フジテレビで放映されて話題を呼んだドキュメンタリー番組『泣きながら生きて』
http://nakinagara.net/trailer.htmlが11月28日より劇場公開される。ある3人家族を10年にも渡って取材し続け、家族の絆や働くことの意義を日本中に問いかけた本作は、オンエア後再放送やDVD化のリクエストが殺到したという。
(C)2006 フジテレビ/東方吉祥
1989年、丁尚彪という名の中国人男性が日本へ留学してきた。入学金と半年の授業料は42万円。それは夫婦二人が15年間働き続けてやっと手にできるほどの大金だ。当時35歳だった丁さんは知り合いから借金をし、北海道・阿寒町にある日本語学校へとやってきたのだった。しかし、過疎化の進むこの町には仕事がまったくない。学びながら働き、借金を返すつもりだった丁さんは東京へ。しかし、入国管理局は、"阿寒脱出者"にビザの更新を認めなかった。不法滞在者の身となってしまった丁さんは借金返済のため、また一人娘の学費のために、見つかれば即強制送還というリスクと共に東京で働き続ける。彼とその家族の運命は……?
11月18日(土)より、新宿バルト9ほか全国順次ロードショー。
(マイコミジャーナルより引用)
「泣きながら生きて」はフジテレビで放送されたドキュメンタリー番組 である。
2006年11月3日に金曜プレステージ枠で放送された。再放送されていない。 2009年11月28日から新宿バルト9を皮切りに全国で劇場公開が行なわれる。
番組概要
中華人民共和国の文化大革命、下放政策により教育を受けられなかった中国人男性丁尚彪が日本の大学への入学を目指し語学留学する。
留学先は過疎化が進む北海道東部阿寒町(現在は釧路市)であった。
来日にあたり、借金をしておりその返済と日本語の勉強を両立しなければならない。
しかしながら阿寒町は過疎化が進む地域だったのでアルバイトもままならず、日本語学校を飛び出した。ビザの延長申請が認められず不法滞在の身になった。
番組は丁尚彪が日本で過ごした15年を追いかけたものである。
15年に渡る日本での生活
1989年(平成元年)
中国人相手の日本語学校飛鳥学院阿寒校に入学するため35歳で来日。
1996年(平成8年)
丁尚彪は自身の大学入学をあきらめ、有名大学進学の夢を中国屈指の名門復旦大学付属高校に通う一人娘に託した。
昼間の工場勤務、夜間の中華レストランでのアルバイトをしながら働き、稼いだお金を中国の家族に送金した。
独学で日本語を学び、仕事に困らないように、フォークリフト運転者、クレーン運転士等の資格を取得した。
丁尚彪の妻は中国で働き、丁尚彪からの送金には手をつけず娘の大学留学資金に貯めた。
1997年(平成9年)
娘が名門ニューヨーク州立大学に合格、産婦人科医師になるため留学する。
東京経由ニューヨーク行きの飛行機で来日した娘は8年ぶりに父と再会した。
2002年(平成14年)
妻の12回目の申請で査証がおりたのでニューヨークの娘に会いに行く。
上海発東京経由ニューヨーク行きの飛行機で来日した妻は13年ぶりに夫と再会した。
72時間のトランジットを使い浅草寺など東京観光をした。
2004年(平成16年)
丁尚彪は中国に帰国した。それは15年住んだ日本に二度と入国できないことも意味する。 帰りの飛行機の中で彼は号泣していた。
娘はアメリカの病院に勤務しながら勉強を続け大学を卒業、医学博士となった。
印象的な発言
国家の代表者には国を良くしていく責任があるように私には、親として子供を育てる責任があります。
音楽
フジテレビで放送されたテレビドラマ『白線流し』や『Age,35 恋しくて』などで使われたBGMが使用されている。
製作スタッフ
企画、プロデュース 張麗玲
ナレーション 段田安則
特別感謝 前田純司(フジテレビジョン)
特別協力 株式会社大富、大倉商事株式会社
技術協力 TSP
プロデューサー 横山隆晴
劇場公開の動き
放送後DVD化や再放送を望む声は大きかったが、様々な理由で実現していない。
放送を見ていた一人の大学生が関係者に働きかけて、2009年11月28日新宿バルト9より全国公開が決まっている。
『泣きながら生きて』の劇場上映は、一人の大学生の熱い思いによって実現した。2006年11月3日、ある一家の10年を追ったドキュメンタリーが全国ネットでテレビ放送され、高視聴率を記録。放送直後から異例の件数の問い合わせや感想が押し寄せる大反響を呼んだ。その後、多くの視聴者から再放送やDVD化希望の声が絶えなかったが、放送から約3年が経とうとしている今も、それが叶うことはなかった。しかし、番組に感動した一人の大学生によって、状況が一変する。「この作品をこのまま風化させたくない、もっと多くの人に伝えたい」という彼の思いと働きかけが多くの関係者の心を突き動かし、テレビ番組を全国の映画館で上映するという形で特別な興行企画が実現することになったのだ。
1996年、東京。丁尚彪(ていしょうひょう)は、7年前に妻と娘を上海に残して来日して以来、一度も中国に戻ることなく日本で働き続けてきた。早朝からいくつもの職をかけもちし、深夜に安アパートに戻り日本語の勉強をする毎日。稼いだお金はすべて妻子に送金してきた。彼を支えているのは、「娘に一流の教育を受けさせたい」という強い思い。学びたくても学ぶことのできない厳しい時代に育った彼は、次の世代へと夢を託したのだ。
1997年。娘の丁琳(ていりん)はニューヨーク州立大学に合格。見事に父の期待に応えた。しかし、それは一家が東京、上海、ニューヨークと離ればなれになることを意味していた。娘の学費を稼ぐために働き続ける父、夫のいない家を守り続ける母、両親からのバトンを受けて異国で医学に励む娘……。
運命に翻弄されながらも懸命に生きる一家の姿は、国境を越えて、世代を越えて、時間を越えて、世紀の大不況に苦しむ我々現代人にとって大いなる励みになるだろう。運命に翻弄されながらも懸命に生きる一家の姿は、国境を越えて、世代を越えて、時間を越えて、世紀の大不況に苦しむ我々現代人にとって大いなる励みになるだろう。「15年前日本へ来た時、人生は哀しいものだと思った。人間は弱いものだと思った。でも、人生は捨てたもんじゃない」そう語る丁尚彪の言葉には、人生において必要なものばかりが、詰まっている。
製作期間10年、撮影したテープは500時間超という本作のディレクターを務めたのは、張麗玲。『泣きながら生きて』は、張が手がけたドキュメンタリー・シリーズ『私たちの留学生活〜日本での日々〜』の『小さな留学生』『若者たち』『私の太陽』に続く作品。『小さな留学生』では放送文化基金賞企画賞を受賞した。プロデューサーは、横山隆晴。『白線流し』『桜の花の咲く頃に』など、数々のドキュメンタリーを制作し、日本民間放送連盟賞テレビ教養部門最優秀賞、日本放送文化大賞グランプリを受賞するなど受賞作品が多数ある。MAミキサーの濱田豊は、本作で日本ポストプロ協会賞ミキシング部門グランプリを受賞。音響効果は、田中政文、撮影に、遠藤一弘を擁するなど、ドキュメンタリー界を代表する第一級のスタッフ陣で構成されている。
僕はテレビでオンタイムで観た。「白線流し」のドキュメンタリーを作ったフジテレビの横山隆晴プロデューサーが作ったものだったからだ。2時間、怒涛の様に涙が溢れた。テレビで観られなかった人は是非観て欲しい。
横山 隆晴(よこやま たかはる、1953年 - )はフジテレビ編成制作局のゼネラルプロデューサーである。早稲田大学政治経済学部卒。新潟県新潟市出身。
主にドキュメンタリー番組のプロデューサー等をしている。
主な作品
白線流し(1996年)
19の春(1997年)
二十歳の風(1999年)
旅立ちの詩(2001年)
~二十五歳(2003年)
~夢見る頃を過ぎても(2005年)
金曜エンタテイメント特別企画「ゆっぴいのばんそうこう」 (1996年)
金曜エンタテイメント特別企画「小さな留学生1996~2000秋」(2000年)
ゴールデンシアター特別企画「若者たち」(2000年)
金曜エンタテイメント特別企画「私の太陽」(2001年)
北の国から2002 遺言 ~前編~、~後編~(2002年)
特別企画「ドキュメンタリー北の国から」(2002年)
特別企画「ドキュメンタリー中国からの贈りもの」(2002年)
フジテレビヤングシナリオ大賞 琉球偉人伝説(2003年)
桜の花の咲く頃に(2005年)
「金曜プレステージ 泣きながら生きて」(2006年)
受賞作品
「春想い~初めての出稼ぎ~」ギャラクシー選奨(1994年)
「アラカワストーリーズ」ギャラクシー選奨(1995年)
「東京春浪漫」ギャラクシー奨励賞(1994年)
「青山世多加」放送文化基金賞特別賞(1994年)
「戦争に負けて私は生まれた」ギャラクシー奨励賞(1995年)
「白線流し~4年後の早春賦~」ギャラクシー奨励賞、ATP優秀ドキュメンタリー賞(1996年)
「いらっしゃいませ~横浜ウェイトレス物語~」ギャラクシー奨励賞(1996年)
「あなたのマンションは資産ですか」民間放送連盟賞優秀賞(1996年)
「幻のゴミ法案を追う~ある厚生官僚の遺言~」ギャラクシー奨励賞、FNSドキュメンタリー大賞 大賞、地球環境映像祭特別賞(1996年)
「ゆっぴいのばんそうこう」ギャラクシー奨励賞(1996年)
「めっちゃ!生きてるで~パパは無敵の障害者~」ギャラクシー奨励賞(1998年)
「小さな留学生」放送文化基金賞ドキュメンタリー番組賞、JPPA賞ドキュメンタリー部門エディティング金賞、日本映画撮影監督協会特別賞(2000年)
「ドキュメンタリー中国からの贈りもの」JPPA賞 ドキュメンタリー部門ミキシング金賞、JPPA賞 ドキュメンタリー部門エディティング銀賞(2002年)
「桜の花の咲く頃に」第一回日本放送文化大賞グランプリ、日本民間放送連盟連盟賞テレビ教養番組最優秀賞 (2005年)JPPA 日本ポストプロ協会賞ミクシング部門クランプリ
「泣きながら生きて」JPPA日本ポストプロ協会賞ミクシング部門グランプリ
2007年 放送文化基金賞 個人・グループ部門賞
『泣きながら生きて』に至る「中国シリーズ」をはじめとした優れたドキュメンタリー番組の制作と演出 に対して
構成・編集:横山隆晴、張煥
撮影:張麗玲、遠藤一弘、横山隆晴
音効:田中政文、渡辺真衣
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