お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

手塚治虫さんの名刺。

2006年11月07日 | 本・雑誌・漫画
まだ、高田馬場の商店街の二階にあった「手塚プロダクション」に初めて打ち合わせに行った時、三畳くらいの狭い応接室で手塚さんを待っていた。当時25歳の僕。ドキドキだった。

手塚さんが現れた。とても優しく声をかけてくれた。短い時間だったが、打ち合わせをした。なんと幸せな事だろうと「夢の世界」にいる様な気分。

ロケの日を一日もらい、手塚さんの生まれ育った宝塚から大学時代を過ごした大阪市内まで5箇所を訪ね歩いた。宝塚の家の跡。宝塚歌劇場への道。宝塚ホテル。今は無き、四ツ橋の電気科学館。そして、手塚さんが昭和20年4月、焼け野原の中で日本のアニメを初めて観た大阪松竹座。

1991年、僕は結婚した。手塚さんと同じ「宝塚ホテル」で。このホテルのドーナッツは美味しい。

明日・・・いや正確には今日の「NHKスペシャル」では「木下恵介・ラストメッセージ」を放送する。この番組も楽しみにしている。

まとまらない文章を書いてしまったが、徒然なるがまま・・・生きていく・・・つもり。
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NHKスペシャル・ラストメッセージを観て。

2006年11月07日 | テレビ番組
昨夜、午後9時から放送していた。「手塚治虫」が遺したラストメッセージ。亡くなる三ヶ月前、大阪・池田市の小学校で講演した時のVTRが残っていた。今の時代にこそ、生きていて欲しかった。生きておられれば、77歳。「火の鳥」は完結しただろうか。番組を観ていて、手塚さんは生き急いだという気持ちを抱いた。

この「火の鳥」は僕がディレクターデビューをした1985年3月21日、生放送が終わって、手塚さんに出演のお礼を言っていると、プロデューサーが入ってきて、今日が僕のデビューという事を手塚さんに伝えたら、さっと僕の手の中にあった番組の台本を取って、15秒位で描いて下さったもの。自宅の机の前に額に入れて大切に飾ってある。これ見ると「元気」を貰える。「生きている事」を実感できる。最近、連続アニメ『ブラック・ジャック』がテレビでも放送され、そのアニメを見た子供達が手塚漫画を読み、手塚さんの伝えたかったメッセージを知らないうちに心に刻みつけてくれたらいいなぁと思う。

でも、もっと「手塚漫画の新作」が読みたかった。僕は。手塚さんは今の日本をどんな風に描くのだろうか・・・
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