のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

幸せな 花嫁の笑み 永久(とわ)に咲け

2018年12月16日 11時43分15秒 | うたごえ

幸せな花嫁の笑顔 美しさもあって 私を胸いっぱいに幸せのオーラで包む

小学生時代から はにかみながらも 私にメールなど心を寄せてくれた孫娘 夢にまで見た結婚式だ

少し 引っ込み思案気味であった孫娘が 一段と輝いて 多くの若い仲間たちに囲まれて 笑顔が絶えない

 

 

結婚式は教会で行われた アメリカの牧師が取り仕切る

勿論日本語だが 柔和な笑顔が 全体の空気をあたたかく和らげていた

バージンロード 可愛い子どもの先導で そして 父が腕をとり 厳粛に歩む

 

 

私も夢見ていたウエディングドレス 初めて顔を見た おお綺麗! やがて祭壇の前の新郎と牧師の前へ

讃美歌を全員で歌う いつくしみ深き 私も大きく歌う うたごえでも たまにリクエストがある

もう一つの讃美歌 知らない歌かと思ったら ベートーベンの第九の 喜びの歌だった

 

病めるときも 哀しみのときも 永遠に愛しますか? と問う 二人が ハイ と応え 誓約書に署名を終えた

ヴェールをあげて 誓いのキス 新郎が照れて なかなか出来ずに 牧師も会場も笑いに包まれる

素敵な新郎 見合わす顔も信頼と喜びに溢れ清々しいものだ

 

 

沢山の風船が式場に持ち込まれた バルーンイベント 屋根がサァッと開いて行く どよめきが起きる

この日を祝うように 晴天の青空が美しい 合図をもって 一斉に放つと 空の彼方へ風船が飛んで二人の愛を世界に注ぐ

次はプールサイドで フラワーシャワー プールの中には 感謝の文字と二人の名前 みんなで二人に花びらを浴びせる

 

 

披露宴会場には 席順があり名札を裏返すと 孫娘がメッセージが書き込んである

これを見ただけで 式でも感激していた私の涙腺が崩れた なみだがポロポロ あとでピアノを弾くのに・・

結婚式場にピアノが有ったのではなく ピアノがある会場を彼と二人で探してくれたのだ

 

 

思い遣り溢れる孫娘と 理解する彼の気持ちが嬉しさと感謝と幸せがごっちゃになった

もう一つ 彼は 娘たちの結婚記念日に合わせて この日を選んでくれた 両親と合わす しかも 花嫁側に・・・

係が私を呼びに来た いよいよ 私の出番である 新郎新婦がここまでして 私の夢を叶えさせてくれるシーンだ

 

 

アナウンスの方がピアノに向かう私を紹介する おじいちゃんは独学でピアノを覚え ボランティアにも行く

ブログも毎日書いている素敵な方で 今日の日に備えて練習を重ねてきたと 130名の方に語ると会場に驚きのどよめき

私は 夢をかなえて頂いて幸せです と 二人に感謝の言葉を短く述べた

 

 

曲は 瀬戸の花嫁 です 言った途端 大きなどよめきと笑顔と拍手が起こった

そう 彼の名は 瀬戸さん まさしく 瀬戸の花嫁 曲を3曲 候補にしていたが 孫娘 これが良いと即断した 効果は十分

なんと 新郎新婦の席を 特別にピアノのそばに設け 私の演奏を聴く

 

 

孫娘 新郎のためにも とちることは出来ない 多少緊張したが 弾き始めたら度胸は据わる 何度も弾いている曲だ

演奏が終わると 会場全体から大きな拍手 新郎の彼も感動で涙をぬぐっていた

私の席に戻るにも 素晴らしかったと若い仲間たちからも拍手を送られた

 

私の永年の夢は終わった 幸せ感いっぱいで 会場への行きかえり 青山や外苑を散歩して帰ったら 16000歩にもなっていた

午前3時に起きて 7時に家を出ていた 疲れが溜まったが 幸せの余韻である

明日はもう 介護施設の歌の訪問 いつまでも幸せに寄っていてはならない 幸せのクールダウンをこれから進める

 

 

下町のうたごえ  バンド コーヒーブレイク生伴奏 in 本所地域プラザ

のびたがリーダーのバンド 40年以上続けています 私はキーボードとトーク

  YouTube 君恋し

  https://youtu.be/DOzbG3hv3IY

 

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この孫が 今日は花嫁 ついほろり

2018年12月15日 05時42分31秒 | うたごえ

私をじいちゃん じいちゃんと 常に慕って呼んでくれたり 気遣いがすごく嬉しい孫娘

今日は 花嫁衣装 ずっとずっと思い描いていたその日である

勤める様になったら 私を娘と二人で 鬼怒川温泉に連れて行ったり 鎌倉 房総も行ったなぁ

 

今年は 勤務先に近い日本橋で二人でランチ ご馳走になったね

この子は 小さいうちから ずっと 私にメールを寄越した その言葉があたたかくて いつもほろり

娘と二人 思い遣りに溢れて 一人でいることが申し訳ないと心で詫びたりもしていた

 

1歳のとき

 

日頃から 成長した孫娘の結婚式まで 健康でいたいと願っていた

叶うならば その披露宴で ピアノで祝いの曲が贈れたらなんと幸せなことか と うたごえの皆さんにも話してきた

もちろん 新郎となる彼の了解も得てだろう じいちゃん 結婚式場にピアノがあるよとお知らせメール

 

 

ああ ついに想いが叶う 何が月も前から何の曲にしようか迷っていた 1か月前 候補を3曲あげたら 即決した

普段でも 良く弾いている曲だが 改まった式場 孫の為にもトチッたら大変 そして何より涙と緊張が加わる

ケーキ入刀の前 さっと出て行って 格好良く弾くほど 度量は無い それも 練習なし いきなり

 

おととい そんな不安が通じたか LINEで ピアノの心配もしてくれる 早い時間にピアノに触れるって・・・

そこまで思い遣る心 披露宴で いきなり会場のピアノを弾くのはプロでもない リハーサルがある

椅子の高さも 微妙に違うと弾きづらい たった一曲だけれども 思い入れもある人生最大の場だ

 

小学校5.6年頃 イルミネーションツアーに連れて行った

帰りに私に手紙と手編みのマフラー 娘は手編みのセーター

いま 思っても ホロポロ涙が出てきてしまう

 

ますます綺麗になって行く孫娘の 花嫁衣装 私には眩しすぎるだろう

良かったね 大勢の方が祝福してくれる結婚式 私も幸せのピーク

わくわく どきどき これから新調したシャツ ネクタイ 靴 ハンカチ 心がスキップしているようだ

 

 

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敵味方 されど国民 救護せよ  西南戦争時に日本赤十字が誕生した『佐野常民』と言う男

2018年12月14日 05時30分00秒 | うたごえ

皇居周辺をウォーキングしていると 三宅坂辺りで 見事な馬に乗った凛々しい銅像に会える 有栖川宮熾仁親王である

戊辰戦争の時 官軍の司令官となり 明治天皇から錦の御旗を授かり 江戸城無血開城に立ち会った

日本初の軍歌と言われる 『トコトンヤレ節』 私でも知っているが この歌詞の宮さんとは この方でもある

 

トコトンヤレ節 YouTube https://youtu.be/DVc-UNU48g0

明治10年の西南戦争では 逆徒征討総督に就任して 東征の折り 共に新政府軍を指揮した西郷隆盛と敵将として対峙した

この戦いでは 田原坂が主戦場となったが 戦死者は両軍で14000人に上った 更には負傷者となれば その3~5倍になる

野戦病院は 熊本を中心に200近く設営されたが 至る所に戦病者が置き去りにされて行ったのが実情だった

 

 

ここに 登場するのが 佐賀出身の 『佐野常民(つねたみ)』 である 彼はパリ万博を契機に他国を廻り各国の技術に驚く

早くから蒸気船 大砲鋳造 蒸気機関車に取り組み 模型まで作って見せた佐賀の誇る賢人でもあった

江戸の佐賀藩屋敷は薩摩藩邸とも近く 島津斉彬の先見性に大いに共鳴するものがあっただろう

 

 

一方では世界の赤十字の実態と必要性を説き 博愛社を設立した 

政治的にも中立な戦争時の救護も政府に訴えたが許可されない それは 何で敵の負傷者にまで救護するのかという意見が濃い

西南戦争が勃発して 負傷兵はみるみる増えて行く 殆どが手当も受けられず 苦しみもがき 亡くなって行く

 

そんな惨状を見つつ 佐野常民は 政府がダメなら 有栖川にと直談判したのである

直訴状が赤十字に残っている この口語訳で見れば 私たちにも心を打つものが述べられており 賢明な有栖川は許可をした

かくして 公然と両軍の負傷者の救出 手当も出来て 日本の赤十字の礎を築き挙げた人物である

 

この文が印象的だ 負傷兵は大義を見誤り 天皇の軍と敵対しているが 我が国の国民 天皇の子どもです

負傷して死ぬのをただ待っているのを顧みないのは 人として出来ないことと 切々と説いている

明治19年 日本政府はジュネーブ条約に加盟 そこで 博愛社は 日本赤十字と改称して現在に至った

 

 

佐野常民記念館が 明治日本の産業革命遺産となった 『三重津海軍所跡』 に隣接してある

ここは見えない世界遺産と言う 世にも不思議なことでも有名だ

何故なら 偶然発見した江戸時代の木造船が それ故に空気に触れていると腐食の怖れがあることから 埋め戻されたのだ

 

 

現地に立つと何も無い更地である ただ そこには現代技術が生きていて バーチャル画像が昔の姿を再現してくれる

「みえつSCOPE」 と名付けられた 眼鏡型のスコープを 周辺に向けると あたかも昔の現地に居るようなパノラマが出てくる

この場所は 江戸時代 佐賀藩の和船を管理する舟屋があった  佐賀藩は 長崎の警護を任命され 海軍伝習所で学ぶ

 

 

日本が西洋の船舶技術の導入 自力での近代化を推進して行くのである

ここ三重津には船舶のドッグも作られ 日本国内最古の洋式船修理ドッグでもあった

佐野常民 佐賀藩の世界に眼を向けた先見性は ここに生きている

 

 

この時期 佐賀藩は16歳の若き藩主 鍋島直が就任した 彼は佐賀城下に反射炉を築き 日本最初の鉄製大砲の鋳造に成功した

教育や産業など改革に着手 軍事面でも強力な体制づくりに乗り出す

佐野常民も藩の命令で 大阪や江戸へ旅をして見解を深めて行った

 

 

日本最初の鉄道は 明治5年 東京横浜間に開通 この日は 明治天皇やあの西郷隆盛も乗車していた記録がある

しかし これより遡り14年も前に 佐賀藩主は 長崎に来た外国船に会った 蒸気船 蒸気機関車の模型を実際に作らせた

佐賀城内でレールを引き 実際に蒸気機関車モデルを走らせた そこには若き 大隈重信も見学して 後に鉄道網整備を進めた

 

ロシア艦船が蒸気船と蒸気機関車の模型を持ち込んだ 鍋島直正は すぐにこれを創れと命令 2年後に完成させた

モデルとなった蒸気機関車と下は 佐賀城内モデル試運転風景 ここに大隈重信が居た

今日のテーマは てんがらもんラジオ 現役のバスガイド向井明美が語った 佐野常民について まとめた次第である

 

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歓びと 悲しみ同時 涙落ち   生きていると言うことは・・・

2018年12月13日 05時54分51秒 | うたごえ

朝のうちは雨 下町のうたごえが始まるころは止んで晴れ間が見え始めた

93名の方が集まる 新しい方もお見えになり いつも 会場いっぱいの笑顔と笑いと歌声だ

いよいよですね と誰彼となく私に言う そう 今度の土曜日が私の夢であった 孫娘の結婚式である

 

皆さんの支えがあって 健康な身体で出席できることが感謝なのですよと こう言うと 先生おめでとうと声がかかり拍手される

そして 夢の一つ そこでピアノ演奏することになりました 更に割れんばかりの祝福の大拍手を浴びた

幸せな私が居る 先生 来週は何を弾いたか 様子など聞かせてくださいなど 口々に言う

 

 

うたごえを続けてきて 皆さんと仲間のような存在 心も弾むものがある

先ずは きよしこのよる 私が中学一年の頃 兄や両親がクリスチャン そんな関係で クリスマス聖歌隊のメンバーになった

聖歌隊と言っても あの格好良いものでは無い 信者の家を夜12時近くに周り 外で讃美歌を歌うのだ

 

小さく切った紙の中心に穴を開け ローソクに火を点けて片手に持って歌う

歌は きよしこのよる もろびとこぞりて 牧人ひつじを ああベツレヘムよ などコーラスで歌った

但し 私は どうにも信者になれず 無精者のげんざいの私で ここに立っていますと笑う

 

 

リクエストのさざんかの宿 不倫の歌詞ですがメロディは好きです これからが解説

大体 男と言うものは 潜在的に浮気心を持っているのです 芸の為なら遊びなはれ と 昔の女性は言ったとか?(笑)

でもね 男は 母ちゃんにすまないと心に詫びて ひと時 浮気をするものです

 

ところが女性は違う 父ちゃんが悪いからこうなると人のせいにする ここが大きく違うんだな 皆さん大笑い

この話 私のことじゃないからね あくまで と強調すると大爆笑 しばらく笑いが止まらない

こんな話をしながら 始まる前に聞いた 悲しいことを皆さんに告げねばならないと心で葛藤していた

 

 

話すのを止めようか 話したら みんなシーンとなって 涙する人も出てくるだろう

私も 涙が出てしまいそうだった この場は なんとしても明るくしなければ 楽しいうたごえでは無くなってしまう

ここにも たびたび紹介してきた88歳の男性 大のうたごえファンで 本所も亀戸も いつでも参加する方であった

 

『たんぽぽ』 の歌のリクエストがあれば 彼は前に出てきて 部分的ではあるが 手話で歌詞を表現 皆さんに教えてきた

お酒も好きだが 周りを明るくする性格で 誰からも愛されていた 語学も活かして浅草辺りで 観光ボランティアもしてきた

そんな彼が突然 8日 この世を去った 先週には 歌声喫茶にも顔を出して元気だったと聴いて安心していたのである

 

おれは癌なんだと言われてから 5年は経っただろうか 全然そんな気配は感じられなく 私が曲の解説をすれば たまには突っ込む

逝去の話をすると 皆さん一様に悲しみの顔になった 早くも涙をふく方も出て 私もポロリと涙ぐみそうなのを堪える

皆さん 悲しんではいけません 彼は うたごえを心から愛して 亡くなる寸前まで 歌っていたのですよ

 

自分の好きなことで生涯を終われるのなら こんな素晴らしいことはありません

しかも入院で長く寝込むことも無く 誰にも迷惑をかけずに逝ったのです

それまで いつも明るく誰にでも接していたこと 見習いましょう 生きていることは大切 その時間は笑顔でありたいですね

 

 

それでは 供養のために そして 彼への感謝のために歌いましょう もちろん 『たんぽぽ』

こうしてだんだん明るい いつものうたごえに戻って行ったが どうしても伴奏しながら 彼の笑顔が浮かんでしまう

しかし 私たちは生きている みんなで支え合いながら 笑顔になろうよ その笑顔が 他の方にも伝わって行くために

 

 

リクエスト36曲

きよしこのよる 雪 雪の降る街を 贈る言葉 母さんの歌 鐘が鳴る丘 銀色の道 冬の星座

見上げてごらん夜の星を 北の旅人 高原の宿 古城 坊がつる賛歌 たんぽぽ

琵琶湖周航歌 小さなスナック 津軽の花 ずいずいずっころばし トランペットをこわしちゃった

 

南国土佐を後にして 花言葉の歌 ひばりの花売り娘 オールドブラックジョー 南の花嫁さん

美しき天然 小さな木の実 切手のないおくりもの うさぎとかめ からたち日記 学園広場

ないしょばなし ソーラン渡り鳥 美しい十代 月がとっても青いから めんこい仔馬 さざんかの宿

 

 

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眼に見えぬ 鹿児島ファン 増やしたい  そんな会議が東京で開催された(ニュースから)

2018年12月12日 09時02分26秒 | うたごえ

寒い 夜中にトイレに起きると ぶるぶるっと身震いする寒さ 慌てて布団にもぐっても しばらくは寒気がするほどだ

風邪だけは 引きたくない 私が弾きたいのはピアノだけ 昨日も介護施設で 高齢の皆さんに笑顔と元気を届ける

今日は 下町のうたごえ 天気も持ちそうで 100名以上の皆さんと会えるし 土曜日は 孫娘の祝宴でピアノを弾く

 

さて 何気なく読んだスポーツ紙面に こんな記事が出ていた

東京で 『鹿児島市シティプロモーション懇談会』 が開かれたのだ

鹿児島が都市としての認知度を高め 鹿児島ファンの拡大を目指すためとある

 

 

市民と地域外から 何らかのかかわりを持つ人々を指す 関係人口 の一体化したプロモーション戦略を策定する とある

何やら表現が 有識者らしく 庶民には分かりづらい言葉だ 

プロモーションとは コミュニケーションの一部であり、製品やサービスに対する意識や関心を高め、購買を促進するメッセージのこと

 

要は マーケティングなども考慮して 鹿児島をもっと知って貰おうと言う会議である

そこで私はハタと思い当った 何かを忘れては居ませんか? 地元に眼を向けて見ませんか? と言いたいのだ

そう 『てんがらもんラジオ』 の存在である FM銀河全体では 分からないが この番組が貴重な鹿児島発信源であることを・・・

 

 

 

いま まさに大河ドラマ『せご(西郷)どん』 が いよいよ最終回を迎える 全国でも多くの方が観てきた

東京・上野にある 西郷隆盛銅像の除幕式で 『西郷は こんな方ではない』 と号泣した 妻・糸さんのシーンから大河は始まった

さすがは大河の影響 鹿児島ファンも一気に増えたことは喜ばしい

 

 

しかし 何年も前から 小さなFM局で 『てんがらもんラジオ』 の果たしてきた役割を このプロモーション会議でも忘れて欲しくない

ラジオ放送は一方通行である 楽しさや 知識を知ったり 音楽に癒されたりするが それで終わるのが通例である

しかし パーソナリティの努力もあって この番組は 東京人の一人である私にも 密接な友情をはぐくんできた

 

それは てんがらもん愛であり 鹿児島愛へと拡がり 今では 鹿児島の旅や歴史 伝統文化についても 興味は深くなった

ひとたび SNSでのブログ発信をすれば 閲覧する読者は 北海道から九州に至るまで 果ては アメリカ カナダの読者も居る

コメントをされる方 閲覧だけでも かなりの数の方が 鹿児島 に触れるのだ

 

更には 私だけではない リスナーである方々が それぞれ違った立場で発信し その読者も数多くいる

こうして 番組へのコメントだけに限らず パーソナリティの方とも交流を深めて行く とてつもない宣伝効果にもなっていることだ

てんがらもんプロモーションをのあることを それが鹿児島発信地であることを 有識者は忘れてはならない

 

 

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