大学時代、友人と北海道に行った。金沢まで行き、ユースホステルで一泊。金沢は暑かったが、民営のユースホステルの女の子が可愛かったのが印象的だった。
翌日、今はもうない「急行・しらゆき」青森行に乗る。ディーゼル急行で、長距離を走る為、ディーゼルエンジンの熱の性か、新潟県に入って、冷房が故障、暑いのを我慢し、青森まで行った。
当時、まだ「青函トンネル」などなく、「青函連絡船」に乗って、函館に上陸。函館山に夜景を見る為に上った。肉眼で見た夜景は本当に美しかったが、若い女性が二人、夜景に「フラッシュをたいて写真を撮って」いた。我が友人の一人はお節介な事に、彼女達のところにスタスタと行き、「夜景はフラッシュをたいても写りませんよ」とアドバイス。彼女達は、彼の助言に気を悪くして、立ち去った。このブログに載せる写真でもそうだが、対象物に「フラッシュの光が当たって跳ね返ってくる」から暗いところでも写真が撮れるのである。何キロも下の函館の町に「コンパクトカメラのフラッシュ」が届くはずも無く、彼の助言は全く正しいのだが、そのシーンが今日突然帰宅途中によみがえって来た。なんか可笑しかったのだろう。
結局、その旅は、北の果て、「稚内」にも行き、今はもう無いが、元「カレーショップ」で、「ユースホステル」になった「稚内ユース」に泊まった。ここは夕食は毎日、「カレーライス」。それがポリシーなのだろう。
「阿寒湖のユース」では定員オーバーで、予約していたにも関わらず、食堂のテーブルの下に布団を敷いて寝た。「白老のユース」は、いろんな楽しい遊びを泊り客でやり、就寝時間も決まっていないので、自由満喫できた。
「広尾のユース」では、泊まった翌朝、当時まだ走っていた「広尾線」の車内から手を振ると、「ユースの人達」が見えなくなるまで手を振ってくれたのが印象的だった。
今は「ユースホステル」という宿泊施設はあるのだろうか。まだ、「学生が貧乏だった時代」「援助交際など無かった時代」・・・「心は豊かな時代」だったと思う。
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html
翌日、今はもうない「急行・しらゆき」青森行に乗る。ディーゼル急行で、長距離を走る為、ディーゼルエンジンの熱の性か、新潟県に入って、冷房が故障、暑いのを我慢し、青森まで行った。
当時、まだ「青函トンネル」などなく、「青函連絡船」に乗って、函館に上陸。函館山に夜景を見る為に上った。肉眼で見た夜景は本当に美しかったが、若い女性が二人、夜景に「フラッシュをたいて写真を撮って」いた。我が友人の一人はお節介な事に、彼女達のところにスタスタと行き、「夜景はフラッシュをたいても写りませんよ」とアドバイス。彼女達は、彼の助言に気を悪くして、立ち去った。このブログに載せる写真でもそうだが、対象物に「フラッシュの光が当たって跳ね返ってくる」から暗いところでも写真が撮れるのである。何キロも下の函館の町に「コンパクトカメラのフラッシュ」が届くはずも無く、彼の助言は全く正しいのだが、そのシーンが今日突然帰宅途中によみがえって来た。なんか可笑しかったのだろう。
結局、その旅は、北の果て、「稚内」にも行き、今はもう無いが、元「カレーショップ」で、「ユースホステル」になった「稚内ユース」に泊まった。ここは夕食は毎日、「カレーライス」。それがポリシーなのだろう。
「阿寒湖のユース」では定員オーバーで、予約していたにも関わらず、食堂のテーブルの下に布団を敷いて寝た。「白老のユース」は、いろんな楽しい遊びを泊り客でやり、就寝時間も決まっていないので、自由満喫できた。
「広尾のユース」では、泊まった翌朝、当時まだ走っていた「広尾線」の車内から手を振ると、「ユースの人達」が見えなくなるまで手を振ってくれたのが印象的だった。
今は「ユースホステル」という宿泊施設はあるのだろうか。まだ、「学生が貧乏だった時代」「援助交際など無かった時代」・・・「心は豊かな時代」だったと思う。
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html