ゲスト・レビュアー 児玉 清
ハッブル望遠鏡でお馴染みのハッブル博士の言葉《宇宙は今日も膨張を続けている》ではないが、小説の面白さも限り無く膨張を続けていることを心底確信して、震えるほどの喜びに浸ったのは、アダム・ファウアーの『数学的にありえない』を読み終えたときだった。
面白い本をただひたすら読んでいたいと願って四六時中うろうろしている僕にとって、これまでにもケン・フォレットの『針の眼』やフレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』、トム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え』にジョン・グリシャムの『法律事務所』、そうそう忘れてはならないディック・フランシスの『興奮』など、深く心に刻まれている面白本の系譜があった。その系譜に衝撃的なパンチをもたらしたのが、先だってのダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』であり、ファウアーのデビュー作『数学的にありえない』だった。
『数学的にありない』は、数学という、およそ――いやはっきりと――利巧と馬鹿がわかってしまう、嘘のつけない厳しいフィールドをものの見事に生かした小説なのだ。それを素人の、いや、もっと非道いまったくの数学オンチ人間(例えば僕のような)にもクリアーにわからせる筆致で噛みくだき、さらには凄い知的興奮までかき立て、なお且つ(ここからが大事なのだが)かつて読んで興奮したどの作品にも負けないほどの猛烈な迫力とリアリティで読者の心を鷲掴みにし、まさに怒濤のごとくスリリングにサスペンスフルに一気に予期せぬ巻末へと読者を引きずりこむ。
話の筋にはふれたくないが、物語の主人公の一人、CIA工作員ナヴァの巻末に向っての大活躍は、なまじの冒険小説など吹き飛ばすような壮絶さ、ヴァイオレンス・アクションとしても、抜きん出た秀作なのだから面白さは爆発する。しかも、人間の脳のもたらす最高に知的なパフォーマンスまで物語に取り入れているのだから……。
人間社会のあらゆる分野に目を注ぎ、その最先端理論を楽々と咀嚼し、読者の前に開示してくれる。天才のみが描ける世界の上で、小説家としての腕も達者な人間が自在にフィクションを構築しているわけで、言うなれば知的サスペンスとヴァイオレンス・スリラーの合体とあれば、こんな有難い小説はない。
その上で一番僕がぞっこん惚れこんだのは、もう一人の主人公ケインの《決断》だ。ケインは天才数学者であり、彼はどんな局面でもとっさにこれから起るであろうとことや、自分が踏み込む未知の領域における明解な確率の答が頭に数字として現われる。だがそれでも彼は、ときに不利な確率を敢えて無視して突き進むのだ。
《猶予は二〇秒しかない、爆発に巻きこまれる確率は三七・四五八パーセント。しかし、自分は運命を選んだのだ》(本文より)
ケインのこの言葉に僕はぐっと胸を突かれた。統計学がなんだ。数学がなんだ。自分の運命を切り拓くのは勇気なのだ。確率を知りながら敢えて勝負に挑む人たち、そこにこそ目くるめく冒険が生まれるからだ。
ハイエストなインテレクチュアル人間が凄まじいヴァイオレンスの世界で生き残れるのか――。人間のすべての感覚を刺激して止まない不思議知覚サスペンス『数学的にありえない』は、めったにこの世にありえない超面白小説なのだ。
出版社 / 著者からの内容紹介
巨大な陰謀に巻き込まれた天才数学者ケイン。窮地に追い込まれた彼の唯一最大の武器、
それは「確率的に絶対不可能な出来事」を実現させる能力だった----。
北朝鮮に追われるスパイ、謎の人体実験を続ける科学者、宝籤を当てた男、
難病の娘を持つ傭兵......随所に仕掛けられた伏線が次々に起爆、全ての物語は
驚愕の真相へと収束する----。
児玉清さんの読書量には驚き!
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