クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を観て来た。2時間15分。ちょっと、長いかなぁ~と思いつつも、今日は忙しくて昼食も取れず空腹だったので、「寝る事は無いだろう」と丸の内ピカデリー1の7時からの回を観た。
昨年、『ミリオンダラーベビー』を書いたポール・ハギスと監督したイーストウッドのコンビだから、期待は膨らむ。ただ、12月公開の、同じ硫黄島の激戦を日本側から描いた『硫黄島からの手紙』(監督はイーストウッド。76歳で4時間以上の映画を撮るのは凄いエネルギーだと思う)との対になっている作品なので、「戦争映画」という先入観を持っていた。しかし・・・これが違うのである。ポール・ヒギスの脚本の素晴らしさ、イーストウッドの演出の大胆さと繊細さ。全く退屈する事無く、見終える事ができた。実話である。映画館はガラガラだった。たくさんの人に観て欲しい映画だ。
マリオンで映画を観ると、有楽町駅に向かう途中にある「マツモトキヨシ」で、「BOWS限定版」を買う事にしている。2箱で9800円。これは安い。普通に買うと、1箱で8800円するのである。レジのおねえちゃんが会計をしながら、「出すだけでなく、燃やすのも大切ですよ、お客さん。私はこれで6キロ痩せました」と「和サプリ」の赤い箱を指差す。店を出てから、「和サプリ」も買っとこうかなと思ったが、ちょっと恥ずかしかったので止めた。
京王線は夕方の人身事故で遅れていて、夕食は午後11時。
そうそう、モバイルパソコン用に使っていたPHSを今日、解約。パソコンが壊れて、ドコモに相談したら、継続割引があるから近々にモバイルパソコンを買うのなら、情報伝達用の携帯電話に替えた方がいいと言われていたのだが、今日、昼間、コンピューターに詳しい人に、仕事の打ち合わせの後、訊いてみたら、ドコモの情報伝達用携帯電話には「定額制」が無いそうで、膨大な通信料がかかると言われ、即決でドコモは解約。今は2007年1月30日に発売の決まった「Windows Vista」まで待つかどうか迷っている。モバイルパソコンでは、その機能はあまり活かせないという事も同じ人に聞いた。年末年始の休みに帰省して、ブログを書いたり、メールチェックするのに、やっぱりモバイルパソコンは欲しいなぁ~と気持ちは揺らぐばかり。
クリント・イーストウッド(Clint Eastwood, 1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州、サンフランシスコ生まれの映画俳優・監督。二度のアカデミー作品・監督賞受賞などから現代アメリカを代表する監督と目されている。
息子にベーシストのカイル・イーストウッドがいる。
来歴
不遇
オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、陸軍に入隊するが、除隊後はアルバイトをしながら、ロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。
1950年代はユニヴァーサル映画と契約を結ぶが、しばらく端役ばかりを与えられ、不遇の時代を過ごす。
1958年にCBSのTV西部劇『ローハイド』でカウボーイのロディ役で世に知られるようになる。
カウボーイ役者
1964年にはイタリアのセルジオ・レオーネ監督に招かれて、マカロニ・ウェスタンの先駆的作品『荒野の用心棒』に出演。その後『ローハイド』の撮影が休みの時期に、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演することになる。当時のアメリカではイーストウッドはテレビのカウボーイ役者というのが大方の評価で、ヨーロッパでの人気が先行した後、マカロニ・ウェスタン俳優イーストウッドが逆輸入された形となった。それで、ヨーロッパでの(日本でも)人気から、イーストウッドはアメリカに居ながらにして本国に凱旋帰国することとなった。『マンハッタン無宿』でドン・シーゲル監督と出会い、再びシーゲルと組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドの人気を決定的にし、又この役は彼の代名詞ともなった。
映画監督
1968年には、マルパソ・カンパニーを設立。
1971年には『恐怖のメロディ』で監督も果たしている。以後、『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を発表。
他のハリウッド・スターと違い、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級ともいえる作品のみに主演し、鳴り物入りの大作やアカデミー賞に関わる作品に出演することなく、スターとしての地位を確立していく。
1992年には、『許されざる者』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞。この頃からアカデミー賞の常連となり、『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー監督賞を受賞。前述の2作では主演男優賞にもノミネートされている。かつては芸術や作家性とは無縁の監督も兼ねる映画スターと見られていたが、後に以前の作品に対する評価も高まり、今やアメリカを代表する映画監督の一人である。
2005年から撮影を始めた太平洋戦争時、1945年の硫黄島の戦いを題材にした映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』では、アメリカ軍の目線(父親たちの~)と日本軍からの目線(硫黄島からの~)という異なった作品を同時に制作する、新たな手法に挑戦した。この名声から、2006年1月には南京大虐殺を描くという『南京・クリスマス・1937』の監督に抜擢されたというデマが流れた。
多才
監督・俳優業以外にも彼の才能は多彩で、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』では、その音楽担当のクレジットにも彼の名がある。
1997年には「テハマ」という名のファッションブランドを共同経営者として立ち上げている。「テハマ」はネイティブインディアンの言語で「大自然」という意味。彼が所有するゴルフコースの名前でもある。
1986年から約2年間、カリフォルニア州カーメル(en:Carmel-by-the-Sea)の市長を務めた。
主な出演、監督、製作作品
『荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari』(1964年)監督:セルジオ・レオーネ
『夕陽のガンマン Per Qualche Dollaro In Piu』(1965年) 監督:セルジオ・レオーネ
『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 Il Buono,Il Brutto,Il Cattiivo』(1966年) 監督:セルジオ・レオーネ
『奴らを高く吊せ! Hang 'em High』(1968年)
『マンハッタン無宿 Coogan's Bluff』(1968年)
『荒鷲の要塞 Where Eagles Dare』(1968年)
『ペンチャーワゴン Paint Your Wagon』(1969年)
『真昼の死闘 Two Mules For Sister Sara』(1970年)監督:ドン・シーゲル
『戦略大作戦 Kelly's Heroes』(1970年)
『白い肌の異常な夜 The Beguiled』(1971年)
『恐怖のメロディ Play Misty For Me』(兼監督)(1971年)
『ダーティハリー Dirty Harry』(1971年)
『シノーラ Joe Kidd』(1972年)
『荒野のストレンジャー High Plains Drifter』(兼監督)(1973年)
『愛のそよ風 Breezy』(監督)(1973年)
『ダーティハリー2 Magnum Force』(1973年)
『サンダーボルト Thunderbolt And Lightfoot』(1974年)監督・脚本:マイケル・チミノ
『アイガー・サンクション The Eiger Sanction』(兼監督)(1975年)
『アウトロー The Outlaw Josey Wales』(兼監督)(1976年)
『ダーティハリー3 The Enforcer』(1976年) 監督:ジェームズ・ファーゴ
『ガントレット The Gauntlet』(兼監督)(1977年)
『ダーティファイター Every Which Way But Loose』(1978年)監督:ジェームズ・ファーゴ
『アルカトラズからの脱出 Escape From Alcatraz』(1979年)脚本:リチャード・タッグル
『ダーティファイター 燃えよ鉄拳 Any Which Way You Can』(1980年)
『ブロンコ・ビリー Bronco Billy』(兼監督)(1980年)
『ファイヤーフォックス Firefox』(兼監督)(1982年)
『センチメンタル・アドベンチャー Honkytonk Man』(兼監督)(1982年)
『ダーティハリー4 Sudden Impact』(兼監督)(1983年)
『タイトロープ Tightrope』(1984年)監督:リチャード・タッグル
『シティヒート City Heat』(1984年)
『ペイルライダー Pale Rider』(兼監督)(1985年)
『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 Heartbreak Ridge』(兼監督)(1986年)
『バード Bird』(チャーリー・パーカーの愛称)(監督)(1988年)
『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』(製作総指揮)(1988年)
『ダーティハリー5 The Dead Pool』(1988年)
『ピンク・キャデラック Pink Cadillac』(1989年)
『ホワイトハンター ブラックハート White Hunter Black Heart』(兼監督)(1990年)
『ルーキー The Rookie』(兼監督)(1990年)
『許されざる者 Unforgiven』(兼監督)(1992年)
『ザ・シークレット・サービス In the Line on Fire』(1993年)
『パーフェクト・ワールド A Perfect World』(兼監督)(1993年)
『マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County』(兼監督)(1995年)
『真夜中のサバナ Midnight In the Garden of Good And Evil』(監督)(1997年)
『目撃 Absolute power』(兼監督)(1997年)
『トゥルー・クライム True Crime』(兼監督)(1999年)
『スペース・カウボーイ Space Cowboys』(兼監督)(2000年)
『ブラッド・ワーク Blood Work』(兼監督)(2002年)
『ミスティック・リバー Mystic River』(監督)(2003年)
『ピアノ・ブルース Piano Blues』(監督)(2003年)製作総指揮:マーティン・スコセッシ
『ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby』(兼監督)(2004年)
『父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers』(監督)(2006年)
『硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima』(監督)(2006年)
ポール・ハギス(Paul Haggis,1953年3月10日 - )はカナダ・オンタリオ州出身の映画監督・脚本家・プロデューサー。主にハリウッドで活躍している。
「炎のテキサス・レンジャー」や「騎馬警官」、「L.A.ロー」などのテレビシリーズの監督・脚本・プロデュースを手がけ、エミー賞を受賞するなど高い評価を得る。映画脚本としては初めての「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー賞にノミネート。翌年、自身が監督した「クラッシュ」でアカデミー脚本賞を受賞した。
監督作品
クラッシュ Crash (2004)
脚本作品
クラッシュ Crash (2004)
ミリオンダラー・ベイビー 'Million Dollar Baby (2004)
007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale (2006)
父親たちの星条旗 The Flags of Our Fathers, (2006)
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