「下諏訪宿」 10:30
第21日目の行程を下諏訪宿からスタートする。湯田坂上から延びてきた宿場の町並みは本陣までが横町。
甲州街道との分岐点である本陣前を直角に折れると立町。
立町は諏訪大社下社秋宮の参道も兼ねるように延びている。
旧脇本陣で旅館となっている「まるや」、旧旅籠の「民俗資料館」など格子の家が多い。
家々の前の手水鉢に源泉を落としているのも温泉地の風情がある。
下諏訪から岡谷にかけてR20に絡むように進む中山道は、ところどころ市街地の中に
埋没しているのだが、教育委員会や歴史研究会による案内板で辿ることができる。
「岡谷道追分」 11:30
岡谷市に入って間もなくの長池中町交差点は追分であり「右中仙道、左いなみち」と
刻まれた道標が建つ。伊那街道は天竜川にに沿って辰野へと抜け三州街道につながる。
中山道は緑濃い生垣の道を塩尻峠にむけて緩やかな上り坂になって行く。
「東堀の一里塚跡」 11:40
R20と鋭角にクロスすると間もなく東堀の一里塚跡、日本橋から56番目になる。
この辺の旧い家々は庭も門構えも立派だ。
「今井茶屋本陣」 12:00
目の前に山が近づいてくると今井地籍。
左手に「今井番所跡」、右手に黒塀の続く大きな屋敷が今井茶屋本陣の今井家。
塩尻峠を控えて賑わった立場で明治天皇が行幸時に休息をされている。
今井を過ぎると道標があり「右しもすは、左しほじり峠」と彫られている。
その先中山道とR20と中央自動車道が併走する。江戸と昭和と平成の幹線の共演だ。
草鞋が奉納され足腰にご利益のある「石舟観音」辺りから勾配がきつくなる。
「大石」 12:30
峠越えの名所であった大石と呼ばれる巨石が「木曽路名所図会」にと記されている。
伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われている。
この辺り、峠へと直線的に上る辛い急坂、何度も小休止をし息を整えての峠越えとなる。
「塩尻峠」 12:40
急坂を登りきると塩尻峠頂上。浅間神社の碑が建つ。展望台からの景色に息を呑む。
行く先に乗鞍岳と穂高連峰、新緑と3000m超の山々の白のコントラストが美しい。
振り返ると数時間前に発った諏訪・岡谷の町並み、雪解け水を湛えた諏訪湖を見下ろす。
爽やかな風に汗が引いていく。
塩尻峠から松本盆地へと降りていく。こちら側の方が緩やかだろうか。
塩尻側にも立派な茶屋本陣、旅人はもちろん、参勤交代の大名も皇女和宮も休憩した。
庭先のつつじが美しく、堀の菖蒲が咲いたらさらに目を楽しませてくれそうだ。
「東山一里塚」 13:20
伝説夜通道の地蔵、東山一里塚、馬頭観音を見ながら降りていく。
併走するR20は全面的に登坂車線が整備され、かなりの交通量が快適に疾走していく。
文字通りの長い坂道「長井坂」を下り、みどり湖PA付近の長野自動車道を跨ぐと柿沢集落。
風格のある家々が並ぶ。切妻造りの民家の屋根にあるのは「雀踊り」という棟飾りだだ。
下柿沢交差点を過て右手に永福寺観音堂。旭将軍木曽義仲が信仰した馬頭観音が本尊だ。
「塩尻宿」 14:40
中山道は仲町交差点でR153に出る。ここからが塩尻宿には旧い遺構は殆どない。
建坪で中山道最大であった川上本陣は明治時代に消失し、跡碑が残っているに過ぎない。
唯一旧旅籠「いてふ屋」の小野家が昔のすがたを残している。
下大門交差点は「中山道鉤の手」で枡形となっている。塩尻宿はここまでだ。
現在は五差路になっていて、写真は下諏訪を背にして右手は松本街道(R153)、
正面はJR塩尻駅に向かう道、左手に折れると木曽へ向かう中山道になる。
第21日目は下諏訪宿から塩尻峠を越えて塩尻宿まで11.4km。約4時間の行程となった。