お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

チェ・ジンシルさん、自殺前最後のインタビュー

2008年10月04日 | 映画・DVD・ビデオ
 「これからは穏やかに過ごしたいです」


 チェ・ジンシルさんは亡くなるまで、記者と時折電話でやりとりしていた。最後に電話で話したのは1日。チェ・ジンシルさんは落ち着いて淡々とした声で語った。最後のインタビューでも、彼女は作品に対する希望や情熱を失っていなかった。


 チェ・ジンシルさんは「今年は年末にドラマ『人生最後のスキャンダル』シーズン2の撮影があります。このドラマでもう一度演技に没頭したいです」と固い意志を語っていた。


 だが、電話で話していた間ずっと、彼女の声は憂いを含み、沈んでいた。「チェ・ジンシルは自殺したアン・ジェファンに25億ウォン(約2億2000万円)を貸していた。名義上の社長を立て、その裏で貸金業を手がけている」といううわさが最近飛び交い、悩まされていたためだ。


 チェ・ジンシルさんは「芸能人がうわさに苦しめられるのは、どうしようもない宿命のようなものです。わたしも19年間うわさに苦しめられてきました。それでも今回のうわさは度が過ぎていると思います。傷つくのがわたしだけならまだ許せますが、今回のうわさで(アン・ジェファンさんの妻でタレントのチョン・)ソニや、アン・ジェファンさんの関係者が取り返しの付かないほど傷ついています。本当に穏やかに過ごしたいのに、世の中というのは自分の思い通りにいかないものですね」と語った。


 「健康上の問題は?」と尋ねると、チェ・ジンシルさんは明るい声で「大丈夫です。いつもプラス思考で生きようと頑張っていますから。子供たちのためにも、病気になっている暇はありません」と笑う余裕も見せた。


 しかし、うわさが流れたことで、後輩のチョン・ソニに申し訳なく思っているという。「ソニがつらい思いをしているとき、寄り添って手を握ってやることもできなくて申し訳ないと思っています。もしかしたらまた、新たなうわさが立つのではないかと思うと、そばにいてあげられないのです。だから、子供たちと家から出ずに静かに過ごしていました。息苦しくて、とてもストレスがたまりました」と涙声になった。


 記者が「来月の青龍映画賞授賞式には是非姿を見せて」と頼むと、チェ・ジンシルさんは「今年映画に出たわけではないので…もし来年映画に出たら、次の授賞式には必ず出席しますよ」と努めて明るく答えていた。


 チェ・ジンシルさんは電話の終わり際になると、いつも前向きで優しい言葉をかけてくれた。「わたしのせいでご苦労なさっているんでしょ? 世の中が静かになれば、焼酎でも一杯飲みましょうよ。本当に楽な気持ちで人生についていろいろ語り合いましょう」と言い、笑い声を聞かせてくれたのが最後だった。
(スポーツ朝鮮/朝鮮日報日本語版より引用)
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芸能人には、人に話せない悩みがあったり、精神的不安があるのかもしれない。
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福山雅治:昨夜はタモリと飲んでた 映画「容疑者Xの献身」舞台あいさつはパニック状態

2008年10月04日 | 映画・DVD・ビデオ
 ヒットドラマ「ガリレオ」(フジテレビ系)を映画化した「容疑者Xの献身」(西谷弘監督)が4日封切られ、主人公の天才物理学者・湯川学を演じた俳優で歌手の福山雅治さん(39)、女優の柴咲コウさん(27)らが東京・銀座の映画館で舞台あいさつを行った。福山さんらは劇場後ろの扉から登場し観客席の間の通路を通って舞台へ向かったが、興奮した観客にもみくちゃにされ、劇場はパニック状態に。初の舞台あいさつという福山さんは「(もみくちゃにされたのは)まったくもって予想外。手が痛いです。なんてことをしてくれたんですか」と驚いた様子だったが、「みなさんの熱意、思い、届きました」と笑顔で話した。

 20年ぶりの映画出演で、初主演となった福山さんは公開初日を控えた昨晩の過ごし方について、「緊張して眠れなくなるかもしれないと考え、(テレビ番組で共演したあと)タモリさんと飲んでいました」と明かした。一方、共演の堤真一さん(44)は「1人で飲んでいました。家で。KOH+の『最愛』のDVDを何度も見ながら」と、福山さんとは対象的な過ごし方を告白し、会場の笑いを誘っていた。また、柴咲さんは「(テレビドラマの撮影を含めた)1年間はあっという間で、今日でそれが終わりだと思うと少しさみしい気持ち」と名残り惜しい心情を告白し、「一番大切なのは、皆さんの心の中に映画が残ることだと思います」とあいさつ。

 映画は、東野圭吾さんの直木賞受賞作が原作。ある日、男性が絞殺される事件が発生。被害者の男性には別れた妻(松雪泰子さん)がおり、彼女にはアリバイがあった。新人刑事・内海薫(柴咲さん)は、元妻の隣に住む石神(堤真一さん)が湯川と同じ大学の出身と知り、湯川に捜査協力を求める。湯川は、自分が「本物の天才」と認めるかつての親友、石神が事件のウラにいるのではないかと推理するが・・・というストーリー。映画の主題歌「最愛」は、福山さんと柴咲さんのユニット「KOH+」が担当している。【内田剛樹】
(毎日新聞より引用)

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
文藝春秋

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最愛(DVD付)
KOH ,福山雅治,井上鑑
UNIVERSAL J(P)(M)

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映画『容疑者Xの献身』主題歌


福山雅治×柴咲コウ 超大型プロジェクト奇跡の復活!!


2007年の大ヒットドラマ「ガリレオ」の主演コンビ、福山雅治と柴咲コウによる超ビッグプロジェクト"KOH+"が奇跡の再始動!

この『最愛』でも作詞・作曲・プロデュースを福山雅治が、ヴォーカルを柴咲コウが担当。
福山雅治が、映画とそして柴咲コウの歌をイメージして作ったという「最愛」のテーマはずばり
"愛"。


献身的な純愛ソングともいうべき、究極のバラードが完成!

アーティストについて
ドラマ「ガリレオ」シリーズに主演した福山雅治と柴咲コウの二人によって結成された
スペシャルユニット。

ドラマ「ガリレオ」の主題歌『KISSして』は、30万枚を超えるセールスを記録する大ヒットに。

今回、「ガリレオ」シリーズの映画版『容疑者Xの献身』公開に伴い、奇跡の復活を遂げる。

容疑者Xの献身 カツラ疑惑



原作は面白かった。「容疑者」の描き方が勝負だと思う。
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難民支援で第18回イーハトーブ賞を受賞した国連職員 高嶋由美子さん 38歳

2008年10月04日 | 旅・外国
 宮沢賢治にちなみ、岩手県花巻市が創設したイーハトーブ賞。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)http://www.japanforunhcr.org/index.htmlの職員として、「雨ニモマケズ」の精神、献身的活動が評価された。

 今年1月、ケニア難民のための避難所をウガンダに設けた。約2000人が暮らすテントを回ると難民から切実な声が次々と上がった。「定住できる地に移りたい」「祖国に帰りたい」

 持ち前の行動力を発揮して、ウガンダ政府高官に定住キャンプ地探しを訴えた。約100キロ離れたケニアにも足を運び、政府に安全確保を要望。他国の大使の力も借りるなど根気強く進め、5月に国内移住とケニアへの帰還を実現させた。「声に耳を傾け、あらゆる手段を駆使するのが私の役目」と、難民の気持ちに沿った支援を心がける。

 「熱い心と冷たい頭を持て」。つらいときは、元弁務官の緒方貞子さんのモットーを自らに言い聞かせる。

 東京都出身。これまでスーダンやミャンマーなど計9か国に赴任してきた。「次はより切迫した危険地域に行きたい。でも、そろそろお嫁にも行きたいし……」。悩ましげに笑った。(社会部 朝来野祥子)
(読売新聞より引用)

茂木健一郎のブログより↓

プロフェッショナル 仕事の流儀 

人は強い、希望は消えない
~ 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ウガンダ・リラ事務所長 高嶋由美子 ~http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080527/index.html

高嶋さんのお話をうかがって、
難民キャンプというのは
人の生命力がもっとも輝く
場所なのだということを学んだ。

昨日まで社長だった人。
大きな家に住んでいた人。
地域社会の中で、濃密な
人間関係を築いていた人。

突然何もかも失って、
裸一貫となる。

他の人たちといっしょに
難民キャンプで暮らす。

そのような「ゼロ」の状態
において、むくむくと
わきあがってくる人間の力。

難民という、この地上に
時折訪れる過酷な運命に向き合う
ことは、私たち自身の生命を
育む上でもどうしても必要な
こと。

高嶋さんの笑顔を見て下さい!

そして、元気になってください!


僕は、この放送を観て、彼女の顔の輝きを見て深く感動した。元気を貰った。



ウガンダ/高嶋由美子 緊急報告
ウガンダのUNHCRリラ事務所の高嶋由美子所長が、NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2008年5月27日放送)に出演するために、3ヶ月ぶりに一時帰国しました。ウガンダの現況と、1999年から関わってきたフィールドでの援助活動を振り返って、お話を聞きました。(2008年5月22日)

2007年末に行われたケニアの大統領選挙の混乱により、ケニアから多くの人々がウガンダに逃げ、高嶋さんがその緊急対応の陣頭指揮をとっていましたが、現在の状況はどうでしょうか?
ケニアからの難民が避難生活を送っていたムランダ(Mulanda)の一時避難センターは、2008年5月10日に閉鎖されました。ケニアへ帰りたいと希望した人たち322名はケニアに帰り、ふるさとの情勢や諸々の事情により帰還を望まない人たち2011名は、他のキャンプに移動しました。

ウガンダの内戦による国内避難民の状況はどうでしょうか?
2008年3月31日に、ウガンダ政府は、「国内に避難生活を送っている人はいなくなった」と正式に発表しました。しかし実際のところ、UNHCRが支援している国内避難民はまだおよそ6,000名います。現在、今後の希望やニーズについて聞き取り調査を行っているところです。6月末にはリラ事務所も閉鎖される予定で、私自身は7月1日から首都のカンパラにある事務所に異動します。カンパラ事務所は現在、人道援助から開発援助への移行期にあり、UNHCRは、各機関が連携して支援にあたるなかで支援の行き届いていないところはないかをモニターしながら援助活動にあたっています。例えば、帰還先の村が水不足で困っている場合には水を浄化できるようなシステムを整備しています。

ところで、高嶋さんは1999年からUNHCRの難民援助活動に関わっていますが、そもそもこの世界に入るきっかけは何だったのですか?
私は、大学院の博士課程後期で集団虐殺(Genocide)について研究していました。あるとき、自分の研究について発表する機会がありました。そこに、ルワンダの集団虐殺を生き延びた人がゲストスピーカーとして招かれていたのですが、その人の話を聞いたことがきっかけでした。実際にあった話に大きなショックを受けただけでなく、自分がさまざまな資料をもとに行っている研究では何かが足りないと強く感じました。学業としてではなく、現地に数年滞在して、もっと多角的に物事を知りたいと思ったのです。すぐに、担当教官に相談に行ったところ、ぜひ現地に行ったらいいと薦められました。学生としてよりは仕事で現地に赴くほうがいろいろなことに関われるのではと思い、まずはJPO(注)としてスーダンに派遣され、UNHCRの難民援助活動に関わるようになりました。
(注)各国の政府が給与などの諸経費を負担して国連職員を目指す人に国際機関での職務経験を提供する派遣制度

スーダンで勤務された後はどの国で勤務されたのですか?
スーダンで2年、タイで1年、2002年から2年間は、アフガニスタンのカブール事務所でフィールドオフィサーとして、アフガン難民のふるさとへの帰還や定住促進のための援助活動に携わりました。その後2006年まで、ケニアのダダーブという場所にあって、主にソマリア人が避難生活を送る難民キャンプで、長期化した難民キャンプでの援助活動を経験しました。またその間、東ティモール、カンボジア、南スーダンなどの緊急援助でもミッションに参加しました。

厳しい援助活動の中で、大切にしていることは何かありますか?
第8代高等弁務官だった緒方貞子さんがかつておっしゃっていた、「熱い心とクールな頭脳を持って」ということをいつも心がけています。なぜなら、難民支援の現場では、ただ自分が努力してがんばることで満足しても意味がない。つまり、人間相手の仕事なので、結果が出ないと意味がないのです。それから、「できることは限られていても、聴くことならいくらでもできる」ということも大切にしています。人間つらいときに、誰か耳を傾けてくれる人がそばにいるというのは本当に嬉しいものですよね。つらいときに話しをすると楽になる。数々の苦難を生き抜いてきた難民も同じです。吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるのか』も私の人生のバイブル書です。落ち込みそうなときに、この本を読み返すたびに、またがんばろうと思わせてくれるのです。

現場では緊張の連続だと思いますが、リラックスする方法は何ですか?
料理を作ることが大好きです、味は自信がありませんが!現地では限られた食材しか手に入りませんが、あり合わせの材料を前に、あれこれ考えて美味しいものを作るのが最高の楽しみです。家では、毎日自分で料理をしています。あとは、スポーツで汗を流すのもいいですね。学生時代はテニスや水球に熱中していましたが、今はスカッシュを楽しんでいます。

日本の皆さんにぜひメッセージをお願いします。
まず「興味」をもってもらえればと思います。難民だから、アフリカだからというよりは、同じ人間として難民問題に興味をもってもらえたら嬉しいです。日本にも難民はいますが、自分と違うからと区別するのではなく、自分と違うからもっと知りたいと思えたら、最初の行動に踏み出せるのではないかと思います。また、日本UNHCR協会には、支援者の皆様から現地で活動するスタッフに向けて温かいメッセージが多数寄せられていることを知り、とても励まされました。ある支援者の方は、振替用紙に「私は98歳です。私もがんばりますので、皆さんもがんばってください。」と書かれてあったとうかがい、本当に胸が熱くなりました。

インタビュー後記
UNHCRの最前線では多くの日本人職員女性が活躍しています。ばりばりのキャリアウーマンというイメージがあるかもしれませんが、高嶋さんは料理が大好きとのことで、明るく家庭的な雰囲気をお持ちです。転勤の多いUNHCRでは、数年間休職して別の環境を体験する人も多いそうです。外で責任ある仕事を任されている分、男性は頼りになるタイプが好きという高嶋さん。どこまでもチャーミングな高嶋さんでした。

ちなみに、2008年5月28日から30日、横浜市で開催されるアフリカ開発会議(TICAD IV)の親善大使を務められる女優の鶴田真由さんは、なんと高校の同級生だそうです。


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ゴリラズ

2008年10月04日 | 歌・CD
公式サイトは→http://www.emimusic.jp/gorillaz/
D-SIDES~コング・スタジオの秘密~

EMIミュージック・ジャパン

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ゴリラズの正体は?????
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調布のフルーツショップに書かれていた貼り紙。

2008年10月04日 | エッセイ・日記・意見
いつ通っても、買っている人を見かけないお店。「粗品」って何だろう。フルーツショップに「粗品」は似合わない。先着、50名様というのも何だかなぁ~
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「日焼けサロン」の看板

2008年10月04日 | エッセイ・日記・意見
「日焼けサロン」の看板が「日焼け」していた。「そ~れ」という店名は何故付けられたのだろう。
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調布駅が地下化工事中。

2008年10月04日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
地上を走っている京王線の写真を撮っておこうと思い、踏切の真ん中から撮った。数年後には、「写真に写っている所」にはたくさんのビルとかが建つのだろう。
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結婚一年生 & この人と結婚していいの?

2008年10月04日 | 本・雑誌・漫画
結婚一年生
入江久絵
サンクチュアリ出版

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内容紹介
コミックエッセイで楽しく学べるいちばんわかりやすい結婚生活の教科書。
「お金」・「健康」・「マナー」・「家事」etc…をテーマに専門家を徹底取材。
いまさら人には聞けないけど、知っておきたい。
新婚の主婦に必要な情報をギュッと1冊に凝縮しました。

著者自身も新婚主婦であるため、一般読者に近い目線で書き下ろされています。

【コンテンツ例】
自分が買えるマイホームのお値段は?
パート収入130万円の壁って?
保険ってどうやって選べばいいの?
20、30代でも生活習慣病になるってホント?
ケガや病気のときの応急処置ってどうやるの?
義理の両親との上手な付き合い方は?
お見舞いに行くときのマナーって?
これって冷凍保存できるの?

この人と結婚していいの? (新潮文庫)
石井 希尚
新潮社

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内容(「BOOK」データベースより)
男はウルトラマン、女はシンデレラ―結婚カウンセラーとして数多くのカップルの問題を解決してきた著者が、男女の思考・行動の違いを、ユーモラスにわかりやすく解説!「結婚したら夫が急に無口に…」「突然怒ったり泣いたりする彼女が理解できない」「性生活が不一致で…」など、心当たりはありませんか?結婚前は勿論、倦怠期、破局寸前の夫婦にも効き目抜群の“愛の処方箋”。


僕は「結婚」って、「縁」だと思うし、人生最大級の「博打」だと思う。
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SPEED 3

2008年10月04日 | 歌・CD
2004年~2008年8月 主な動き
2006年
8月 1日、デビュー10周年記念サイト『SPEED 10th Anniversary』開設。
 デビュー10周年を記念して、TOY'S FACTORYが『SPEED 10th Anniversary』を開設した。竹内美保によるコメントのほか、デビューから一度目の再結成時までに発売された全シングル・アルバムの解説と収録楽曲の視聴(Instrumentalを除く)などのコンテンツがある。
5日、デビューから一度目の再結成時までに発売された全シングル・アルバムの収録楽曲が着うたにて配信開始。
 『うた@トイズファクトリー』を始めとする3つのサイトで(『レコード会社直営』では16日から)、デビューから一度目の再結成時までに発売された全シングル・アルバムの収録楽曲(Instrumentalを除く)が着うたにて配信開始された。
2007年
7月 再結成ではないが、中越沖地震の際には、『読売愛と光の事業団』を通し、4人の連名で義援金を寄付した。
2008年
8月 5日、デビューシングルから解散までの全楽曲が着うたフルで配信開始。
 SPEEDデビュー12周年記念として、『レコード会社直営フル』、『VISION☆フル』、『avexうた♪ミュゥモ』より4週連続でデビューシングル『Body & Soul』から解散までの全楽曲(Instrumentalは除く)が着うたフルで配信開始された。
27日、デビューシングルから解散までの全シングル曲がビデオクリップで配信。
 デビューシングル『Body & Soul』からラストシングル『Long Way Home』までの全シングル曲ががビデオクリップで配信開始された。


2008年8月 24時間テレビへの出演、完全復活へ
2008年
8月 20日、完全復活発表。
 2003年12月以来、4年8か月ぶりの3度目の再結成となり、これをきっかけに完全復活となった。今回は日本テレビ系列の『24時間テレビ31 愛は地球を救う』での再結成となった。きっかけは同番組のプロデューサーからの提案であった。1997年に特番で出会った難病を持つ女性が2007年に成人式を迎えたため、4人そろって再会しようと番組側が企画し内容が発展していった。この企画を聞いた今井が番組側に長男に聴力障害があることを打ち明け番組出演を希望し、今井自ら他の3人に出演を直訴した。
31日、SPEED完全復活。
 日本テレビ系列『24時間テレビ31 愛は地球を救う』の番組内にて、16時からミニライブを行い、完全復活を果たした。当初、所属事務所は「活動継続も視野に入れている」としていたが、この番組の放送終了後、日本テレビや所属事務所に活動継続を希望する電話やメールが相次ぎ、予想を大きく上回る反響であったため、グループの再始動が決まった。[1][2]


来歴(2008年9月~ 完全復活~現在)

2008年9月~ 第2章の幕開け
2008年
9月 24日、完全復活第1弾シングル発売発表。
 新曲の発売が報道され、各ニュース番組で新曲のレコーディング映像や特集が放送された。復帰第1弾シングルという事もあり、報道は大きかった。
11月 12日、15thシングル『あしたの空』発売。
 SPEEDとして5年ぶりのシングルである。


エピソード
特徴
ユニット名の由来
メンバーの今井絵理子が短距離走を得意とし、50mを7秒台で走るという駿足であったため。
デビュー
東京都中央区月島にある『上州屋』というもんじゃ焼きの店はSPEEDがデビューしてまだ間もないころ、毎週のように訪れていた。この店にはSPEEDの写真が飾ってあったりした。『解散直前!!SPEED』という番組で、SPEEDが解散前に『ミュージックステーション』で行われるラストライブの話し合いをするためにも訪れた。『解散直前!!SPEED』では、SPEEDが過去に『ミュージックステーション』に出演した際の映像などが放映された。
東京の謎
SPEEDが上京して間もないころ、当時の沖縄県では鉄道路線がなかったので、東京で電車に乗ろうとすると迷子になることが多かった。SPEEDのメンバー全員は「渋谷などで、なぜ地下鉄は地下にはなく、上にあるのか」が疑問だった。必ずハチ公前に出てしまっていたらしい。
渋谷などに買い物に行っても、ファンに追いかけられて買い物ができないことが多かった。だがメンバー全員「追われるのが面白い」、「スリルがある」と言って、追いかけられるのを当時は楽しんでいるようだった。それからはメンバーが2人以上で行動しているとファンに追いかけられるため、4人で買い物に行く際も集合場所と集合時間を決めて、4人バラバラで買い物をしていた。
明確だった役割分担
SPEEDは主に島袋、今井…ボーカル重視、上原、新垣…ダンス重視というスタンスを採っており個々の存在意義がハッキリしていた。
なお、例外として、新垣と上原がメインボーカルを務めた“ライブでのみ披露され未だCD化されていない楽曲”『リトルワールドへようこそ』等がある。
歌唱形態はユニゾンボーカル
SPEEDの歌唱形態は基本的には、シングル・アルバムの楽曲ほとんどが、今井絵理子と島袋寛子のユニゾンや二人の掛け合いの歌唱形態であり、バックコーラス(重唱)とバックボーカルの多くは、Melodie SextonとLeon Danielの2人である。これについてプロデューサーの伊秩弘将は「ユニゾンの方があの時期の少女のパワーとメッセージがよりストレートに伝わると信じていた」と説明している。
隠れたボーカル!?男女の黒人コーラス
SPEEDが憧れるミュージシャンに黒人コーラスグループ「TLC」がいる。その影響なのか大半の曲に男女の黒人コーラスが採用された。一部の曲ならまだしもここまで全面的に押し出すのは極めて稀である。しかもコーラスだけにとどまらずソロパートまでもが多数存在する(事実、デビュー曲『Body & Soul』の出だしと終わりは黒人パートである)。もはやヴォーカルメンバーと言われても何ら不思議はない。
SPEEDのPV
日本国外でのロケーション撮影のものが多く、1stシングル『Body & Soul』のPVもサンフランシスコで撮影され、メンバーは初の海外旅行を経験した。おもなロケ地は以下の通りである。
Body & Soul…サンフランシスコ、ロサンゼルス
Go! Go! Heaven…ニューヨーク、マイアミ
Wake Me Up!…フィリピン
ALL MY TRUE LOVE…アリゾナ州
Precious Time…ロサンゼルス
SPEEDは一度、脱走事件を起こしたことがある。仕事でロサンゼルスからハワイに行く時、ロサンゼルスがすごく楽しくて、ロサンゼルス空港でメンバー全員で逃げようと空港の外に出て行ったが、「帰って来い」と言われてメンバーは素直に戻って行った。
SPEEDはデビュー当時、よくミーティングを行っていた。喧嘩になることもしばしばあったが、次の日などには反省してまた仲直りしていた(メンバー全員談)。
番組出演
SPEEDが『HEY!HEY!HEY!』に出演した時、トーク中にダウンタウンの松本人志に頭を叩かれ、驚いた新垣が泣いてしまうという出来事があった。それから毎回SPEEDが出演する際に妙な空気が漂うことが多くなり、その事件後に番組からの配慮からかメンバーの位置を変えたりしたりしていた。新垣はSPEEDが解散するまでずっとこの出来事を引きずっていた。解散前のSPEEDとして最後に出演した際の『SPEEDが選んだHEY!HEY!HEY!思い出のVTR・BEST5』というコーナーではこの事件が堂々の1位になった。今井がソロで出演した時、ダウンタウンに「夏のツアーに来てください」と誘い、渋っていたため、松本に「仁絵ちゃんもいますよ」と言ったところ、松本は「僕は仁絵ちゃんのこと大好きなんですけど、仁絵ちゃん、僕のこと大嫌いですからね」とぼやいていた。
SPEEDは沖縄出身のため、雪を知らなかった。だが『これが日本の正月だ』という番組で、札幌北広島プリンスホテルファミリースキー場にて、初めて雪を体験した。
主な支持層は同世代の少女達
SPEEDは主に同世代の少女達に人気を博した。CD購入者は女性が中心、ライブでは黄色い声援が飛ぶ「新世代アイドル」と呼ばれた。従来のガールズユニットのコンサートはそれなりに女性の支持を得ている歌手でも現場では親衛隊が図太い声でコールを送るという光景が恒例化していたが、SPEEDについてはそれが見られなかった。そのため、芸能界では近年、SPEEDのファンだったという芸能人が続々とデビューしている。矢口真里、中島美嘉、ソニン、ベッキー、後藤真希、川嶋あい、上野樹里、松浦亜弥、石原さとみ、長澤まさみ、新垣結衣、堀北真希、相武紗季、玉置成実、上原奈美、リア・ディゾン、山本紗也加、Perfumeなどが有名で、その中でも矢口、ソニン、後藤、上野、松浦、新垣、玉置、上原、PerfumeはSPEEDに影響されて芸能界に入ったという。またリア・ディゾンは初めて手に取った日本のCDがSPEEDのCDで、それをきっかけにJ-POPを聴くようになったという。いずれも同世代かやや下の世代の少女達でSPEEDがこれらの世代に与えた影響力は計り知れない。
呼び名
SMAPの中居正広などからは時々、四姉妹(新垣→「長女」、上原→「次女」、今井→「三女」、島袋→「四女」)と呼ばれていた(『うたばん』出演時)。本人たちもたびたびブログなどで使っている。他にもメンバーそれぞれにニックネームがあり、島袋は「宇宙人(可愛い宇宙人のイメージ:今井談)」や上原の「うーちゃん」などがあった。とくに有名だったのが今井の「みかん星人(当時はみかんが好物で、1日約50個食べたこともあったため)」や、新垣の「腰振りマン(ダンスのときによく腰を振っていたため名づけられた:メンバー全員談)」などである。
解散後
2006年3月15日放送『世界仰天ニュース』内で女子高生100人に「初めて買ったCDは何ですか?」というアンケートが実施された。そこで発表された5位までにSPEEDの曲が3曲ランクインする結果となった。

1位『White Love』23人、2位『硝子の少年』10人、3位『STEADY』6人、4位『Body & Soul』5人、5位『だんご3兄弟』4人 〈補足〉

現役時代とソロ活動開始時の所属レコード会社はトイズファクトリーであったが、その後それぞれエイベックスに移籍した。
SPEEDという英語の語源は「成功」・「繁栄」という意味であり、彼女たちはまさに「名は体を現す」存在であったといえる。


今後も名曲を聴かせて欲しい。
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SPEED 2

2008年10月04日 | 歌・CD
1999年10月~ 突然の解散宣言、4人から一人一人へ
1999年
10月 5日、『SPEEDが2000年3月31日で解散する』との発表がある。
そもそもSPEEDはソロデビューには若すぎたため結成されたグループであり、初めから解散は決まっていた。
《OAS校長はグループのデビューにあたり解散後のソロ活動に向けて今からすべきことを個別にアドバイスしていたが、これも特殊な結成が故のことである。(詳細は1997年の「沖縄アクターズスクール公式ガイド」に掲載)》
こうした背景から事務所社長はメンバーの動向を見つつ解散時期をずっと探っていた。その中で1997年には「翌年の全国ツアー終了後に解散しようと思う」と関係者に語る段階にまで話が進む。この案は「ソロの準備期間が必要」との考えもあり却下されたが、その時の表情はとても真剣で決して冗談ではないことを伺わせていた。
1998年夏、「時期が来た」との判断により、メンバーに解散を勧告。その後、ソロ活動が活発になってきた1999年の春から具体的な話し合いに入り、何度も話し合った結果、解散発表の1ヶ月ほど前に決定の運びとなった。発表は10月中旬に設定され、それに沿った準備が進められていく。しかし、10月6日発売の週刊誌に解散の記事が載る事が判明したため、海外に出ていた事務所社長は緊急帰国し発表の前倒しを決意、急遽週刊誌発売の前日となる5日に会見が行われた。
突然の解散原因は、上に記した6日発売の週刊誌に「島袋(当時中学生)の男性問題が原因」と書かれた事が発端となり各メディアでも報道されたが、これに対し事務所側は正式に報道を否定。さらに当の島袋本人もいくつかの動きをみせる。まず男性タレントとの関係については解散会見上で友達と説明。それを示すかのように2000年3月発売の『セブンティーン』誌上では自発的に友達として登場させた。なお、母親にも友達として会わせているという。(1999年10月『女性自身』内の母親インタビューより)そして一連の報道に関しても『SPEED駆け抜けた青春(2000年1月放送)』『hiro素顔でMelody Fair』第1回放送分で否定。特に後者では最近嬉しかった事として「落ち込んでいた自分を、とある喫茶店で出会った女性が励ましてくれた事」を挙げ、間接的に否定を強調するかたちとなった。
突然の解散宣言に日本中は騒然となった。解散発表会見が行われ、会見席上で4人は「決して悪い意味ではなく、前向きな解散です」と淡々と語った。テレビではテロップ付きのニュース速報として流され、会見終了後の夕方にはNHKを含め各局でトップ級のニュースとして放送された。また、解散は海外にも波紋を呼び、実現はならなかったが台湾では訪台の署名が行われ、後にレコード会社に署名が届けられるという事態にまで発展した。
なお、3月31日解散になった背景には、学校の1学年が終わる時期というタイミングに合わせたと言われている。
23日、全国東映系映画『ドリームメーカー』公開。
 病に倒れる役どころを演じた上原。今井はレンタルCD店のお客として登場している。
11月 NHKハイビジョン放送のPRキャラクターに起用される。
3日、11thシングル『Long Way Home』発売。
 なお、今作をもってシングルの総売上が1000万枚を突破。当時3年3ヶ月での達成は歴代6位、11枚目での達成はMr.Children(9作)、安室奈美恵(10作)に次ぐ歴代3位のスピード記録だった。また、アイドルグループとしてはピンク・レディー、SMAPに続いての達成、女性グループとしてはピンク・レディーに続いての達成となった。
12日、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』出席。
 天皇即位10年を祝福する『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』にYOSHIKI、安室奈美恵、GLAY、らとともに出席。
20日~12月25日、『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』開催。
 東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドームの4大ドームツアーを行った。約21万枚のチケットは3時間ほどで完売になった。4カ所5公演で約21万人を動員した。
 関東最終となる東京ドームには安室奈美恵、宇多田ヒカル、松坂大輔など各界の著名人が駆けつけた。
20日、『全日本有線放送大賞』ゴールドリクエスト賞受賞。
 よみうりテレビの『第32回全日本有線放送大賞』で、『Breakin' out to the morning』がゴールドリクエスト賞を受賞した。この時、ナゴヤドーム公演でのライブがそのまま中継された。
12月 13日、『第32回日本レコードセールス大賞』が発表される。
 99年のシングル売上は22億円で8位、シングル部門での3年連続受賞(3位以内)こそ果たせなかったが、97年~99年の総売上は105.3億円を記録。期間中に100億円の大台を突破したのはSPEED、GLAY(105.5億円)の2組だけだった。
22日、3rdアルバム『Carry On my way』発売。
 ラストオリジナルアルバムを発表。『Precious Time』『Breakin' out to the morning』『Long Way Home(Album Edit)』ほか全14曲を収録。
31日、TBSの『第41回輝く!日本レコード大賞』出演。
31日、『紅白歌合戦』出場。
 NHK『第50回紅白歌合戦』に3年連続出場。第1部最高となる視聴率55.5%を記録した。歌ったのは『my graduation'99』。
2000年
1月 3日、ラジオ「ハイ!SPEEDで行こう!」(ニッポン放送)でSPEEDが「あなたの卒業式をプロデュース」という企画が発表される。
1月21日、4th写真集『SPEED RUNS, Our Graduation』発売。
 主婦と生活社より出版。撮影は平間至、佐藤靖彦、長谷部達也、藤沢謙。『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』のライブ模様、リハーサル風景、バックステージの様子と、4人それぞれのファイナルライブへの想いがつづられた1冊。
2月 14日、本『ハイ!SPEEDで行こう!』発売。
 ラジオ『ハイ!SPEEDで行こう!』(ニッポン放送)でのトークを文章にして、本にまとめた1冊。他にも『名言集』や、『素朴な疑問』などが含まれている3年間の歴史がつまっている。
15日、本『SPEEDスピリッツ 1335DAYS』発売。
16日、hiro 2ndシングル『Bright Daylight』発売。
 解散宣言後、ソロ作品発売のトップバッターとなった島袋のセカンドマキシシングル。資生堂『ティセラ ダンスダンスダンス』CMソング。
23日、ラジオ『ハイ!SPEEDで行こう!』(ニッポン放送)で、卒業式のプロデュース校が練馬区立富士見台小学校に決まる。
3月 島袋、品川区立日野中学校卒業。
1日、ビデオ『SPEED FINAL DOME TOUR REAL LIFE』発売。
 SPEEDのラストライブとなったドームツアー『SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE』の模様を収録。白熱のステージングのほかにも、バックステージの4人の素顔やリハーサル風景などの映像も収録。
3月15日、『第14回日本ゴールドディスク大賞』BEST POP ALBUM OF THE YEAR受賞。
15日、Eriko with Crunch 1stシングル『Red Beat of My Life』発売。
 今井がEriko with Crunch名義のファーストソロマキシシングル『Red Beat of My Life』でソロデビュー。ボーカル重視の今井だったが、SPPEDメンバーで1番遅い単独ソロデビューとなった。
24日、プロデュース校の練馬区立富士見台小学校で卒業式が行われる。皆で『my graduation』を合唱したり、メンバーからのメッセージが流されたりした。また、記念品として特製腕時計『THE MEMORIAL OF SPEED'S GRADUATION』が卒業生全員に配布された。こうして、1月から動き始めた企画は幕を閉じることとなった。
25日、5th写真集『LEGEND of SPEED BEST MEMORIAL BOOK 1995-2000』発売。
 ワニブックスより出版。主に『UP to boy』、『Wink up』、『COOLTRANS』掲載写真が中心となっている。SPEEDの4年間の歴史を年代別に分け、年表風に紹介した1冊。
26日、事務所社長がラジオ番組で解散後の再結成を発表。
 これは、例えば年に1度など限定的に再結成することを示した発表である。「お客さんが寂しがっている部分もあるでしょうから。」「実はこれが初めての発表で本人たちにもまだ話していない。」などと語っていた。
29日、ベストアルバム『SPEED THE MEMORIAL BEST 1335days Dear Friends 1・2』発売。
 解散を記念して発売されたベストアルバム2枚。1stシングル『BODY & SOUL』から11thシングル『Long Way Home』までの全シングル曲の他に、人気曲・未発表曲・新曲を前期と後期に分けて収録。
1998年12月に発売されたベストアルバム『MOMENT』と収録曲が重複しないようなつくりとなっている。この2作をもってアルバム総売上が800万枚を突破。女性グループとしては初めての達成となった。
31日、テレビ朝日の『ミュージックステーション』にてファイナルライブ開催。
 約20分間・全9曲(ALL MY TRUE LOVEから始まりBody&Soul、White Love、Long Way Home、Luv Vibration、Breakin' out to the morning、Go! Go! Heaven、STEADYと来て最後はStarting Overで締め括った。)をメドレー形式で熱唱。なお、収容人数500人に対し、全国から16万通もの応募が殺到し当選確率は32000分の1だった。
3月31日、SPEED解散。
 解散までの活動期間は結成日から数えて4年3ヶ月(1519日)、CDデビューからは3年8ヶ月(1315日)だった。期間中にはシングル11枚(1058万枚)、アルバム6枚(821万枚)の計17枚 《1879万枚・当時歴代20位(女性歌手7位)》、ミュージックビデオ4本(57万本)をリリース。これらを合わせたトータルセールスは386億円にのぼった。(数字はオリコンの推定値。女性歌手は男女混合ユニットおよびZARDを対象外としている)

9月 27日、ビデオ『SPEED SPIRITS Ⅱ』発売。
 SPEEDのセカンドビデオクリップ集。『ALIVE』から『Long Way Home』までの全シングルと、『Carry On my way』『April-Theme of “Dear Friends”-』を加えた全7曲のプロモーションビデオが収録されている。
27日、DVD『アンドロメディア』発売。
 SPEEDの主演映画『アンドロメディア』のDVD化。SPEED初のDVD化作品となった。
12月 20日、DVD『SPEED SPIRITS COMPLETE』発売。
 SPEEDのサードビデオクリップ集。ビデオ『SPEED SPIRITS』と『SPEED SPIRITS Ⅱ』の収録曲を全て1枚のDVDにまとめたもの。ほかにもCM集などがついている。


来歴(2000年~2008年8月 解散後~完全復活)
解散後はそれぞれソロ活動を行っていたが、前述の社長の発言通り2008年の完全復活までの8年の間に2度再結成された。 再結成の話にやや抵抗のあるメンバーもいたが、解散したグループがあえて指名された事、一人の人間としてチャリティの部分を受けとめた事から心の整理がついたという。 関係者は「再結成はメンバーのスケジュールとタイミング次第」としており、解散後も不定期的な再結成が行われる予定となっていた。


2000年4月~ 主な動き
2000年
11月 3日、島袋、上原、新垣が『NINAGAWA火の鳥』を観覧。
 今井が主演を演じた舞台『NINAGAWA火の鳥』をメンバー3人で観覧に行ったことが、サンケイスポーツに掲載された。
2001年
9月 12日、島袋と新垣が、ニューヨークのテロ事件に遭遇する。
留学中の新垣と、歌とダンスのレッスンで滞在中の島袋がニューヨークで起こった『アメリカ同時多発テロ事件』に遭遇するが、無事が確認された。


2001年10月6日 一夜限りの再結成
2001年
8月 21日、一夜限りの再結成発表。
 スポーツ報知等5つのスポーツ紙で、SPEEDが2001年10月6日に一日だけの再結成わすると発表された。
10月 6日、一夜限りの再結成。
 解散以来初の再結成であった。震災からの復興をアピールする『See阪神・淡路キャンペーン』目玉イベント『淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001』の初日に登場。震災にあった淡路の子供たちから「彼女たちの歌で励まされた」「元気な姿に勇気づけられた。立ち直った姿を見て欲しい」などの声が自治体や兵庫県に寄せられ、兵庫県が出演を強く根強く要請。事務所側も充実したソロ活動に絡めて「感謝、出発というテーマもピッタリでぜひ協力したい」とこれを快諾、実現に至った。ライブでは元気な歌声、ダンスを披露。2万4000人の観客を沸かせた。なお、この『淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001』の収益金2000万円は当初、震災被災者への義援金に充てられる予定だったが、半分の1000万円は発表直後に起こったアメリカ同時多発テロ事件被災者への義援金に急遽変更された。又、後に発売された関連CDの収益金の一部はアフガニスタンの難民支援義援金として寄贈された。
16日、島袋、上原、新垣がSPEEDとしてラジオ番組『HOT LINK』に出演。
 島袋、上原、新垣がSPEEDとして今井のラジオ番組『今井絵理子 HOT LINK』に出演した。
12月 12日、スペシャルシングル『One More Dream』発売。
 ファンからの熱い要望を受け、事務所はキャンペーンソングとして新たに作られたこの曲をシングルとして10万枚限定で発売した。希望と祈りが込められている、とても暖かいメロディーの1曲に仕上がっている。またこのシングルは、公式には12thシングルではなく、スペシャルシングルとされている。カップリング曲は『White Love(New Recording)』『One More Dream ~願い~』。
19日、ライブアルバム『SPEED MEMORIAL LIVE “One More Dream” + Remix!!!』発売。
 SPEEDが一夜限りの復活を果たした兵庫県淡路島でのライブを収録した初回限定アルバム。なお、本作品の収益の一部は日本ユニセフ協会を通じ難民支援のために寄贈された。
26日、『One More Dream』完売。
 スポーツ報知により、『One More Dream』が完売した事が分かった。10万枚という完全初回限定生産であり、発売後わずか2週目で完売した。


2001年10月~ 主な動き
2001年
10月 16日、4人全員がレコード会社を移籍。
 4人がTOY'S FACTORYから、エイベックス株式会社を発売元とするレーベル『SONIC GROOVE』へとレコード会社を移籍した。
12月 2日、伊秩の披露宴に4人が出席し、『Two of us』を歌う。
 解散前プロデューサーであった伊秩弘将の披露宴に4人が出席し、『Two of us』を歌ったという記事が『フライデー』に掲載された。
2002年
7月 17日、4人が揃って『スイスペ!』に出演。
 4人が揃ってテレビ朝日系『スイスペ!』に出演し、デビュー秘話や現在の心境などを語った。
2003年
2月 17日、『今井絵理子 HOT LINK』に3人がゲスト出演。
 2年前の再結成時にも出演したが、今回は個人としての出演となった。


2003年4月~12月 期間限定の再結成
2003年
4月 8日、期間限定の再結成発表。
 2001年10月以来、1年6か月ぶりの2度目の再結成となった。『Save the Children 一緒に始めよう』キャンペーンのメッセンジャーとして集結することを発表。2001年12月以来、1年4か月ぶりの2度目の再結成となった。全国13万人動員のチャリティツアーを行うなど全国に募金を呼びかけた。ファミリーマートやライブ会場での募金に加えチャリティライブ、CD、関連商品などから集まった寄付金は総額1億4644万5469円(12月1日現在)。実行委員会の予想をはるかに超えるものだったらしく効果は絶大であった。寄付金は世界の子供たちに向けての啓蒙事業などに充てられた。
7月 1日、『一緒に、集めよう。キーワードはSave the Children with Love!』キャンペーン実施。
 ファミリーマートで、1日から21日まで『一緒に、集めよう。キーワードはSave the Children with Love!』のキャンペーン実施した。
8月 5日、avexにSPEED公式サイト誕生。
 今回は本格的な再結成ということもあり、avexに公式サイトが作られた。
27日、13thシングル『Be My Love』発売。
9月 18日、DVD『SPEED First Live 〜Starting Over from ODAIBA〜』、『SPEED TOUR RISE IN TOKYO DOME』、『SPEED FINAL DOME TOUR REAL LIFE 』発売。
27日、『Save the Children SPEED LIVE 2003』スタート。
 『Save the Children SPEED LIVE 2003』がさいたまスーパーアリーナよりスタートした。ライブスタートにあたり、SPEEDとして会見を行った。
10月 22日、DVD『SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS I」』、『SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS II」』発売。
11月 27日、14thシングル『Walking in the rain/Stars to shine again』発売。
27日、4thアルバム『BRIDGE』発売。
『Be My Love』『Walking in the rain/Stars to shine again』ほか全13曲を収録。
28日、『SPEEDのオールナイトニッポン』放送。
 単発番組として、ニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた。解散前には年齢の制限などもありラジオの生放送は難しかったが、今回はメンバーも年齢を重ね生放送をすることができた。また、上原はテープでの出演であった。
12月 25日、ライブDVD『Save the Children SPEED LIVE 2003』発売。
31日、『レコード大賞』特別賞受賞。
 TBS系『第39回輝く!日本レコード大賞』で、『Be My Love』が特別賞を受賞した。
31日、形としては、この日で二度目の再結成は終了。
2004年
1月 9日、写真集『BRIDGE』発売。
2月 11日、ライブアルバム『BEST HITS LIVE〜Save The Children SPEED LIVE 2003〜』発売。


つづく。
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SPEED 1

2008年10月04日 | 歌・CD
SPEED(スピード)は、日本の女性4人組のボーカルダンスグループ。1990年代後半を代表する女性アイドルグループでもあり、『STEADY』『Wake Me Up!』『ALIVE』『ALL MY TRUE LOVE』などヒット曲を多数残し、『White Love』、『my graduation』は大ヒットを記録。その頃にリリースされた曲は次々とミリオンセラーとなり、数多くのCMにも抜擢されて社会現象にもなった。2000年3月31日に解散。その後、2度の再結成を行い、2008年の3度目の再結成をきっかけに完全復活を果たした。主な音楽プロデューサーは伊秩弘将。

メンバー
島袋寛子 (しまぶくろ ひろこ、hiro、1984年4月7日 A型)
今井絵理子 (いまい えりこ、elly、1983年9月22日 O型)
上原多香子 (うえはら たかこ、1983年1月14日 A型)
新垣仁絵 (あらかき ひとえ、HITOE、1981年4月7日 AB型)の4人。
いずれも沖縄アクターズスクール出身。

島袋寛子
メンバー最年少。メインヴォーカルを担当。突き抜けるような高音が特徴。最年少とは思えない受け答えでよく「しっかり者」と言われていた。年上の上原がいつも甘えていたほどである。が、一方で何事にも真剣に考え悩む一面があり、精神的な“もろさ”も持ち合わせていた。また、解散後は『よく周りの人に「子供っぽくなったね」といわれる』と語っている。 性格が非常に真面目で「正義感が強い」「自分の心に嘘つかない」等コメントも真面目なものばかりであった。グループ内の『つっこみキャラ』であり、ボケるのは苦手であった。そのためラジオ番組の企画で駄洒落を考える場面などでも、考えつかずよく最後の一人となっていた。メンバーとの仲は、上原とはよほど気が合うのか、TVなどでじゃれ合う姿が目立っており、ファンやスタッフの間で“仲良しコンビ”と専らの評判だったが、 今井、新垣とは(仲が悪いわけではないが)互いに年齢や性格、仕事の関係上、やや話しづらかったと語っていた(現在では食事や仕事を共にしており、その様子が今井や上原のブログに載ることが多い)。解散後はポップスの他、ジャズ、また歌手活動以外にも、映画やミュージカルにも挑戦している。

今井絵理子
メインヴォーカルを担当。パンチのある歌声で特にアップテンポの曲でリーダーシップを取っていた。ライブを盛り上げるのがうまく元気で「ステージの人」とも言われる。 人一倍仕事熱心で、仕事に関して自分にも他人にも厳しかった。何でも自分が納得できるまでチャレンジし、きつい事でも率先してやっていた。時にはやる気の見えないメンバーに激怒したこともあったという。自分の仕事が少なくてムシャクシャしていたというエピソードも今井らしい。また、解散に対して唯一消極的で(メンバーそれぞれの道を尊重したものの)できればしたくないとしていた。グループ解散後は歌手の他に女優としても活動。

上原多香子
ダンス&コーラスを担当。天然ボケで人懐っこく、誰でも話しやすい雰囲気を持っていた。 そんな上原を島袋は『全てを調和する存在』と評価、振付師の中尾有里も「飄飄としていたけど、おとなしい寛子をいつも引っ張っていたのも多香子。グループのバランスを図っていたしっかり者」と称賛した。なお、上原は島袋とよほど気が合うのか、TVなどでじゃれ合う姿が目立っており、ファンやスタッフの間で“仲良しコンビ”と専らの評判だった。グループ解散後は歌手・女優・CMモデルと、タレントとして幅広い分野で活動している。

新垣仁絵
ダンス&コーラスを担当。メンバー最年長。最年長ということもあり、グループのリーダーである。メンバーの意見をまとめたり、料理を作ったり、宿題の点検をしたりするなど、まるでメンバーの母のようであった。SPEEDではダンスとコーラスを担当していたが、中でもダンスのセンスはグループ髄一で与えられた振りを崩して自分流にアレンジしていた。 性格は「怒ると怖い」ということ。初期の頃、今井と些細な事から大喧嘩して以来メンバーに「怒らせると怖い」という認識を植えつけてしまったという(自称SPEEDの“裏ボス”だと語っていた)。一方でオヤジギャグを連発するなどお茶目な一面も見せており、リーダーとして、あるいはメンバーの一人として、二つの顔をうまく使い分けていた。グループ解散後はファッションデザイナーやイラストレーターとして活躍。

来歴(1992年~2000年 誕生~解散)
1992年~ SPEED誕生
1992年~1995年(詳しい期間は不明)
『BRAND-NEW KIDS』として活躍。
 今井がメインのユニットでSPEEDメンバー4人、沖縄を中心に活躍中のCHIHARU、台湾を中心に活躍中の千田愛紗含む7人組のユニットだった。
1995年
春先、4人が『沖縄アクターズスクール(以下OAS)』応接室に呼ばれる。
 『BRAND-NEW KIDS』の7人の中から4人が選ばれ、揃ってデビューの誘いを受ける。
10月 17日、4人が沖縄から初上京する。(3日間)
 東京でのレッスンが開始された。
11月 11日、日本テレビの音楽番組『THE夜もヒッパレ』に初出演。
 4人でのテレビ出演はこれが初めてとなった。
12月 2日、『THE夜もヒッパレ』に出演。
 グループ名を番組内で公募する。
1996年
1月 13日、『THE夜もヒッパレ』でグループ名が『SPEED』に決定する。 
 候補の中には、沖縄出身ということで「琉球ガールズ」「ハブとマングース」「スーパーモンチッチ」等の名前があった。その中で最終候補として残ったのが、「沖縄チャキチャキ娘」と「SPEED」の2つ。 英語表記での候補名は「SPEED」だけであった。
 なお、この日がSPEEDの正式結成日とされている。
20日、ラジオ初収録。
 『斉藤一美のとんカツワイド』(文化放送)で初めてラジオ番組にゲスト出演。
23日、『UP to boy』初登場。
4月 29日、『Body & Soul』のレコーディング開始。
6月 1日、CM撮影。
 4人にとって初のCM撮影。アニメーションとの合成だったため、ブルーバックでの撮影に初挑戦した。
7月 22日、『Body & Soul』幻の発売日。


1996年8月~ CDデビュー、一躍人気グループへ
1996年
8月 5日、1stシングル『Body & Soul』発売。
某日、メンバーが東京に引っ越す。
9月 1日、メンバーが、都内の小中学校に編入する。
 島袋が品川区立第四日野小学校に、他の3人が品川区立日野中学校に編入した。
17日、『OAS』を卒業する。
10月 ~1998年9月、『BAD BOY』の広告展開。
 SPEEDが、『BAD BOY』のイメージキャラクターとして起用される。
6日、初レギュラー番組日テレ『アムロ今田きっとNO.1』出演開始。
 安室奈美恵司会のトーク番組で、初のスタジオ収録のバラエティ番組に出演。
13日、ラジオ番組『ハイ!SPEEDで行こう!』がスタート。

11月 18日、2ndシングル『STEADY』発売。
12月 6日、『第29回日本有線大賞』新人賞受賞。
31日、『レコード大賞』新人賞受賞。
 TBSの『第38回輝く!日本レコード大賞』で、『BODY & SOUL』が新人賞を受賞した。


1997年~ デビュー1周年、ファーストライブ開催
1997年
3月 島袋・品川区立第四日野小学校卒業。
新垣・品川区立日野中学校卒業。
ファンクラブ『SPEED SPIRITS』発足 。
3日、第34回ゴールデン・アロー賞音楽新人賞受賞。
5日、『第11回日本ゴールドディスク大賞』BEST 5 NEW ARTIST賞受賞。
26日、3rdシングル『Go! Go! Heaven』発売。
4月 島袋・品川区立日野中学校入学。
25日、1st写真集『SPEED』発売。
 ワニブックスより出版。撮影は加納典明。
5月 21日、1stアルバム『Starting Over』発売。
21日、渋谷タワーレコードにてシークレットミニライブを敢行。
 アルバム発売記念として渋谷タワーレコードの屋上で500人を前にシークレットミニライブを敢行し、シングル曲を何曲か披露した。
7月 20日、『SUPER LIVE '97 in YONAGO』出演。
26日、『Jam Jam '97 in atema』出演。
30日~31日、1stライブ『Starting Over from ODAIBA』開催。
 お台場で初の本格的なライブを行う。2DAYS、2万枚のチケットが発売開始からわずか1時間で売り切れになり、まさにプレミアムライブとなった。2日間で2万人を動員した。
8月 5日、デビュー1周年。
6日、4thシングル『Wake Me Up!』発売。
7日、トリビュート・アルバム『DANCE with YOU』発売。発売記念ライブを行う。
 作詞家・阿久悠のトリビュートアルバム。SPEEDほか全7組のアーテイストが 、阿久作詞の1970年代のヒット曲をカバー。SPEEDが歌ったのはピンク・レディーの『ウォンテッド (指名手配)』と『サウスポー』の2曲。
8日、『篠原ともえとお友達ライブ』出演。
 “お台場祭り”にて、篠原ともえの友達としてライブにゲスト出演。
9日、『KIT POP HILL '97』出演。
12日、『志度テアトロンSUPER LIVE '97』出演。
13日、神戸~鳴門ルート全通記念『Awaodori Live Carnival Super Live '97』出演。
19日、RKB毎日放送『もも缶スペシャルサマーライブ』出演。
20日、静岡朝日テレビ開局20周年記念『FEEL THE BEAT SUPER LIVE '97』出演。
23日、RADIO BERRYリスナー招待LIVE『MIDSUMMER LIVE』出演。
24日、千葉マリンスタジアム『SUPER J-POP '97 at MARINE STADIUM』出演。
31日、『信州SAKU音楽祭』出演。
10月 15日、5thシングル『White Love』発売。
11月 19日、ビデオ『SPEED First Live 〜Starting Over from ODAIBA〜』発売。
 19日、『FBC開局45周年記念ライブ』出演。
29日、『全日本有線放送大賞』吉田正賞受賞。
   よみうりテレビの『第30回全日本有線放送大賞』で、『White Love』が吉田正賞を受賞した。
12月 13日、この日までに『第30回日本レコードセールス大賞』シングル部門でのゴールデン賞(2位)受賞が決まる。
 売上金額は39億円を記録した。(大賞は安室奈美恵で41億円)
 また、同日付のビルボード誌の表紙にSPEEDが登場。4ページにわたる特集が組まれた。
21日、LD『SPEED First Live ~Starting Over from ODAIBA~』発売。
22日、インターネットライブ『SPEED Interactive Live in Christmas』開催。
 午後7時から9時までインターネットライブを開催し、大きな注目を集めた。1ヵ月後にまとめられた最終集計によると当日1日のアクセス数は世界82カ国から774万件、瞬間同時アクセス数は3,300ストリームに達したという。この記録的な数字は『ネット上の世界新記録』としてギネスへの申請が検討されるほどだった。また、国内では当時のネット人口800万人のうち200万人が視聴、一部が同時中継された地上波放送では関東地区で午後8時44分、瞬間最高視聴率21.4%を記録した。
31日、『レコード大賞』優秀作品賞受賞。
 TBSの『第39回輝く!日本レコード大賞』で、『White Love』が優秀作品賞を受賞した。
31日、『第30回日本レコードセールス大賞』シングル部門でゴールデン賞(2位)受賞。
31日、『NHK紅白歌合戦』初出場。
 NHK『第48回紅白歌合戦』初出場でトップバッターを飾る。歌ったのは『White Love』。


1998年~ ミリオンセラー連発、トップアーティストへ
この年に発売した3曲は全てオリコンで首位を獲得した。

1998年
1月 12日、映画『アンドロメディア』主演決定。
2月 18日、6thシングル『my graduation』発売。
3月 上原・品川区立日野中学校卒業。
4日、『第12回日本ゴールドディスク大賞』BEST POP ALBUM OF THE YEAR受賞。
18日、ビデオ『SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS」』発売。
23日、映画『アンドロメディア』クランクイン。
4月 上原・渋谷区東京都立代々木高等学校(現在は廃校)夜間部入学。
5日、『全国交通安全パレード』でパニック。
 警視庁実施の春の全国交通安全運動に参加。原宿・表参道のオープンカーでのパレードでは、約4万人のファンが殺到しパニックになった。
29日、2ndアルバム『RISE』発売。
6月 27日、2nd写真集『SPEED in アンドロメディア』発売。
7月 1日、7thシングル『ALIVE』発売。
10日、『金曜テレビの星 独占SPEED特集』放送。
 TBSの「金曜テレビの星」で、バラエティ初のSPEED特集が放送された。
11日、全国松竹系映画『アンドロメディア』公開。
 メンバーが映画初出演にして主演を務めた映画。全国で85万人を動員した。監督は三池崇史。
18日~10月10日、初の全国ツアー『SPEED TOUR 1998 RISE』開催。
 史上最年少で東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドームの4大ドームでのツアーを行った。11カ所20公演で約30万人を動員した。
8月 5日、デビュー2周年。
5日、サウンドトラック『アンドロメディア』発売。
 映画『アンドロメディア』のオリジナルサウンドトラック。ミリオンセラーとなった主題歌『ALIVE』ほか、同曲の別バージョン<悲劇のテーマ><ユウのテーマ><舞のテーマ><Music Box>を含む全17曲が収録されている。これもプロデュースは伊秩弘将。
10月 28日、8thシングル『ALL MY TRUE LOVE』発売。
11月 2日~、『バレーボール世界選手権』サポーターに抜擢。
 『1998バレーボール世界選手権』のオフィシャルサポーターを務める。
14日、3rd写真集『SPEED YES,LOVE! make a rising』発売 。
11月21日、『全日本有線放送大賞』よみうりテレビ特別賞受賞。
 よみうりテレビの『第31回全日本有線放送大賞』で、『ALL MY TRUE LOVE』が特別賞を受賞した。コンスタントなCD売上と、テレビでの活躍が認められての受賞となった。
12月 4日、『日本有線大賞』有線音楽優秀賞受賞。
 TBSの『第31回日本有線大賞』で、『ALL MY TRUE LOVE』が有線音楽優秀賞を受賞した。
5日、『第11回日刊スポーツ映画大賞』新人賞受賞。
12日、この日までに『第31回日本レコードセールス大賞』シングル部門でのゴールデン賞(2位)受賞が決まる。
 売上金額は44億円だった。(大賞はL'Arc〜en〜Cielで58億円)2年連続で大賞を逃すこととなったが、2年間の総売上金額・83億円は全歌手中トップだった。
16日、ベストアルバム『MOMENT』発売。
21日、ビデオ『アンドロメディア』発売。
 本格的な演技は初めてだったSPEEDの主演映画『アンドロメディア』のビデオ化。初回限定特典として写真集がついていた。
31日、『レコード大賞』優秀作品賞受賞。
 TBSの『第40回輝く!日本レコード大賞』で、『ALIVE』が優秀作品賞を受賞した。
31日、『第31回日本レコードセールス大賞』シングル部門でゴールデン賞(2位)受賞。
31日、『紅白歌合戦』出場。
 NHK『第49回紅白歌合戦』に2年連続出場。去年と同様にトップバッターを飾った。歌ったのは『ALL MY TRUE LOVE』。


1999年~ メンバーソロ活動本格スタート
この年に入ると、個人でドラマや映画などに出演するなどメンバー個々の活動が本格化してきた。メンバーが次々とソロ作品を出していった。SPEEDの9thシングル『Precious Time』から上原多香子、hiro(島袋)、HITOE'S 57 MOVE(新垣)のソロシングルがヒット、上原のシングルは週間1位獲得、hiroのシングルは80万枚を超える大ヒットとなった。このようにソロ活動が活発化したことは、1999年のオリコンランキングでSPEED関連のCDが週間30位以内にランクインしていない週が3週しかなかったことからも見てとれる。他にも、日本テレビの『24時間テレビ』のメインパーソナリティを務めるなど多彩な活動が目立った時期であった。

1999年
1月 9日、『SPEED NEW YEAR'S CONCERT』開催。
 “お正月ツアー”と銘打った'99年1発目のスペシャルライブをビックパレット福島で行った。
14日~15日、『SPEED 1999 SPECIAL LIVE』開催。
 沖縄コンベンションセンターで、凱旋ライブを行った。地元の沖縄での初ライブとあってメンバーも「生まれ育った沖縄でライブをやれてすごくうれしかった。」「客席ほとんどがメンバー関係者だった。」などと語っている。
20日、ビデオ『SPEED TOUR RISE IN TOKYO DOME』発売。
 98年10月9日に東京ドームで行われたライブを収録した2本目のビデオ。『RISE』のオープニングで始まり、『ALL MY TRUE LOVE』『my graduation』などのヒット曲を収録。18万本のセールスを記録した。
2月 17日、9thシングル『Precious Time』発売。
3月 SPEEDのアルバムがシンガポールのヒットチャート「SPVA」で日本人歌手史上初のトップ10入り。
今井・品川区立日野中学校卒業。
ドラマ『L×I×V×E』制作発表。
 今井、新垣が初の連続ドラマで、TBSの『L×I×V×E』に出演。その制作発表では初ドラマにかける意気込みを語った。
ドラマ『蘇える金狼』制作発表。
 上原が出演する日本テレビのドラマ『蘇える金狼』の制作発表。香取慎吾らと並んで初ドラマレギュラーの感想を語った。
3日、『第13回日本ゴールドディスク大賞』SONG OF THE YEAR賞受賞。
25日、上原多香子 1stシングル『my first love』発売。上原がソロデビューしたファーストソロマキシシングル。ダンス重視の上原だったが、SPPEDメンバーで1番早い単独ソロデビューとなった。プロデュースはЯ・K works。
4月 今井・私立八雲学園高等学校入学。
9日~、TBSのドラマ『L×I×V×E』オンエア。
 今井は吹奏楽部をまともなクラブに立て直そうとする部員役で、フルート担当。新垣は名サックスプレイヤーを熱演。
17日~、日本テレビのドラマ『蘇える金狼』オンエア。
 上原は茂義コーポレーション会長・茂義賀津夫の唯一人の孫娘で、決められたレールでの人生を送っていた女子高校生役を演じた。
5月 12日、『L×I×V×E』オリジナルサウンドトラック発売。
 ドラマ主題歌にもなっていた八反安未果の『SHOOTING STAR』ほか伊秩弘将率いるガーデンズの『約束の場所へ (ENGLISH VERSION)~Candles in the Rain~』『Holiday』など全19曲。全曲を伊秩弘将、水島康貴のSPEEDサウンドメーカーコンビが担当。
19日、10thシングル『Breakin' out to the morning』発売。
19日、上原・全国東映系映画『ドリームメーカー』稽古合宿&クランクイン。
 この映画の撮影が日本テレビのドラマ『蘇える金狼』と重なってスタート。
6月 SPEEDのアルバム『MOMENT』がシンガポールのヒットチャート「SPVA」で日本人歌手史上初の1位獲得。
 (また、どの作品か定かではないが、SPEEDのアルバムは同国のプラチナディスクに認定されている)
2日、ビデオ『アンドロメディア スペシャルプライス』発売。
30日、HITOE'S 57MOVE 1stシングル『INORI』発売。
新垣がHITOE'S 57MOVE名義でソロデビューしたファーストソロマキシシングル。SPPEDメンバーでは2番目に早い単独ソロデビューとなった。
7月 仁絵ブランド誕生。
 新垣がデザインしたTシャツなどが、全国の専門店で販売開始された。
12日、島袋・ドラマ『天国のKiss』にゲスト出演。
 島袋が、1stシングル『AS TIME GOES BY』が主題歌となっていた日本テレビの『天国のkiss』の第1回放送にゲスト出演した。
16日~9月23日、全国ツアー『SPEED TOUR 1999 REAL LIFE』開催。
 全国ツアー『SPEED TOUR 1999 REAL LIFE』が、『広島サンプラザホール』を皮切りにスタート。これで2回目の全国ツアーとなった。12カ所24公演で約15万人を動員した。
8月 5日、デビュー3周年。
18日、hiro 1stシングル『AS TIME GOES BY』発売。
 島袋がhiro名義でソロデビューしたファーストソロマキシシングル。SPPEDメンバーでは3番目に早い単独ソロデビューとなった。
21日、サウンドトラック『天国のKiss』発売。
 主題歌『AS TIME GOES BY』のストリングスバージョンなど、劇中で使われた楽曲の数々を収めたドラマオリジナルサウンドトラック。伊秩弘将が作曲した『AS TIME GOES BY』以外は、上田知華のサポートメンバーとして知られるチェリストの溝口肇が手がけた。ほかに『天国のKiss(Main Theme)』など、インスト楽曲を全19曲収録してある。
21日~22日、『24時間テレビ』チャリティーパーソナリティ。
 日本テレビの『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のパーソナリティを務めた。新垣はチャリティーTシャツのデザインも手がけた。
28日~30日、『Final Summer Dream Stage at MARINE STADIUM'99』出演。
 夏の『千葉マリンスタジアム』で行った野外ジョイントライブに出演。安室奈美恵、MAXらとともにステージを飾った。
9月 上原・全国東映系映画『ドリームメーカー』プレミアム試写会出席。
 東京の会場では高熱を出してしまった上原は、予定されていたライブをやむなく中止した。
29日、上原多香子 2ndシングル『Come close to me』発売。
 上原のセカンドソロマキシシングル。前作に引き続きЯ・К worksが手がけた。

「White Love」は名曲。
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福田萌フォトブック『福田萌』(DVD付き)

2008年10月04日 | 写真・カメラ
福田萌フォトブック『福田萌』(DVD付き)
長野 博文
ワニブックス

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
現在、日本テレビ『ラジかるッ』にお天気お姉さん(火・木曜日担当)としてレギュラー出演中。また番組内のナース姿で、人気爆発中の福田萌。'06年度ミス横浜国立大学に選ばれ、現役女子大生でありながら、バラエティーを中心に各メディア活動する彼女が、初めてのフォトブックを発売。フワフワ&もえかわいさを表現するため、故郷・岩手のほか、明治神宮球場など、縁のあるリラックスできる場所で撮影を敢行。岩手の大自然やのどかな風景の中、心からの笑顔やキュンとくるせつない視線、少し大人の浴衣姿と見所満載です。メイキングDVDではキュートな声と親しみやすい表情で誰もが癒されること間違いなし! 本年度萌え度ナンバー1作品に決定!!


優しく可愛い顔をしている。もしかして、ブレイク・・・
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キング オブ コント・・・明日午後7時からの放送が楽しみ。

2008年10月04日 | 笑い
公式サイト→http://www.king-of-conte.com/
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スカート・・・女性は何故スカートを穿くのだろう。

2008年10月04日 | エッセイ・日記・意見
スカート (skirt) は、腰より下を覆う筒状の衣服である。ズボンと異なり、筒が股の所で分かれておらず、両脚が1つの筒に包まれる(ただし、股の所で分かれているキュロットをスカートに入れることがある)。


スカートの分類

長さによる分類
その長さにより、ロングスカート(マキシスカート)とミニスカートに大きく分けられる。一般的にロングスカートは総丈70cm以上あるものを呼ぶことが多い。ロングでも更に丈が長く、床まで着くほどのものはマキシスカートに分類する。1970年頃に流行した。

ミニスカートは総丈が膝より上までのもので、総丈45cm~50cmのものが多く、更に丈の短いミニスカートはマイクロミニスカート(マイクロミニ)と呼ばれる。

ミニとロングの中間にミディスカート(ニーロングスカート、膝丈スカートなど)がある。ミディ丈は総丈が膝程度の長さである。スカートの長さと景気の動向との関連などが取り上げられることもある。

テニスなどのスポーツで女子がよく穿いている短いスカートのようなものはスコートと呼ばれるが、語源はスカートと同じである(skirt)。


着用法による分類
ラップスカート(巻きスカート)
1枚の布を巻き付けてウエストで留めた単純な物。スコットランドのキルトなどもこの分類に入る。

サスペンダースカート(吊りスカート)
ウエスト部分に取り付けた左右一対の細紐(吊り紐)で肩から吊り下げるようにしたスカート。紐は共布で作られ、背中では十文字に交差されるものが多い。日本では戦前に流行して以来、学校の制服など主に少女服を中心に多く用いられた。1980年頃から、ファッションの多様化にあわせ、吊りスカートは大人にも着用されるようになり、銀行やデパート、企業の女子職員の制服としても用いられた他、ウエストを締め付けないで着用できるので、動きの多い喫茶店等の制服としても多く用いられた。近年のめまぐるしい流行の変化により、吊りスカートはすっかり影をひそめ、少女服のカテゴリからも、ほとんど見かけなくなってしまったようだが、ここ数年、新たな形態の吊りスカートや吊り半ズボンが、若者のファッションとして復活の兆しである。日本以外の国では、アジア諸国、それにペルー、キューバなど中南米諸国を中心にハイスクールの制服やガールスカウトの制服に多く見られる。また、ヨーロッパ諸国では、フランスなどの女子校生、いわゆるリセエンヌの制服として存在したほか、スイス、エストニアなどの民族衣装にもその例が見られる。

サロペットスカート(胸当てスカート)
胸当ての付いた吊りスカートのことをいう。普通の吊りスカートとジャンパースカートの中間的な物。ジーンズで作られたオーバーオールのスカートもサロペットスカートといわれるが、サロペットとは本来は吊り紐が背中で交差された物をいい、現在主流のハイバックタイプはサロペットには分類されなかった。

ジャンパースカート
吊りスカートと混同されがちだが、こちらは前後共に身頃の付いた、ワンピース状のスカートのこと。ジャンパードレスともいう。学校や企業の制服、マタニティドレスとして幅広く用いられている。(ワンピースとも異なる。)
など。


形状による分類

複数箱襞のプリーツスカートゴアードスカート
数枚の布をはぐようにして仕立てたスカート

タイトスカート
ウエストから腰にかけてフィットし、ヒップの寸法がそのまま裾までストレートに採られているスカート

セミタイトスカート
ウエストから腰にかけてフィットし、タイトスカートよりもやや裾が広がったストレートなスカート

ティアードスカート
ウエスト切り替えを用いているスカートの総称。多くはウエスト・裾と並行に一本~数本の段が入れられた切り替えを持つスカート

フレアースカート
裾の波打っているような広がりのある形のスカート

セミフレアスカート
裾の広がりの抑えられた、ややフレアのあるスカート

プリーツスカート
プリーツ(pleats:襞(ひだ))を付けたスカート(オール・アラウンド・プリーティド・スカートの略)。プリーツの数は、1~全体のプリーツまで。プリーツ加工の種類によって、箱襞(ボックスプリーツ)スカート、車襞(ワンウェイプリーツ)スカート、前襞スカート、アコーディオンプリーツスカート、サンバースプリーツスカートなどに分類される。また、襞の位置によって、サイドプリーツ、バックプリーツなどと区分されることがある。

バルーンスカート
全体にボリュームの有るシルエットを、裾をギャザーで絞ったスカート。流行によりロングからミニ丈まで様々なバリエーションがある

マーメイドスカート
人魚の下半身に似た形状からこう呼ばれる。ウエストからタイトスカートのシルエットのまま、膝~膝下あたりで裾に向かって裾がフレアー形状になっているスカート。タイトスカートのパターンにフレアなデザインを複合したもの。女性らしいシルエットなので、ドレスなどに多用される。

キュロットスカート
ズボンのように股の分かれたスカート。キュロット。

ギャザースカート
ギャザーとは寄せる、集める、縮めるという意味。ウエスト部分を絞り、裾の部分がタップリとしているスカート。フレアースカートと組み合わせて「フレアーギャザースカート」として更に裾周りが広いものもある。

サーキュラースカート
生地を円形 (Circular) になるように縫製して作るスカート。フレアースカートの中の一つに分類される。90度生地を4枚バイアス裁断しているため、波打ち方が大きい。

ヒップボーンスカート
ジャストウエスト位置よりも下、腰骨上にスカートの上端がフィットするようにデザインされているスカート。ウエスト位置にウェストベルトを作らず、裏に見返しを縫い合わせて着用することが多い。丈の長短を問わず、ウェストのディテールで分類される。

素材による分類
羊毛
純毛、混紡、ウールサージ
綿
デニム、コーデュロイ、別珍

合繊
ポリエステル、レーヨン、アクリルなど
皮革
豚革、牛革、わに革など

用途による分類
正装
タイトスカート、フレアースカートなど

学校制服
プリーツスカート、吊りスカート、ジャンパースカートなど

企業制服
タイトスカート、ジャンパースカートなど

作業服
サロペットスカートなど

その他、衣装など


文化

スカートとジェンダー
近代以降の西洋文化では女性が身につける衣類とされているが、スコットランドの伝統的な衣装であるキルトのように男性のみが身につけるものもある。 また従来はスカートは女性が身につけるものという考えが絶対的であった日本においても、最近ではハイファッション・モードとして男性がロングスカートを着用する姿も極く稀に見かけるようになり、更にはミニスカートまでも含めて見かける様になってきている。男性がスカートを穿くことは、近年はかなり定着し、大きな都市などではしばし見かける物となりつつある。


日本人女性のスカートへの概念の変化
以前の日本は女性のほとんどがスカートを着用し、少女を中心に成人女性の一般的服装として広く見られていた。しかし1990年代以降、女性はスカートをはくものだと言う固定観念が崩れたことや(但し男性のスカート姿は逆に、未だ性的倒錯とされる)、女性のライフスタイルの多様化、パンツスタイルの流行から、日本人女性のスカート離れが進んでいる。また、制服を採用している学校でもスカートではなくスラックスを採用、あるいはスラックスを選べるところも出てきており、近年は制服を廃止する企業も増えてきている。

スカートは元来、パンツスタイルと比較すると下記の欠点がある。

動きにくい
足元に寒さが伝わりやすい(ロングタイプであれば太ももなどはパンツスタイルより暖かい)
風などで捲くり上げられやすい
スカートめくりや盗撮といった、性的な被害に遭い易い
これらの欠点から近年の女性はスカートを敬遠する傾向がでてきた。しかしスカートの長所としては、

女性らしさを簡単に表現できる
足の美しさをズボンより強調しやすい
体のラインを隠しつつ、下半身のラインを美しく見せる事ができる
熱がこもりにくく、暑い季節に快適である
があり、女性の中でも愛用者は多い。現在でもスカートは男性から支持を得ており、公の場に出演する時・デートの時・プライベートの時など、女性が美しさを表現したい場ではスカートが好まれている。また、スカートめくりや盗撮といった、性的な被害への対策としてスカートの中に見せパンを穿く人がいる。


ズボンを穿けば、「盗撮」とかもされないのに・・・歴史上、いつから女性はスカートをはき始めたのかも気になる。
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告白 by 湊 かなえ

2008年10月04日 | 本・雑誌・漫画
告白
湊 かなえ
双葉社

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内容紹介
我が子を校内で亡くした女性教師が、終業式のHRで犯人である少年を指し示す。ひとつの事件をモノローグ形式で「級友」「犯人」「犯人の家族」から、それぞれ語らせ真相に迫る。選考委員全員を唸らせた新人離れした圧倒的な筆力と、伏線が鏤められた緻密な構成力は、デビュー作とは思えぬ完成度である。


久々に凄いミステリーが出て来た。
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