今週も明日が金曜日。忙しかった。テレビ局はどこも不況。だから、支出に関しても最近はメチャメチャ厳しい。どんなに時間が無くて、タクシーを使って移動したくても地下鉄を乗り継いで、打ち合わせをハシゴする。普通の会社では前から当たり前の事だったのだろうが。一月ドラマのクランクインが近づき、気持ち的にも忙しない。ほとんど、会社か、社外で打ち合わせか、自宅に帰って寝るかである。このブログも休んでしまった。さすがに睡眠時間を取らないと体調を崩してしまいそうだからだ。周りでは風邪が流行っている。
毎日、暑い日と寒い日が交互にやって来る。体にこたえる。デジカメ一眼レフを買ったので、写真を撮りに行きたいのだが、その時間も無い。来週はもっと忙しくなってくる。流石に、昨日・今日と「休肝日」。今宵も早く寝よう。
本日、この本を読了。元気が出た。
内容(「MARC」データベースより)
1900年代前半を疾風の如く駆け抜け、北米西海岸カナダターミナルリーグチャンピオンを総なめにした日系人野球チーム「バンクーバー朝日軍」の足跡を、彼らのバックグラウンドである日系カナダ人社会の歴史とともに追う。
著者からのコメント
伝説の日系人野球チーム、その栄光の歴史
テッド・Y・フルモト
王監督が2006年にWBC・ワールド・ベースボールクラシックで優勝した時、日本人として大いに感動し涙したことはまだ記憶に新しい。そして、昨年、北京オリンピックへの出場をかけた星野ジャパンの韓国戦の熱闘とあの劇的なスクイズから始まった台湾戦の勝利は、眼に焼きついて離れない。
そんな、野球狂が実は、約100年前のカナダに居たことは、ほとんどの人が知らない。
この物語は、カナダに実在し、ターミナルリーグに優勝し、北米大陸西海岸の全てのリーグを制覇した、日系カナダ人チーム「バンクーバー・朝日軍」の実話に基づくフィクションである。
約、一世紀前の20世紀初頭にカナダ・バンクーバーには多くの日系移民がいた。彼らは、現代のような、インターネット化・グローバル化など全く想像もつかない時代に、勇気を持って太平洋を渡り、夢を求めて言葉も習慣も違う異国カナダに旅立っていった。当然、その地での人生の成功を目指し頑張った。しかし、そこにあったのは歴然とした人種差別であった。選挙権も被選挙権もなく、市民として公平ではなく、生活も苦しいようだった。
そんな中、パウウェルストリート、当時の日本人街(リトルトウキョウ)において日系2世によるベースボールチームが誕生した。それが「朝日ベースボールチーム」である。彼らは、普段の生活で不公平な差別を受けながらも、野球では公平に闘えた。そして彼らは白人に比べれば小柄な体格で、白人チームには打撃力やその他体力に於いては大幅にハンディキャップを負っていたが、それでも高い技術力と、貫き通したフェアプレイ精神で毎試合を闘い続け、数々の勝利をおさめた。その闘い振りは当時の日系人を熱狂させ、ついには白人サイドにも多くのファンを持つようになり、休日などパウウェルグラウンドは数千人のファンの大歓声に包まれた。
やがて、朝日ベースボールチームの選手は日系人の英雄となり、多くの日系人の若者がチームへ入ることを夢見た。そして、このチームは当時のカナダのターミナルリーグに入り、ますますの活躍を見せ、ついには数ある白人チームをなぎ倒しリーグ優勝を達成した。カナダで最強のチームと呼ばれるようになった。しかし、パールハーバーアタック、太平洋戦争開戦によりこのチームは解散させられた。
そして、この悲劇の解散から62年目の2003年2月、「バンクーバー・朝日軍」はカナダ野球殿堂(Canadian Baseball Hall of Fame) 入りを果たした。
このチームのオリジナルメンバーでエースピッチャーが私の父親です。
私は子供の頃から、この血湧き肉踊る「バンクーバー朝日軍」の大活躍、巨人軍よりも古く、その巨人軍とも戦ったことのある朝日軍の話を聞いて育ちました。しかし、子供心に、なぜそんな英雄的存在を、日本の人達は知らないのだろうと不思議で仕方なかったです。
月日は流れ、1994年のある日、夕食時にテレビを見ていたら、何と「カナダ朝日ベースボールチーム」の特集番組が流れました。私は偶然見たわけで最初は夢かと思いましたが気を取り直し、その後プロデューサーと連絡を取り、カナダに渡り、朝日軍の生存者の方々とお会いしました。そして彼らに「私達は日本のことを忘れたことは無い。日本では私達のことを知っていますか?」と聞かれた。「残念ながら、ほとんど知っている人はいません。」と答えました。
その時の彼らの悲しそうな顔が忘れられません。そしてその時、無謀にも、「私が必ず皆さんのこと、朝日軍のことを本に書きます。そして日本中、いや世界に広く広めます。必ず語り伝えます。」と約束しました。それから忙しさに紛れ約10年の月日が流れてしまった。昨年から仕事の合間を見つけてはこの本を書き、そしてついに完成しました。
私は、「バンクーバー朝日軍」の存在と活躍を知ってもらいたいと共に、今の日本をもっと元気にしたいです。特に若い人達にいい意味での日本を愛する心、愛国心と、日本人としてのプライドを持ってもらい、「日本を元気に、世界を豊かに」と、グローバルに活躍して頂きたく、この本を通じてメッセージを送らせていただきました
毎日、暑い日と寒い日が交互にやって来る。体にこたえる。デジカメ一眼レフを買ったので、写真を撮りに行きたいのだが、その時間も無い。来週はもっと忙しくなってくる。流石に、昨日・今日と「休肝日」。今宵も早く寝よう。
本日、この本を読了。元気が出た。
バンクーバー朝日軍―伝説の日系人野球チームその栄光の歴史テッド・Y.フルモト文芸社このアイテムの詳細を見る |
内容(「MARC」データベースより)
1900年代前半を疾風の如く駆け抜け、北米西海岸カナダターミナルリーグチャンピオンを総なめにした日系人野球チーム「バンクーバー朝日軍」の足跡を、彼らのバックグラウンドである日系カナダ人社会の歴史とともに追う。
著者からのコメント
伝説の日系人野球チーム、その栄光の歴史
テッド・Y・フルモト
王監督が2006年にWBC・ワールド・ベースボールクラシックで優勝した時、日本人として大いに感動し涙したことはまだ記憶に新しい。そして、昨年、北京オリンピックへの出場をかけた星野ジャパンの韓国戦の熱闘とあの劇的なスクイズから始まった台湾戦の勝利は、眼に焼きついて離れない。
そんな、野球狂が実は、約100年前のカナダに居たことは、ほとんどの人が知らない。
この物語は、カナダに実在し、ターミナルリーグに優勝し、北米大陸西海岸の全てのリーグを制覇した、日系カナダ人チーム「バンクーバー・朝日軍」の実話に基づくフィクションである。
約、一世紀前の20世紀初頭にカナダ・バンクーバーには多くの日系移民がいた。彼らは、現代のような、インターネット化・グローバル化など全く想像もつかない時代に、勇気を持って太平洋を渡り、夢を求めて言葉も習慣も違う異国カナダに旅立っていった。当然、その地での人生の成功を目指し頑張った。しかし、そこにあったのは歴然とした人種差別であった。選挙権も被選挙権もなく、市民として公平ではなく、生活も苦しいようだった。
そんな中、パウウェルストリート、当時の日本人街(リトルトウキョウ)において日系2世によるベースボールチームが誕生した。それが「朝日ベースボールチーム」である。彼らは、普段の生活で不公平な差別を受けながらも、野球では公平に闘えた。そして彼らは白人に比べれば小柄な体格で、白人チームには打撃力やその他体力に於いては大幅にハンディキャップを負っていたが、それでも高い技術力と、貫き通したフェアプレイ精神で毎試合を闘い続け、数々の勝利をおさめた。その闘い振りは当時の日系人を熱狂させ、ついには白人サイドにも多くのファンを持つようになり、休日などパウウェルグラウンドは数千人のファンの大歓声に包まれた。
やがて、朝日ベースボールチームの選手は日系人の英雄となり、多くの日系人の若者がチームへ入ることを夢見た。そして、このチームは当時のカナダのターミナルリーグに入り、ますますの活躍を見せ、ついには数ある白人チームをなぎ倒しリーグ優勝を達成した。カナダで最強のチームと呼ばれるようになった。しかし、パールハーバーアタック、太平洋戦争開戦によりこのチームは解散させられた。
そして、この悲劇の解散から62年目の2003年2月、「バンクーバー・朝日軍」はカナダ野球殿堂(Canadian Baseball Hall of Fame) 入りを果たした。
このチームのオリジナルメンバーでエースピッチャーが私の父親です。
私は子供の頃から、この血湧き肉踊る「バンクーバー朝日軍」の大活躍、巨人軍よりも古く、その巨人軍とも戦ったことのある朝日軍の話を聞いて育ちました。しかし、子供心に、なぜそんな英雄的存在を、日本の人達は知らないのだろうと不思議で仕方なかったです。
月日は流れ、1994年のある日、夕食時にテレビを見ていたら、何と「カナダ朝日ベースボールチーム」の特集番組が流れました。私は偶然見たわけで最初は夢かと思いましたが気を取り直し、その後プロデューサーと連絡を取り、カナダに渡り、朝日軍の生存者の方々とお会いしました。そして彼らに「私達は日本のことを忘れたことは無い。日本では私達のことを知っていますか?」と聞かれた。「残念ながら、ほとんど知っている人はいません。」と答えました。
その時の彼らの悲しそうな顔が忘れられません。そしてその時、無謀にも、「私が必ず皆さんのこと、朝日軍のことを本に書きます。そして日本中、いや世界に広く広めます。必ず語り伝えます。」と約束しました。それから忙しさに紛れ約10年の月日が流れてしまった。昨年から仕事の合間を見つけてはこの本を書き、そしてついに完成しました。
私は、「バンクーバー朝日軍」の存在と活躍を知ってもらいたいと共に、今の日本をもっと元気にしたいです。特に若い人達にいい意味での日本を愛する心、愛国心と、日本人としてのプライドを持ってもらい、「日本を元気に、世界を豊かに」と、グローバルに活躍して頂きたく、この本を通じてメッセージを送らせていただきました