昨日 東大島文化センターに施設利用料を納めに行った
8月の下町のうたごえ 会場費である
そして 3年前の3月11日が昨日のように思い出された
あの時 私は童謡唱歌うたう会の代表者をしていて 講座に来ていた
2月末に年に一度の発表会があり その日が下半期の最後の日だった
その発表会の録音を皆で聴いて 和やかに談笑していた
突然大きな揺れが襲った 人生で一番大きな地震だった
皆さんが恐怖の叫び声を挙げる 少し収まるとまた大きく揺れる
とりあえず これ以上大きなものは来ない 落ち着こうと呼びかける
壁際に皆さんを寄せて ホールの窓から外を見る
電柱も揺れて 遠くの空に火災の黒煙が上がっていた
我が家の方向は 多分大丈夫だろうと少し内心ではホッとした
講座の終了時間も来て 家が心配で帰るという人も出て来た
しばらくは様子を見てからでないと危険だからと 引き止めた
余震は相変わらず 大きな揺れを見せている
それでも帰ると言う人には 建物が崩れたり落ちてくるから上に注意して
これだけの地震だと津波の危険もあるから 常に高い建物を意識して
危ないと思ったら どこでも構わず高いところに逃げ込むように言った
しばらくして 一階フロアのテレビを見たら大津波警報の画面が出ていた
だんだんに現地の様子が ニュースで伝えられる
時間が経つのとあわせ その災害の怖ろしさが拡がって来る
ようやく皆さんが誰も居なくなったと思ったら 二人の講師が戻ってきた
コーラス指導のオペラ先生と専属のピアノの先生である
地下鉄が全線不通 都バスが既に動かないと途方に暮れていた
交通機関の状況は分らないけれど 地下鉄も都バスももダメならJRか
とりあえず私は車 錦糸町あたりまで送っていくとお二人を乗せた
ものの5分で 街には人や車が湧きだすように増えた
サラリーマンの退社時間とも重なり 幹線道路はすぐ大渋滞となった
錦糸町へは普通は車なら10分で着ける
駅が見える頃には一時間近く経っていた
どうやらJRも動かないで閉鎖されているようだ
秋葉原あたりなら 都内の地下鉄が動くか 交通網があるから
僅かな希望を持って そのまま向かう と言うより右左折も出来ないのだ
細い道路に入り込もうとすると そこにも車がいっぱい どの路地も同様だ
ひたすら前に進む わずか1メートル動いてすぐ停まる
交差点の信号が虚しく赤や青に変わるが 全く車は動かない
先生二人の携帯電話は 当初繋がらなかったが2時間後くらいに通じた
私の携帯は 最後まで通じなかった 何回も何回も試したがダメだった
お二人の携帯はAU 私はトコモ この時ばかりはその差に苛立った
秋葉原まで来て 全く見込みが無いので お二人に降りてもらった
都心なら店もあるし どこか交通が開通したら 対処できる
およそ3時間これまで掛かった 通常なら30分の距離だった
さて 帰りはもっと酷い渋滞だった 車を駐車場に預けて帰るにも空が無い
路側にも放置できない 前後の車に迷惑を掛けてしまう 動くしかない
細い路地が見え とりあえず入ってみた これも失敗 すぐ後ろも繋がる
大きな道路に出るのに出られない 道路いっぱいに車で溢れているからだ
道路には家路を急ぐ方たちが 絶え間なく歩いている
電車もバスも失った方たちが 何時間も掛けて家に向かっている
やっと家に辿り着いた 文化センターから乗りづくめで6時間余掛かった
おなかが空いたのを思い出した トイレも行かないで間に合った
講師の先生に会わなかったら 真っ直ぐ家に帰れば10分で我が家だ
後日 無事に家に帰れたと講師からお礼があった
女性二人 無事に到着でき れば その労は報われる
これも神様が送ってあげなさいとの 見えない示唆だったのだろう
ただでさえ 家の中は乱れているのに 帰ったら あちこち倒れていた
テレビもパソコンも本やその他 幸い 故障はしていなかった
マンションのあちこちが コンクリートなどが落ちていた
余震が続くと ベッドのそばの壁の中から ギシギシと音がしていた
数日間は このギシギシと言う音が絶えず 安眠が出来なかった
次に大きな地震が来たら このマンションは崩壊するかも知れないと思う
最後までお読みくださいまして有難うございました
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8月の下町のうたごえ 会場費である
そして 3年前の3月11日が昨日のように思い出された
あの時 私は童謡唱歌うたう会の代表者をしていて 講座に来ていた
2月末に年に一度の発表会があり その日が下半期の最後の日だった
その発表会の録音を皆で聴いて 和やかに談笑していた
突然大きな揺れが襲った 人生で一番大きな地震だった
皆さんが恐怖の叫び声を挙げる 少し収まるとまた大きく揺れる
とりあえず これ以上大きなものは来ない 落ち着こうと呼びかける
壁際に皆さんを寄せて ホールの窓から外を見る
電柱も揺れて 遠くの空に火災の黒煙が上がっていた
我が家の方向は 多分大丈夫だろうと少し内心ではホッとした
講座の終了時間も来て 家が心配で帰るという人も出て来た
しばらくは様子を見てからでないと危険だからと 引き止めた
余震は相変わらず 大きな揺れを見せている
それでも帰ると言う人には 建物が崩れたり落ちてくるから上に注意して
これだけの地震だと津波の危険もあるから 常に高い建物を意識して
危ないと思ったら どこでも構わず高いところに逃げ込むように言った
しばらくして 一階フロアのテレビを見たら大津波警報の画面が出ていた
だんだんに現地の様子が ニュースで伝えられる
時間が経つのとあわせ その災害の怖ろしさが拡がって来る
ようやく皆さんが誰も居なくなったと思ったら 二人の講師が戻ってきた
コーラス指導のオペラ先生と専属のピアノの先生である
地下鉄が全線不通 都バスが既に動かないと途方に暮れていた
交通機関の状況は分らないけれど 地下鉄も都バスももダメならJRか
とりあえず私は車 錦糸町あたりまで送っていくとお二人を乗せた
ものの5分で 街には人や車が湧きだすように増えた
サラリーマンの退社時間とも重なり 幹線道路はすぐ大渋滞となった
錦糸町へは普通は車なら10分で着ける
駅が見える頃には一時間近く経っていた
どうやらJRも動かないで閉鎖されているようだ
秋葉原あたりなら 都内の地下鉄が動くか 交通網があるから
僅かな希望を持って そのまま向かう と言うより右左折も出来ないのだ
細い道路に入り込もうとすると そこにも車がいっぱい どの路地も同様だ
ひたすら前に進む わずか1メートル動いてすぐ停まる
交差点の信号が虚しく赤や青に変わるが 全く車は動かない
先生二人の携帯電話は 当初繋がらなかったが2時間後くらいに通じた
私の携帯は 最後まで通じなかった 何回も何回も試したがダメだった
お二人の携帯はAU 私はトコモ この時ばかりはその差に苛立った
秋葉原まで来て 全く見込みが無いので お二人に降りてもらった
都心なら店もあるし どこか交通が開通したら 対処できる
およそ3時間これまで掛かった 通常なら30分の距離だった
さて 帰りはもっと酷い渋滞だった 車を駐車場に預けて帰るにも空が無い
路側にも放置できない 前後の車に迷惑を掛けてしまう 動くしかない
細い路地が見え とりあえず入ってみた これも失敗 すぐ後ろも繋がる
大きな道路に出るのに出られない 道路いっぱいに車で溢れているからだ
道路には家路を急ぐ方たちが 絶え間なく歩いている
電車もバスも失った方たちが 何時間も掛けて家に向かっている
やっと家に辿り着いた 文化センターから乗りづくめで6時間余掛かった
おなかが空いたのを思い出した トイレも行かないで間に合った
講師の先生に会わなかったら 真っ直ぐ家に帰れば10分で我が家だ
後日 無事に家に帰れたと講師からお礼があった
女性二人 無事に到着でき れば その労は報われる
これも神様が送ってあげなさいとの 見えない示唆だったのだろう
ただでさえ 家の中は乱れているのに 帰ったら あちこち倒れていた
テレビもパソコンも本やその他 幸い 故障はしていなかった
マンションのあちこちが コンクリートなどが落ちていた
余震が続くと ベッドのそばの壁の中から ギシギシと音がしていた
数日間は このギシギシと言う音が絶えず 安眠が出来なかった
次に大きな地震が来たら このマンションは崩壊するかも知れないと思う
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