お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「世界一受けたい授業」を見て・・・

2006年03月23日 | テレビ番組
もったいない

マガジンハウス

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この人が「日本に来て、これは素晴らしい事だと思った事が一つある」と言うのです。それは、トイレの水を流す「レバー」が「大」と「小」に分かれている事だったそうです。そういえば、僕も海外を旅していて、「大」と「小」に分かれた「レバー」のトイレ、見た事ないです。

出版社 / 著者からの内容紹介
2004年ノーベル平和賞受賞者でケニア共和国環境副大臣、ワンガリ・マータイさんが日本で知り、感銘をうけた言葉「もったいない」。ごみ削減、再使用、再利用の精神につながるこの日本語をマータイさんは環境保護の合言葉「MOTTAINAI」として今、世界に広めようとしている。この本は冒頭にそのマータイさんの言葉を紹介、日常生活のなかからさまざまな「もったいない」エピソードを挙げて、絵と文でわかりやすく説明していく。「食事を残すのはもったいない。ごはんは最後の一粒までいただく」「〈おさがり〉はまだ充分使えるものをもったいないから生かす、というリサイクルの風習」など、全14項目。どれも、「もったいない」というすばらしい精神を今の日本人が忘れていることを教えてくれる。「もったいない」という日本語が全世界のキーワードになろうとしている時代におくる、絶好のテキスト。
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先輩のYさん。

2006年03月23日 | エッセイ・日記・意見
僕の一回り先輩の事を今日、突然思い出した。その人を仮にYさんとすると、Yさんは東京でドラマの演出・プロデュースをやっていて、僕たちが大阪でドラマをやっていた時に、転勤で大阪のドラマ班に来られた。凄いチェーン・スモーカーで、いつも煙草を口にくわえ、2時間くらい経つと、デスクの灰皿は吸殻でいっぱいになっていた。
演出もかわっていて、何度もリハーサルを繰り返すのだが、ほとんど、俳優へのダメ出しはせず、「もう一回、お願いします」と一言。

やがて、大阪でのドラマ作りの場は無くなり、ドラマ班は解体。僕は深夜番組に、Yさんは昼間のワイドショー担当に異動になった。今思い出しても感心するのだが、Yさんは午後1時くらいに来て、2時半には外出して、NR(ノーリターン)。だから、一週間でYさんを見るのは、本当に数回だった。

昼間のワイドショーに移って、数ヶ月。Yさんは突然、会社を辞めた。当時、44歳くらいだったと思う。僕らが「送別会をしましょう」と言っても、明確な答えは無く、ご自宅に電話しても通じず、幻の様に消えてしまった。
後に、ハワイに行って、脚本を書いているらしい・・・等、いろんな噂は流れたが、未だに会社の人間でYさんに会ったという人を聞かない。そのまま、勤めていれば、定年間近。当時、独身だったYさんは今頃、どこで何をしているのだろう。

そうそう、僕と似ているところがあった。お互い「酒乱」なのである。Yさんも普段は優しくおとなしい人だったが、ある程度、アルコールが入ると人格がガラッと変わり、激論になった事が何度かあった。最初の激論は「豆腐が美味しい居酒屋」だったのを今、思い出した。

人の気持ちに関係なく、時は流れていく。Yさん、元気してるかなぁ~。
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「花」のアップも撮ってみました。電車の時間を気にしながら・・・

2006年03月23日 | エッセイ・日記・意見
少し精神的に余裕ができたのかなぁ。道端の花に心奪われるのは・・・
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朝、出勤の途中で・・・「春」を見つけました。

2006年03月23日 | エッセイ・日記・意見
保育園の柵沿いに咲いていました。朝からウキウキした気分。もうすぐ、春ですねぇ・・・
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買ってもいないのに・・・個人情報漏洩?そして、不思議な電話。

2006年03月22日 | インターネット
先日、「迷惑メール」の事を書いたが、家と会社の両方のパソコンに大量に来る様になった。特に家のパソコンには、完全に「出会い系」のメールが毎日、山ほど届く。しかも、相手は「個人名」で来るので、騙される人も多いのではないかと危惧している。

インターネットでの買い物も、いちばん安い価格で買えたりし、自宅に直接届くので重宝していたのだが、「買ってもいないもの」に関して、電話連絡が入ったりし、自分の個人情報が漏れているのを確信した。クレジットカードで何か商品を買った場合、インターネット上の取引きでは、カード番号とカードの期限、カードの名義を入れるだけなので、「楽天」とか「Amazon.」とかの大手は「個人情報に関して、セキュリティーを行なっている」と明示されているが、インターネット販売の担当者が会員のカードを使って、買い物をする事は可能だろう。大量に買わなければ、カードの名義者も気付かないだろうし。今のインターネット販売の現状では、「代引き」とか「振込み」で決済した方が安全だと身をもって感じた。インターネット上で「サインができる」とか「捺印ができる」・・・しかも、それが本人以外は使えない「サイン」「印鑑」がインターネット上でシステム的に確立されれば、安心して、買い物もできるのだが。昨年末の「出会い系携帯サイト業者からの恐喝的な電話」といい、心休まる事の無い世の中に向かっているのをひしひしと感じる。

先日、ブログに書いた「アメリカの二人だけのテレビ局」。そのプロデューサーがインタービューに答えて、こう言っていた。
「インターネットには、制限はないんだ。だから、何でも放送できるよ!自由なんだぜ!」
こういう発言を聞くと、インターネット上でも、国際的に統一した「ルールと罰則規定」が必要な時期に来ているのかもしれない。

今日、帰宅した時、携帯に変な電話がかかってきた。名前を名乗っている様なのだが、聞き取れず、「マンションの管理人の電話番号を教えて欲しい。忘れてしまったので」というのだ。「えっ?このマンションにお住まいの方ですか?」と訊くと、「昨日、○○○の会であったじゃないですか?新谷さんでしょ」と言う。
「いいえ、僕は××ですが・・・何故あなたは僕の携帯の番号を知っているのですか?」
「でも、090-○○○○-○○○○ですよね?」
「そうですが、僕は新谷というものじゃありません」
「えっ、それは失礼しました」
と、突然の電話は切れた。単なる「携帯電話の番号」の教え間違いなのか・・・「新谷さん」と「○○○会」というのは何?

個人情報が巷で溢れかえっているのだろうか・・・。恐ろしい事である。


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作曲家・宮川泰さんが亡くなった・・・

2006年03月22日 | 歌・CD
THE HIT PARADE Hiroshi Miyagawa
宮川泰, 大阪市音楽団, 宮川彬良, 近藤浩志, 大阪フィルハーモニー交響楽団, 宮川由利子, 池田重一, 宮川知子
コロムビアミュージックエンタテインメント

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「宮川泰さん」と言えば、僕らの世代では「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を作曲した人というイメージが強い。しかし、たくさんのバラエティー溢れる曲を残したメロディー・メーカーという事を再認識した。

以下は、公式ホームページのプロフィール・・・

宮川泰(みやがわひろし)

昭和6年3月18日北海道留萌市に生まれる。
大阪学芸大学音楽科在籍中より自ら率いるバンドでの演奏活動を、主に関西地方を中心に展開。その後、かねてより念願であった東京での音楽活動のためにバンドを解散し、上京する。
上京後は平岡精二クインテットのメンバーとして活躍、後に渡辺晋とシックスジョーンズへと迎えられ、ピアニストのみならずアレンジャーとして手腕をいかんなく発揮。後年、渡辺氏のメンバーを辞し独立。以来、作曲家、編曲家として、テレビ時代の幕開けから現在に至るまで映像に携わるとともに、ヒット歌謡曲や映画音楽など、不朽の名作を生み出しレコード大賞作曲賞をはじめ多くの賞を受賞(不世出のデュエットコーラスグループ、ザ・ピーナッツの育ての親として良く知られている)。
その結果日本を代表する音楽家として、また我が国の音楽会の重鎮として主にテレビ・ラジオの番組へテーマ曲の提供をする一方で、多くの著名アーティストの主演するミュージカル、ディナーショー等の音楽監督を担当するなど、常に第一線で活躍。またテレビ・ラジオ等でのレギュラーまたはゲスト出演、ライブ活動を行うなど、非常に多忙な毎日を送っている史上有数の音楽家の一人である。
 代表作は「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」「若いってすばらしい」「シビレ節」「銀色の道」「愛のフィナーレ」「宇宙戦艦ヤマト」、クレージーキャッツの一連の映画作品などがある。
主なTV出演は「ときめき歌サウンド」「紅白歌合戦」「しゃぼん玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」「カリキュラマシーン」「午後は○○おもいっきりテレビ」「日曜はピアノ気分」等。
 1995年より東京シティ・フィルとともにポピュラーの名曲などを中心に、楽しいお話をまじえながら充実した内容で展開、非常に息のあったコンサートとして好評を博している。
http://www.miyagawa-world.jp/


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「博多っ子検定」とは・・・

2006年03月21日 | エッセイ・日記・意見
都道府県・市町村といった地域においても、社会の大きな変容が生じています。
そこで、「日本文化検定」の地域版を提供することにより、地域コミュニケーションを円滑にし、地域文化に対する興味・理解を促進させると同時に、教育や地場産業を活性化し、それを通して“人生の生きがい”や“潤いある生活”を地域に密着した形でご提案するものです。

そして、福岡に拠点を置く当機構がその第1弾として実施するのが「博多っ子検定」です。

博多の文化に興味のある地域の方々をはじめとする日本人および外国人を対象に、博多で培われた伝統文化から現代文化までをまんべんなく出題します。
「博多っ子検定」は、日本語版のほか英語版、中国語版、韓国語版をご用意しています。外国語で日本文化を学びたい、紹介したいという方にも対応した試験になっています。http://www.nippon-net.or.jp/03.html
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僕の誕生日と同じ誕生日の人は・・・

2006年03月21日 | エッセイ・日記・意見
[僕と同じ2月27日生まれの人]
1807年2月27日  ヘンリー=ロングフェロー (Henry Wadsworth Longfellow) 【詩人】 〔アメリカ〕
1857年2月27日  フリードリッヒ=ライニッツァー (Friedrich Reinitzer) 【植物学者】 〔オーストリア〕
1874年2月27日  デービッド=ナバロ (David Nabarro) 【医学者(病理学)】 〔イギリス〕
1886年2月27日  上田 碩三 (うえだ・せきぞう) 【ジャーナリスト】 〔熊本県〕 ※電通 元社長
1891年2月27日  デービッド=サーノフ (David Sarnoff) 【経営者】 〔ロシア→アメリカ〕
1892年2月27日  牧田 甚一 (まきた・じんいち) 【経営者】 〔鳥取県〕 ※熊谷組 元社長・元会長
1895年2月27日  宮城山 福松 (みやぎやま・ふくまつ) 【相撲】 〔岩手県〕 ※第29代横綱
1898年2月27日  植竹 春彦 (うえたけ・はるひこ) 【政治家】 〔東京都〕
1899年2月27日  チャールズ=ハーバート=ベスト (Charles Herbert Best) 【医学者】 〔アメリカ→カナダ〕
1899年2月27日  森 岩雄 (もり・いわお) 【映画プロデューサー】 〔神奈川県〕
1902年2月27日  ルシオ=コスタ (Lucio Costa) 【建築家】 〔ブラジル〕
1902年2月27日  ジーン=サラゼン (Gene Sarazen) 【ゴルフ】 〔アメリカ〕
1902年2月27日  ジョン=スタインベック (John Steinbeck) 【作家】 〔アメリカ〕
1902年2月27日  エセルダ=ブレーブトリー (Ethelda Bleibtrey) 【水泳】 〔アメリカ〕
1904年2月27日  アンドレ=ルデュク (Andre Leducq) 【自転車レーサー】 〔フランス〕
1908年2月27日  長谷川 一夫 (はせがわ・かずお) 【俳優】 〔京都府〕
1910年2月27日  竹岸 政則 (たけぎし・まさのり) 【経営者】 〔富山県〕 ※プリマハム 創業者・元社長
1911年2月27日  明石 一男 (あかし・かずお) 【工業デザイナー】 〔新潟県〕
1911年2月27日  三宅 重光 (みやけ・しげみつ) 【経営者】 〔東京都〕 ※東海銀行 元頭取、JR東海 元会長
1916年2月27日  中馬 辰猪 (ちゅうまん・たつい) 【政治家】 〔鹿児島県〕
1918年2月27日  朝吹 登水子 (あさぶき・とみこ) 【作家、翻訳家】 〔東京都〕
1922年2月27日  川島 廣守 (かわしま・ひろもり) 【警察官僚】 〔福島県〕
1925年2月27日  豊田 章一郎 (とよだ・しょういちろう) 【経営者】 〔愛知県〕 ※トヨタ自動車 元社長・元会長
1926年2月27日  鏑木 創 (かぶらぎ・はじめ) 【作曲家】 〔神奈川県〕
1926年2月27日  塩田 晋 (しおた・すすむ) 【政治家】 〔兵庫県〕
1926年2月27日  デービッド=ヒューベル (David Hubel) 【医学者(生理学)】 〔カナダ〕
1927年2月27日  宇野 誠一郎 (うの・せいいちろう) 【作曲家】 〔兵庫県〕
1927年2月27日  箕浦 宗吉 (みのうら・そうきち) 【経営者】 〔岐阜県〕 ※名古屋鉄道(名鉄) 元社長
1928年2月27日  清水 閏 (しみず・じゅん) 【ミュージシャン】 〔兵庫県〕
1928年2月27日  アリエル=シャロン (Ariel Sharon) 【政治家】 〔イスラエル〕
1929年2月27日  君島 一郎 (きみじま・いちろう) 【ファッションデザイナー】 〔東京都〕
1929年2月27日  松本 誠也 (まつもと・せいや) 【経営者】 〔大阪府〕 ※パイオニア 元社長
1930年2月27日  ジョアン=ウッドワード (Joanne Woodward) 【女優】 〔アメリカ〕
1932年2月27日  エリザベス=テイラー (Elizabeth Taylor) 【女優】 〔アメリカ〕
1932年2月27日  服部 一郎 (はっとり・いちろう) 【経営者】 〔東京都〕 ※セイコーエプソン 元社長
1932年2月27日  エルンスト=ヒンターゼアー (Ernst Hinterseer) 【アルペンスキー】 〔オーストリア〕
1933年2月27日  宮内 婦貴子 (みやうち・ふきこ) 【脚本家】 〔静岡県〕
1933年2月27日  山川 静夫 (やまかわ・しずお) 【アナウンサー/NHK】 〔静岡県〕
1936年2月27日  夏木 陽介 (なつき・ようすけ) 【俳優】 〔東京都〕
1937年2月27日  田島 憲一郎 (たじま・けんいちろう) 【経営者】 〔岡山県〕 ※サカイ引越センター 創業者・会長
1939年2月27日  大崎 剛彦 (おおさき・よしひこ) 【水泳】 〔石川県〕
1939年2月27日  高田 賢三 (たかだ・けんぞう) 【ファッションデザイナー】 〔兵庫県〕
1941年2月27日  菊川 剛 (きくかわ・つよし) 【経営者】 〔静岡県〕 ※オリンパス光学工業 社長
1942年2月27日  ロバート=グラッブス (Robert Howard Grubbs) 【化学者】 〔アメリカ〕
1944年2月27日  ケン=グリムウッド (Ken Grimwood) 【作家】 〔アメリカ〕
1944年2月27日  小杉 小二郎 (こすぎ・こじろう) 【洋画家】 〔東京都〕
1946年2月27日  古都 清乃 (こと・きよの) 【歌手】 〔群馬県〕
1947年2月27日  アラン=グース (Alan Harvey Guth) 【物理学者】 〔アメリカ〕
1950年2月27日  桝崎 正 (ますざき・ただし) 【オートレース】 〔福岡県〕
1952年2月27日  グッチ裕三 (ぐっち・ゆうぞう) 【タレント】 〔東京都〕
1952年2月27日  榊原 まさとし (さかきばら・まさとし) 【ミュージシャン】 〔神奈川県〕 《ダ・カーポ》
1955年2月27日  伊藤 博英 (いとう・ひろひで) 【アナウンサー/NHK】 〔岩手県〕
1955年2月27日  竹内 義和 (たけうち・よしかず) 【コラムニスト】 〔和歌山県〕
1956年2月27日  高橋 研 (たかはし・けん) 【作曲家】 〔岩手県〕
1956年2月27日  新沼 謙治 (にいぬま・けんじ) 【歌手】 〔岩手県〕
1957年2月27日  ロバート=ド=キャステラ (Robert de Castella) 【陸上競技/マラソン】 〔オーストラリア〕
1957年2月27日  エイドリアン=スミス (Adrian Smith) 【ミュージシャン】 〔イギリス〕 《アイアン・メイデン》
1958年2月27日  中村 うさぎ (なかむら・うさぎ) 【作家】 〔福岡県〕
1958年2月27日  森田 貴美枝 (もりた・きみえ) 【バレーボール】 〔京都府〕
1959年2月27日  神保 彰 (じんぼ・あきら) 【ミュージシャン】 〔東京都〕
1959年2月27日  田中 幸雄 (たなか・ゆきお) 【野球】 〔千葉県〕
1960年2月27日  高橋 直子 (たかはし・なおこ) 【エッセイスト】 〔兵庫県〕
1961年2月27日  ジェームス=ウォージー (James Worthy) 【バスケットボール】 〔アメリカ〕
1961年2月27日  金子 恭之 (かねこ・やすし) 【政治家】 〔熊本県〕
1961年2月27日  徳永 英明 (とくなが・ひであき) 【シンガー・ソングライター】 〔福岡県〕
1961年2月27日  遥 洋子 (はるか・ようこ) 【タレント】 〔大阪府〕
1962年2月27日  平川 達也 (ひらかわ・たつや) 【ミュージシャン】 〔静岡県〕 元 《LINDBERG (リンドバーグ)》
1962年2月27日  藤野 千夜 (ふじの・ちや) 【作家】 〔福岡県〕
1963年2月27日  石坂 智子 (いしざか・ともこ) 【歌手】 〔石川県〕
1963年2月27日  太平 かつみ (たいへい・かつみ) 【漫才師】 〔京都府〕 《どんきほ~て》
1963年2月27日  山像 かおり (やまがた・かおり) 【女優】 〔大阪府〕
1964年2月27日  住友 紀人 (すみとも・のりひと) 【作曲家】 〔徳島県〕
1966年2月27日  宮田 佳代子 (みやた・かよこ) 【キャスター】 〔東京都〕
1969年2月27日  黒岩 敏幸 (くろいわ・としゆき) 【スピードスケート】 〔群馬県〕
1969年2月27日  田畑 一也 (たばた・かずや) 【野球】 〔富山県〕
1969年2月27日  富田 靖子 (とみた・やすこ) 【女優】 〔神奈川県〕
1970年2月27日  ケント=デザーモ (Kent Desormeaux) 【競馬】 〔アメリカ〕
1970年2月27日  マーク・パンサー (Marc Panther) 【ミュージシャン】 〔フランス〕 《globe》
1970年2月27日  室井 佑月 (むろい・ゆづき) 【作家】 〔青森県〕
1970年2月27日  山田 敏代 (やまだ・としよ) 【格闘家/プロレス】 〔埼玉県〕
1971年2月27日  斎藤 真由美 (さいとう・まゆみ) 【バレーボール】 〔東京都〕
1972年2月27日  藤田 伸二 (ふじた・しんじ) 【競馬】 〔北海道〕
1972年2月27日  松岡 俊介 (まつおか・しゅんすけ) 【俳優】 〔東京都〕
1973年2月27日  久保田 磨希 (くぼた・まき) 【女優】 〔京都府〕
1973年2月27日  セレス小林 (せれす・こばやし) 【ボクシング】 〔茨城県〕
1974年2月27日  清水 宏保 (しみず・ひろやす) 【スピードスケート】 〔北海道〕
1974年2月27日  山田 ハル子 (やまだ・はるこ) 【タレント】 〔東京都〕
1976年2月27日  田村 ゆかり (たむら・ゆかり) 【声優】 〔福岡県〕
1978年2月27日  加藤 慶之 (かとう・よしゆき) 【ミュージシャン】 〔東京都〕 《RAG FAIR (ラグ・フェアー)》
1979年2月27日  舛田 圭太 (ますだ・けいた) 【バドミントン】 〔石川県〕
1980年2月27日  井澤 健 (いざわ・けん) 【俳優】 〔群馬県〕
1980年2月27日  佐藤 隆太 (さとう・りゅうた) 【俳優】 〔東京都〕
1980年2月27日  そら坊 (そらぼう) 【ミュージシャン】 〔北海道〕 《太陽族》
1980年2月27日  宮地 眞理子 (みやち・まりこ) 【女優】 〔神奈川県〕
1980年2月27日  向 清太朗 (むかい・せいたろう) 【漫才師、タレント】 〔広島県〕 《天津》
1983年2月27日  デュエ=ドラガンヤ (Duje Draganja) 【水泳】 〔クロアチア〕
1984年2月27日  吉沢 萌 (よしざわ・もえ) 【タレント】 〔東京都〕
1985年2月27日  安倍 麻美 (あべ・あさみ) 【歌手】 〔北海道〕
1992年2月27日  内藤 拓磨 (ないとう・たくま) 【タレント】 〔神奈川県〕
※上記データは、下記ホームページから引用しました。
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data00/index.htm
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検索エンジン「Google」はこんな機能もあったのだ(バカボンのパパの口調で)

2006年03月21日 | インターネット
グーグル完全活用本

三笠書房

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写真は大阪の「自由軒」のカレーですが、この様な「画像」を簡単に「グーグル」で手に入れる事ができます。「グーグル」の意味は、10の100乗を意味する「googol」からきている。1995年スタンフォード大学の二人の学生が出会った事から始まり、1998年起業。
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「やすきよ」はやっぱり凄かった!!!!!

2006年03月21日 | 笑い
やすし・きよしと過ごした日々―マネージャーが見た波瀾万丈回想記

文藝春秋

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「横山やすしは三島由紀夫である」。生き急ぐことで自分のアイデンティティを証明した横山やすし。かたや西川きよしにとって、参議院議員という生き方を選んだことは、必然だったかもしれない。事件、選挙、コンビ復活、そしてやすしの死―日本一漫才コンビの元マネージャーが描く「疾風怒涛」のお笑い“黄金時代”。
・・・Amazon.の解説より。

この本は「やすきよ」のマネージャーだった著者が書いたもの。「横山やすし」と「西川きよし」の漫才界への入り方の違い、「横山やすし」が事件を起こし、謹慎した事で、二人の「漫才における関係性」がどう変わっていったか・・・等、本当に間近にいた人しか書けない事がいっぱい書いてあるし、「笑いをとる事」の難しさ・・・それが私生活に跳ね返ってくる反動。関西人の僕は素直にこの本の世界に入って行けた。それにしても、吉本興業はいろんな意味で「凄い会社」やとも思わされた一冊である。


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「週刊新潮」に今でも連載中のコラムをまとめた本です。

2006年03月21日 | エッセイ・日記・意見
昭和の墓碑銘

新潮社

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有名な人から無名な人まで、54名の人生を知る事ができます。「その人の価値は棺桶の蓋を閉めた時、決まる」という言葉を聞いた事がありますが、いろんな「死」を知る事で、「どう生きるか」を知る事が出来るのではないかと思いました。なかでも、ビッター元上智大院長が僕の母校である「六甲学院」の創設の際、財政面で奔走された話を初めて知り、もちろんお会いした事も無い人ですが、僕らはいろんな人に「目に見えないけれど」支えられて生きているんだなあと、感動しました。
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「ニノチカ」「怒りの葡萄」を観て・・・

2006年03月21日 | 映画・DVD・ビデオ
怒りの葡萄

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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「ニノチカ」「怒りの葡萄」と二本の映画をDVDで観た。「ニノチカ」は前から観たいと思っていたのがやっと観られた。
「ニノチカ」1939年製作。監督は僕の好きな「エルストン・ルビッチ」。ナチスドイツが台頭していた当時、この映画を観たら、きっと違う感想を持ったと思うが、期待していた程には、面白くなかった。台詞のやりとり等は、脚本に「ビリー・ワイルダー」が入っている事もあり、リズム感があって、なおかつシニカルな笑いの要素もあり、110分退屈しなかった。それと、グレタ・ガルボの美貌・・・を見るだけでも、この映画を観る価値はあるのではないかと思う。

「怒りの葡萄」は重いストーリーではないかという思いが僕の中にあり、だいぶ前にDVDを買っておいたのだが、今日やっと観た。こちらは1940年製作。監督は名匠ジョン・フォードである。多分、時代設定は「世界恐慌」の頃だろう。極貧の家族がアメリカ中西部からカリフォルニアを目指して、旅する中で起こる出来事を淡々と描いている。銃の撃ち合いのある「西部劇」ではなく、家族の話。僕がこの映画に興味を持ったのは、「赤い河の谷間(レッドリバー・バレー)」という名曲が使われているから。劇中でも、ヘンリー・フォンダがダンスをしながら歌うシーンがある。ゆっくりと、観る人の心に滲み込んで行く映画だと思った。

「怒りの葡萄」をジョン・フォード監督が映画化したい、と思った時、既に、この原作の映画化権は、20世紀FOXの敏腕プロデューサー、ダリル・F・ザナックが押さえていた。ジョン・フォードは、「怒りの葡萄」を撮りたいが為、その他数本の20世紀FOXの映画の監督を無理矢理引き受けさせられた。それほど、ジョン・フォード監督は「怒りの葡萄」を撮りたかったのだ。

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WBCで日本が世界一になったぞぉーーーーー

2006年03月21日 | 健康・スポーツ
日本が勝った!!!!!「野球」という競技で、世界一になったのだ。僕が正午頃テレビをつけた時は、既に4-1で、日本が勝っていた。しかし、キューバも国際試合には強い。1点差まで追い上げられて、それを日本が突き放すという展開が最後まで続いた。「王監督」は試合後のインタビューに答えて、「これだけの『重圧』を感じて戦った事は今まで無かった」と。監督の采配は明確だったし、あの普段感情をあまり表に出さないイチロー、世界一が決まった瞬間、チームメイトと抱きついて喜んでいた。

「ON時代」を築き、お互いがヒーローでライバルでもあった「長嶋茂雄」。「長嶋監督」がアテネ五輪の前、病気で倒れ、その「監督代行」を「中畑監督」がやり、そして、今回、日本では既に、オープン戦が始まっている中、「王監督」はいろんな精神的な重圧を抱えながら、「日本チーム」を引っ張ってきた功績は凄く大きいと思う。大塚投手に代わってしばらくして、初めてマウンドに王監督が向かった時は、「何と素晴らしいタイミングで選手の気持ちをほぐしに行くのだろう」と感心した。

そして、もう一人感謝しなければならない人がいる。名前は忘れたが、あの「誤審」をし続けたアメリカの審判である。今日は一塁の塁審だった。最初の「誤審」で「監督」も「選手」も「日本の人々」も燃え上がった・・・それがメキシコにも飛び火し、結果的に、日本の世界一に結びついた。日本人は「判官びいき」である。酷い目にあった「日本チーム」の勝利を誰しも、今日は心待ちにしていた事であろう。

子供の頃、親父が帰ってくると、「巨人戦のナイター」が必ずついており、それを見ながら、冷奴や枝豆を食べてビールを飲んでいる親父の姿が忘れられない。狭い団地だった。でも、何か、今と違って、「生きている感じ」がした。「お父さんが働いているから、御飯が食べられるんだよ」と何度、母に言われた事か。同じ事を、今、妻は子供達に言っている。
プロ野球も常勝の悪役「巨人」がいて、それに立ち向かう庶民球団「阪神」がいたから面白かったのだろう。

今回、国際試合に参加した選手の中でも、何かが変わっていると思う、気持ちの上で。それが良い意味でペナントレースに反映されればいいのになぁ。ちなみに僕は「巨人ファン」。原監督の「熱」で強い「巨人」になって欲しい。


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たった二人のテレビ局・・・しかし

2006年03月20日 | インターネット
http://www.rocketboom.com/vlog/

たった二人でやっている「インターネット」を使ったアメリカのテレビ局。身近に起こっている事を女性キャスターが紹介するという内容。インターネットを通して、世界中から、ニュースを募集している。今、アメリカでとんでもないビュー数を稼ぐ「rocketboom」というテレビ局(サイト)。このテレビ局のCMの価格がオークションにかけられ、二人は一年で何億円というお金を手にするかも・・・
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連続ドラマの記者会見は・・・

2006年03月20日 | テレビ番組
今回は、ドラマの記者会見について、話そう。記者会見の時期は第1話の放送の約一ヶ月前、という事が多い。場所は、キー局のホールを貸して貰う事もあれば、「赤坂プリンスホテル」「ホテル・ニューオータニ」とかの宴会場を借りる場合もある。

ホテルにした方が楽なのは、いろんなアテンドをホテルがしてくれるからだ。

まず、プロデューサーと番組宣伝担当者が相談して、「会見の日時」を決める。各方面から情報を仕入れて、他の連続ドラマやイベントと重ならない様にする。重なると、次の日の「スポーツ紙」の記事が小さくなるからだ。
その後、出演者のうち、誰に出て貰うかを決める。ここで、事務所とネゴをしなければならない事もある。つまり、会見に出たいという事務所側と会見のメンバーに入れていないプロデューサーの駈け引きである。

ようやく人数が決まり、宣伝担当者が当日の「流れ」を文章にする。そこには、「誰がどこの控室」だったり、「会見前と後に流す主題歌などの音楽」だったり、様々な事が書き込まれている。基本的には、主役の控室が会見場に最も近いところになる事が多い。

出来上がった文章をプロデューサーと宣伝担当者でチェック。この時に、控室に「鏡はあるかは?」「サンドイッチやコーヒーは発注しているか?」「会見後の写真撮影での出演者の並び順と何人で撮るか」など、細かく段取りが詰められていく。

宣伝担当は、会見場の「番組名」の入った看板の発注。マイクの本数、司会のアナウンサーの手配などを固めていく。

会見当日、プロデューサーは、早めに会見場に行き、いろんな事をチェックする。「控室から会見場への動線」「トイレの位置」「司会をするアナウンサーとの打ち合わせ」等などである。後は、ホテルだったら、玄関で出演者を待ち受け、控室に一人一人案内する。

宣伝担当者は、質疑応答の時間に記者から質問が出なかった時の事を考え、2~3人の親しい記者に、会見に出る出演者全員に質問が行き渡る様に、念の為、頼んでおく。

会見が始まると、最初にプロデューサーが喋る事になる。もちろん、記者やカメラマンの興味は壇上の出演者にいっているから、かなり、耳に残る「キーワード」、つまり、記事に書きやすい言葉を入れて手短に話す。

そして、出演者それぞれが挨拶。そして、質疑応答が始まる。プライベートな質問がまずい出演者に、記者がそれを臭わせる質問をした時、司会が仕切りきれなければ、プロデューサーが「角が立たない様にやんわりと注意する事」もある。

会見が終わると、写真撮影の時間。出演者が六人だったら、最近は縦に二列、前列三人・後列三人にし、前列の出演者をイスに座らせて、撮影して貰う。以前、横に六人並べて、写真撮影したら、次の日の新聞記事の写真で両サイドの何人かがトリミングされていたのだ。事務所からは苦情が来て、困り果てた事がある。その点、二列に並んで貰って撮影すれば、トリミングがしにくい。
写真撮影で注意しなければならないのは、各事務所との話し合いで、例えば、六人全員のショットと、主役一人のショットだけしか撮影させないと事前に決めておいても、カメラマンが出演者を会見場の別の場所に連れて行って、写真を撮ろうとする事。これは、プロデューサーは身を挺して阻止しなければ、事務所との信頼関係が崩れてしまいかねない。

写真撮影が終わると、「囲み」と言って、出演者一人一人が記者に囲まれ、質問に答えるという時間になる。「囲み」をしないとあらかじめ言われた出演者は写真撮影が終われば退場となる。それ以外の出演者は「囲み取材」を受ける。この時は、宣伝担当者とプロデューサーで手分けして、それぞれの出演者のところに、ピタッとついて聞き耳を立てている。「出演者」にドラマとは関係ない、プライベート等の質問が出た時、「その質問はドラマとは関係ない事なので、御遠慮下さい」と割って入る。

記者会見の流れはざっとこんな感じ。この後、出演者に個別に取材が入っている事が多いので、それぞれの出演者に担当を決め、個別取材をスムーズに進行させていく。大概、主演の俳優さんの個別取材がいちばん多いので、プロデューサーは主演の俳優さんがホテルか局を出るまでケアする。

その頃になると、もう外は夕闇に包まれて、忙しかった一日は終わる。夜、脚本打ち合わせ等の仕事が無い時は、関係者で、ビールで乾杯。一日の労をねぎらう。
記者会見の日は一日中、神経がピーンと張り詰めているので、このビールが最高に美味く、また明日への活力となるのだ。

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