に寄せて妹を偲ぶ

2019年09月14日 09時32分15秒 | うたごえ

この曲がリクエストされると 嬉しいような哀しいような複雑な想いにいつも駆られる

それは 『真白き富士の根 』 ピアノ伴奏しているうちに涙が滲み 楽譜も見づらくなる

心が嗚咽しているようで 弾きながら想い出回想シーンが止められない

 

 

明治43年の神奈川県・逗子開成中学校の生徒11名と小学生1名 12名の突風による遭難

これを悼んだ鎌倉女学院の教師 三角錫子が作詞 追悼大法会で鎮魂歌として披露された  

曲はアメリカの牧師で作曲家のジェレマイア・インガルスの讃美歌である

 

私の父は 終戦前後の混乱期で必死に家族を守り 鉄くず拾いまでして何とか生きてきた

ただ 飲んだくれで 時には母に暴力をふるい 止める私も殴られてあざの顔で登校したことが有る

それでも50歳頃 兄が行きだした教会に誘われ 以後は真面目なクリスチャン人生であった

 

父も母も姉も弟も そんな関係で 通夜 告別式 納骨式でも この讃美歌 『真白き富士の根 』

歌詞は違うがメロディは同じ 何度歌ったことだろう 私にとって肉親の別れの曲である

妹の嫁いだ先は 宗教が違うからこれでは無い 

 

私が一報を聞いてからすぐ車で駆けつけた 眠るように妹は穏やかな顔を見せていた

昼間は近所の方と雑談もして元気だったと言う それがソファーに寄りかかったままで息絶える

連れ合いは 最初は昼寝でもしているかと思ったほどだ

 

苦しむことなく ぽっくり 私の世代では 理想の逝き方である

突然 居なくなる寂しさはたまらないものもあるが これで良かったねと妹に語りかけた

たまたまキーボードを車に積んであったので 枕元で 『真白き富士の根 』を弾いた

 

 

10年前くらいから 妙に 私と一緒に育った信州の山奥での数年間 ここへ行って見たいと言う

私は その前の年 思い立って一人で車で行ったが 住んでいた家のあとが特定できなかった

今では 7人居た兄弟が兄だけになったが あまり行き来していないが その兄に案内を頼んだ

 

そして3人で 故郷を60数年ぶりに訪ねた 兄があそこだよと 今はゴルフ場になって居る一画を示す

そこは 全くの原野だった林を切り拓き 寄せ集めた材木と藁で あばら家を父が建てた

冬は雪が舞いこむ粗末な家 食料が無く飢えて妹と並んで幻覚を見た

 

 

そんな思い出を語り合う兄弟はもう居ない でも元気なうちに連れて行って良かった

亡くなる2.3年前から白内障の予後が悪く 両眼とも殆ど見えなくなってきた

それでも好きなカラオケ大会に出ると頑張っていた カラオケの画面が見えないのである

 

 

グランプリ常連でもあったが クラスを落として一番だけなら記憶で歌えるとエントリーする

亡くなった後のカレンダーを見ると その予定が先の日付にあったのが侘しい

そのカラオケ仲間が通夜式で私も馴染だからすがって泣く 私も号泣してしまった

 

母の誕生日は30年も過ぎてえ覚えているのに 命日は記憶にない

妹の場合は9月17日 その3日前に亡くなったから何とか覚えている

私より5歳下 明後日が命日 4年前の話 ブログに綴らないと私の記憶も哀しいことは忘れ去る

 

かえり道 諏訪湖SA

 

https://youtu.be/gcHMQHpdEyY 真白き富士の根YouTube

 

リクエスト33曲

あかとんぼ 旅愁 虫の声 ローレライ どんぐりころころ おさるのかごや

美しい十代 大阪ラプソディ 公園の手品師 サザエさん 蘇州夜曲 少年時代

北上夜曲 旅人よ 悲しき口笛 人生の並木道 真白き富士の根

 

花笠道中 芭蕉布 星影のワルツ 故郷の空 ひばりの花売り娘 山のけむり

夢路より 夕陽の丘 宗谷岬 学生時代 湖愁 つばさを下さい サトウキビ畑

三百六十五歩のマーチ 下町の太陽 遠くへ行きたい 

 

 

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コメント (14)
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