旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

東海道紀行9 興津宿~江尻宿~府中宿~丸子宿

2019-01-13 | 東海道紀行

06:50「興津宿」 00:00:00
 相模灘に陽が昇る。未明から東名高速道路を飛ばしてきた。
暫くは、ドライブ+街道歩き+ドライブのハードな時期そして区間になる。
"東海道を歩く旅" 第9日目は、JR興津駅からスタートする。 

 

興津宿に旧い遺構は残っていない。
案内板が建つ興津宿公園向かいの割烹旅館岡屋は、街道時代の旅籠がその前身と云う。 

宿場は名刹清見寺の手前まで。
清見寺和尚は今川氏の人質として駿府に過ごした時代の教育係だったとか。
その縁で、大御所として駿府に隠居した晩年には、度々ここに来遊したと云う。 

Navi37-2 (静清バイパスガード下)波多打川橋西詰(左折)  400mで国道1号に戻る 

Navi38 辻町交差点(斜め右) → <市道> → 清水江尻郵便局 1.5km 

 

07:45「細井松原」 00:55:00
 辻交差点から延びる道は、100本を越える細井の松並木であったことを碑が伝える。
その先500mほどで、辻一里塚跡、そして東木戸跡を経て江尻宿に入って来た。
白壁の蔵と格子戸の旧家が宿場の雰囲気を醸している。 

Navi39 清水江尻郵便局(右折) → <清水銀座通り> → 魚町交差点 0.4km 

08:10「江尻宿」 01:20:00
 松平信康(家康の長男)の墓所・江浄寺を鉤の手に折れると清水銀座商店街に入る。
駿河國では府中(静岡)に次いで大きな宿場であったと云う宿場の中心地になる。  
本陣3、脇本陣3、旅籠50軒の賑わいも、今では少々閑散とした様子だ。 

江尻宿は大坂江戸航路の中継基地・清水湊を擁し、船手奉行が置かれて発展した。
広重が描いた江尻の風景は、三保半島を背景に帆かけ舟で賑わう清水湊だ。

Navi40 魚町交差点(左折) → <県道75号線> → 入江2丁目交差点 0.3km 

ふたたび鉤の手を折れると巴川を稚児橋で渡る。子河童のモニュメントが可愛らしい。 

Navi41 入江2丁目交差点(右折) → <市道> → しずおか信金御門台支店 3.0km 

久能道追分に道標が建ち、「是より志三づ道」とある。
紅いシャッターの追分羊羹は元禄八年(1695年)創業の老舗。道中食として人気だった。 

Navi42 しずおか信金御門台支店(右折) → <県道407号線> → JA静岡市 国吉田支店 2.6km 

09:00「草薙一里塚」 02:10:00
 県道407号線と合流すると直ぐに草薙一里塚跡。
日本橋から四十二番目の塚木は榎、塚脇には高札場があったと云う。 

 日本武尊を御祭神とする草薙神社、その大鳥居が見えてきた。
この地で賊に襲われ火を放たれた時、剣で草を薙いで難を逃れたと云う。 

Navi43 JA静岡市 国吉田支店(左折) → <市道> → 春日一丁目交差点 4.0km 

Navi43-2 静岡鉄道県総合運動場駅手前(左折)  240m 

Navi43-3 旧東海道記念碑でJR用地で先を塞がれたら、北村地下道で渡り、延長線上の道を行く 1.1km 

Navi43-4 古庄交差点(左折)  200mを国道1号線

Navi43-5 長沼交差点(斜め右)  静岡鉄道線沿いを1.1kmで国道1号に戻る 

10:05「静岡縣護國神社」 03:15:00
 長沼一里塚を過ぎると静岡鉄道線の反対側に静岡縣護國神社の杜が見えてきた。
維新以降の静岡所縁の殉国者を祀った神社は、少々遅めの初詣客が訪れている。
参道もフリーマーケットでアンティークを並べた露店と冷やかす客で賑わいを見せる。  

Navi43-6 柚木交差点(左折)  小鹿通りを260m、JR線アンダーパスを潜る 

Navi43-7 JR線アンダーパスを潜ったら階段を上がり左折 260m 

 

Navi43-8 曲金五差路(右折)  途中JR線アンダーパスを潜って350m 

Navi44 春日一丁目交差点(直進) → <市道> → 安倍川橋東詰 3.8km 

国道1号線の春日町一丁目交差点が東見附跡、ここから3.6kmが府中宿になる。
静岡の中心部に向けて徐々に賑やかになる伝馬町通り、2軒の本陣もこの通りに在った。 

Navi44-2 江川町交差点(斜め左)   江川町通りを170m 

Navi44-3 呉服町交差点(右折)  呉服町通りを300m 

11:05~11:45「府中宿」 04:15:00
 鉤の手を2つ曲がった呉服通りは歩行者天国になった静岡の中心街になっている。
府中宿の規模は本陣2、脇本陣2、旅籠43、問屋場1軒。ほかに貫目改所が設けられていた。 

ちょっと寄り道をして駿府城巽櫓、この日はちょうど静岡市消防出初式の真っ最中。 
はしご乗り・纏演技、隊員・車両部隊の分列行進、一斉放水が披露されたようだ。 

しばし弥次喜多と与太話を愉しむ。ちなみに十返舎一九はここ府中の生まれである。 

Navi44-4 札之辻交差点(左折) 七間町通りを400m 

Navi44-5 エンブルタワー七間町先(右折) 210m 

Navi44-6 梅屋町郵便ポスト手前(左折) 新通りを1.3km 

Navi45 安倍川橋東詰(直進) → <県道208号> → 藤枝市水守交差点 16.8km 

4つめの鉤の手を曲がると新通りを真直ぐ1.5kmで安倍川に達する。
橋手前の「石部屋」は文化元年(1804年)に創業した "安倍川餅" の老舗なのだ。 

大御所の隠居地駿府を控え、防衛上の観点から安倍川も徒歩渡しだった。
渡し船は禁止され、旅人は着物をまくりあげて浅瀬を渡るか、人足の肩車か蓮台で渡った。

広重の府中宿の図は、安部川を渡る旅人の様子を克明に描いている。 

Navi45-2 手越原交差点(右折) 国道1号線と230m重複 

Navi45-3 佐渡交差点(左折)

Navi45-4 丸子交番前(右折) 

13:05「丸子宿」 05:35:00
 安倍川を渡り、宇津ノ谷峠に向かう丸子川沿いに針路を西に転じると丸子宿に入る。
その規模は本陣1、脇本陣2、旅籠24軒と東海道中では最も小さい宿場のひとつと云える。 

「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」と芭蕉が詠んでいる。広重も描いている。
弥次喜多は膝栗毛の中で、茶屋の夫婦喧嘩の巻き添えに遭い、食い逃している。
それほどに "とろろ汁" の丁子屋は街道でも著名な茶屋であった。 

 

今回の街道めしは、趣ある茅葺き屋根の茶屋で江戸風情たっぷりに "とろろ汁" を食す。
地産の在来自然薯を使った白味噌仕立てのとろろ汁、ほんのり甘くて美味しいのだ。

夜明けの興津宿を発って、見どころ少ない道中を快足飛ばして次郎長親分の江尻宿へ。
鉤の手を何度も折れた府中宿で弥次喜多と与太話、餅は我慢して安倍川を渡って丸子宿。
東海道を歩く第9日目は "とろろ汁" で〆て所要5時間35分の旅。次回は宇津ノ谷峠を越える。

興津宿~江尻宿~府中宿~丸子宿 20.2km 



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