栗本 薫(くりもと かおる、1953年2月13日 - )は日本の女性小説家、評論家。日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会員、日中文化交流協会員。
代表作は『グイン・サーガ』、『魔界水滸伝』、『伊集院大介』シリーズなど。『グイン・サーガ』は序盤が英、独、仏、伊、露の各国語に翻訳されている。
また、中島 梓(なかじま あずさ)名義で評論活動や作詞作曲、ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がける。本名は今岡純代、旧姓は山田。夫は元「SFマガジン」編集長の今岡清(現・天狼プロダクション代表取締役)。母方のまた従兄弟(祖父の姉の孫)に 梶原一明(経済評論家)がいる。
年譜
1953年(昭和28年)2月13日 - 東京葛飾区に生誕。裕福な家庭であった。
1971年(昭和46年)3月 - 跡見学園高等学校卒業。
1971年(昭和46年)4月 - 早稲田大学文学部入学。
1975年(昭和50年)3月 - 早稲田大学文学部文芸科卒業。
1976年(昭和51年)7月 - 評論『パロディの起源と進化』(別冊新評『筒井康隆の世界』掲載)で商業誌デビュー。
1976年(昭和51年) - 『都筑道夫の生活と推理』で第2回幻影城新人賞評論部門佳作を受賞。
1977年(昭和52年) - 『文学の輪郭』(中島梓名義)で第20回群像新人文学賞評論部門を受賞。
1978年(昭和53年) - 『ぼくらの時代』で第24回江戸川乱歩賞を受賞。
1978年(昭和53年)9月 - 『ぼくら』シリーズ第1巻『ぼくらの時代』刊行。
1978年(昭和53年)9月 - 評論集『文学の輪郭』(中島梓名義)刊行。
1979年(昭和54年)4月 - ラジオ番組『ハヤカワSFバラエティ』DJ(中島梓名義)。
1979年(昭和54年)9月 - 『グイン・サーガ』シリーズ第1巻『豹頭の仮面』刊行。
1979年(昭和54年) - クイズ番組『ヒントでピント』レギュラー解答者。後に女性軍チームリーダー。
1980年(昭和55年) - 『羽根の折れた天使』が第33回日本推理作家協会賞(短編部門)候補作品となる。
1980年(昭和55年)8月 - 『伊集院大介』シリーズ第1巻『絃の聖域』刊行。
1981年(昭和56年) - 『絃の聖域』が第34回日本推理作家協会賞(長編部門)候補作品となる。
1981年(昭和56年) - 『絃の聖域』で第2回吉川英治文学新人賞を受賞。
1981年(昭和56年)11月 - 『魔界水滸伝』シリーズ第1巻刊行。
1981年(昭和56年) - 12月、今岡清と結婚
1983年(昭和58年)8月 - 『トワイライト・サーガ』シリーズ第1巻『カローンの蜘蛛』刊行。
1984年(昭和59年)9月 - 『お役者捕物帖』シリーズ第1巻『吸血鬼』刊行。
1984年(昭和59年)9-10月 - 「日中文化交流協会青年代表団」[1]の一員として、「三千人青年訪中」イベントに参加。翌年、同イベントの体験をまとめた『昭和遣唐使3000人の旅』刊行
1986年(昭和61年)6月 - 初めての歌舞伎作品『変化道成寺』上演。
1987年(昭和62年)12月 - 初めて演出を手がけたミュージカル『ミスター! ミスター!!』(中島梓名義)上演。
1988年(昭和63年)11月 - 『朝日のあたる家』シリーズ第1巻刊行。
1990年(平成2年)12月 - 乳癌のため入院・手術。翌々年、闘病記『アマゾネスのように』(中島梓名義)刊行。
1991年(平成3年)7月 - 『終わりのないラブソング』シリーズ第1巻刊行。
1993年(平成5年)9月 - 『バサラ』シリーズ第1巻刊行。
1995年(平成7年)10月 - 『六道ヶ辻』シリーズ第1巻『大導寺一族の滅亡』刊行。
1997年(平成9年)7月 - 『レクイエム・イン・ブルー』シリーズ第1巻『蒼の断章』刊行。
1997年(平成9年)12月 - 『夢幻戦記』シリーズ第1巻『総司地獄変 上』刊行。
1999年(平成11年)12月 - 個人誌『天狼叢書』創刊。
2000年(平成12年)9月 - 公式サイト『神楽坂倶楽部』開設。
2005年(平成17年)4月 - 『グイン・サーガ』シリーズ第100巻『豹頭王の試練』刊行。記念イベント『百の大典』開催。
2007年(平成19年)12月 - すい臓癌で2度目の癌手術。翌年に闘病記『ガン病棟のピーターラビット』(中島梓名義)刊行
経歴
20代前半の若さで、1977年に群像新人文学賞評論部門を、翌1978年に江戸川乱歩賞を立て続けに受賞したことにより脚光を浴びた。江戸川乱歩賞の受賞者としては当時史上最年少であり、また早稲田大学に創設されたばかりの「文芸科」出身の作家として、同時期デビューの見延典子とともに注目を集めた。また、分野ごとに中島梓、栗本薫両名義を使い分けていたことも話題を集め、乱歩賞受賞直後には、平凡パンチ誌上で中島梓と栗本薫の1人2役対談なる企画が行われたこともある。
非常な多作でも知られ、デビュー以来の約30年間で、新刊だけで400冊に近い作品を上梓している。その中には年間に20冊以上の新刊を上梓した年も4年あり、現在でもコンスタントに年間10冊以上の新刊を上梓し続けている。
SF、ファンタジー、伝奇・時代小説、ホラー、ミステリー、耽美小説など、作品が極めて幅広いジャンルに渡っていることも大きな特徴である。特に1980年代には、それぞれの分野で人気を博し、さまざまなベストセラー作品を生みだすと同時に、各ジャンルの数多くのアンソロジーに作品が収録された。
「文学における物語性の復権」を唱え実践する姿勢は、デビュー当初、非常に高く評価された。新たなジャンルの先駆者として後の創作者たちに影響を与えた功績も大きいが、その一方で、様々なジャンル・フィクション(漫画含む)の愛読家であった栗本には、過去に読んだ小説・漫画などの影響が強い作品が多く、その作品のオリジナリティが低いという指摘もある(ただし、必ずしも批判的な指摘ではない)。栗本自身、その創作活動においてオリジナリティにまったく重きを置いておらず、そのことを自身の著作『小説道場』(中島梓名義)の中で公言している。
また、自身のジャンルに対する姿勢として、ミステリに対しては謎解きや理論よりも文体や雰囲気に、SFに対しては現実に対するフィクションのアプローチとしてのSF的手法に興味の中心があることを明らかにしている 。
作品には、森茉莉の影響を受け、同性愛傾向が見られるものも多い。1979年に刊行された『真夜中の天使』は、現在のボーイズラブに繋がる源流的な作品として、ジャンルの創始に一役買った作品でもあるとされる。1978年の耽美小説誌『JUNE』の創刊にも深く関わっており、誌上では栗本薫、中島梓の他、あかぎはるな、神谷敬里、滝沢美女夜、沙羅など、さまざまな名義で作品や評論を提供した。同誌上で連載の『小説道場』門下からも、秋月こお、江森備、柏枝真郷など、同ジャンルの作品を手がける多数の作家を輩出している。
中島梓名義の評論作品は、相対的には作品数が少ないが、『コミュニケーション不全症候群』は、現代の日本人のコミュニケーション薄弱な生活を鋭く分析しており、笠井潔などから高い評価を得ている。
幼少時より創作活動を行っていたが、もともとは小説家よりも漫画家志向が強かった。漫画雑誌『COM』の愛読者であり、同誌主催のコンテストに何度か応募し、また、『S-Fマガジン』誌主催のコンテスト・イラスト部門へも応募したが、いずれも落選した。栗本の描いたイラストや漫画はほとんど発表されていないが、『S-Fマガジン』1987年1月臨時増刊号にイラスト集「グイン・イメージ・ボード」が、『別冊小説現代』1985年WINTER号に漫画「D介日記 日々是好日」が掲載されている。
小説執筆活動も学生時代から活発に行っていた。跡見学園高等学校時代には文芸部の部長を務め、早稲田大学ではサークル「ワセダミステリクラブ」に名目のみながら二年間所属していた。その当時の作品を収録した短編集として、『接吻』が刊行されている。他にも、『真夜中の天使』や『トワイライト・サーガ』など、商業誌デビュー前に書かれた作品がのちに出版された例が多くみられる。また、 安部公房、大江健三郎、サルトル、筒井康隆などを論じた卒業論文「想像力の構造」を、早稲田大学で師事した平岡篤頼が朝日新聞紙上で激賞したことをきっかけとして、評論活動を本格的に行うようになった。栗本の商業誌デビュー(『別冊新評 筒井康隆の世界』)も、平岡の一文を見た同誌編集長の依頼によるものである。
4歳時からピアノを習っていたこともあって、音楽への傾倒も強く、音楽大学への進学を志した時期もあったという。早稲田大学では音楽サークル「ハーモニカ・ソサエティ」に参加し、作家デビュー後もハードロック系バンド「パンドラ」でキーボードを担当していた。作曲を始めたのは「パンドラ」時代であり、その後開始したミュージカル創作活動では、数多くの劇中曲の作曲を手掛けることとなった。バンド活動は現在も継続しているが、その中心はジャズへ移行している。
邦楽、和歌、歌舞伎など、日本の伝統文化に対する造詣も深い。長唄、小唄、清元、津軽三味線の名取でもある。また、和歌集『花陽炎春之巻』を自費出版し、2本の歌舞伎脚本も手掛けている。日常的に着物を着用する着物愛好家としても知られており、着物に対する愛着を綴ったエッセイ『着物中毒』を著している。
作品の多くに好んで「あとがき」を付しており、デビューからまもない一時期は、自ら「あとがき作家」などとも名乗っていた。代表作『グイン・サーガ』正伝の各巻にも必ずあとがきが付されており、シリーズの初期にはキャラクター人気投票やファンレター紹介などが行われていた。最近ではその内容は作者の近況報告が中心となっている。
『グイン・サーガ』は、栗本薫によるヒロイック・ファンタジー小説。
概要
豹頭の戦士であるグインを主人公として、架空の世界、架空の時代に生きる、彼を中心とするさまざまな人物の生と死の波乱を描いた大河小説。『三国志』を彷彿とさせるような、国と国とのあいだで繰り広げられる戦争、策謀、興亡の歴史を背景として、その宮廷、あるいは市井に生きるさまざまな人物の野望、妄執、友情、決別、恋愛といった愛憎が織りなす壮大な人間模様を紡ぎだしていく。1979年9月の第1巻『豹頭の仮面』の刊行以来、コンスタントに巻数を重ね、100巻を越えてなお多くの読者を獲得しているベストセラー小説シリーズである。
シリーズ開幕当初から正伝のみで全100巻という構想が明かされており、2005年4月には第100巻となる『豹頭王の試練』が刊行された。もっとも、100巻で構想通りには物語は完結せず、それどころか、完結に至るまでにはまだ多くの展開が残されていることは確実で、どこまで続くかは作者自身にも予想がついていないという。2008年10月現在、正伝が123巻、外伝が21巻(上下巻1編を含むため22冊)発売されている。正伝116巻発行時点での発行部数は累計2800万部。
発表形態としては、ハヤカワ文庫から書き下ろしで発売される(第1巻『豹頭の仮面』および外伝の一部は、先行して雑誌(主に『S-Fマガジン』)や関連書籍に掲載された)。表紙、口絵、本文イラストは加藤直之(正伝1~19巻、外伝1~5巻)、天野喜孝(正伝20~56巻、外伝6~9巻)、末弥純(正伝57~87巻、外伝10~16巻)、丹野忍(正伝88~、外伝17~)が手がけている。
2003年には、米Vertical社より英語版の発売が開始された。続いて、2005年にはBlanvalet Taschenbuchverl社よりドイツ語版、Editrice Nord社よりイタリア語版、БИТВА В НОСФЕРУСЕ社よりロシア語版が、さらに2006年にはFleuve Noir社よりフランス語版の出版が開始された。中国語版、韓国語版の出版も予定されている。
また、2000年には柳澤一明の作画により、外伝『七人の魔道師』の漫画化が開始された。作品はメディアファクトリー発行のコミックフラッパー誌に2003年まで連載後、単行本化された。2006年9月にジャイブ社から出版された『栗本薫 THE COMIC グイン・サーガ』には沢田一の作画によって漫画化された正伝の一部が収録されており、2007年1月にはそれに新たに書き下ろしを加えたものが、ジャイブ社から『グイン・サーガ1』として出版された。なお、同社刊の漫画雑誌『月刊コミックラッシュ』2008年4月号より新章の連載が開始されている。
著名な日本のファンタジー小説であるにもかかわらず、刊行開始以来30年弱にわたり映像化されなかった。しかし2008年8月、2009年春からテレビアニメ化されることが発表された。
単一の作家による小説としては、すでに世界最長の作品となっていると考えられるが(複数の作家による世界最長の作品としては『宇宙英雄ペリー・ローダン』がある)、現在のところ、ひとりの作家の書いた世界最長の小説としての記録は「ギネスブック」には掲載されていない。
すごい執筆数に驚かされる。「グイン・サーガ」全巻を読破した人はいるのだろうか?????
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