朝陽を浴びて始発の820Mが伯耆大山の3番ホームに入ってきた。濃黄色は岡山の車両だ。
伯備線を旅すると陰陽連絡線の呑み潰しも完了、JR西日本の完乗もゴールが見えてくる。
山陽地方と山陰地方を陰陽連絡線の中で、唯一の幹線と言えるのが伯備線。
14往復の特急と、東京と直結する寝台特急、長大な貨物列車も走って気を吐いている。
車窓に名峰 大山(1,729m)を眺めようと楽しみにしていたのだけれど、
手前の山々と、すでに東の空高くに昇った夏の陽の逆光となって、その姿を仰ぐことができない。
早々に諦めてプシュッと開ける手塩にかけた “男梅サワー” が美味い。
濃黄色の115系の後ろ姿はまるで食パン、中間車両に無理やり運転台を設置するとこうなる。
820Mは途中駅で上り下りの特急やくも号に道を譲って、1時間40分をかけて新見駅に終着する。
赤い瓦が目をひく木造2階建ての新見駅の降り立つのは2度目になる。
2年前の夏、芸備線と姫新線を乗り継いだ際、この小さな町に投宿して一杯やっている。
岡山県で人気のご当地洋食グルメ “えびめし” が食べたくて、ローカルなファミレスに足を運んだ。
9:00開店は調べておいたのだけど、ご飯物の提供は10:00からでした。っでなんだか懐かしいモーニング。
このあたりの「抜け」具合が呑み人の旅、行き当たりばったりが楽しい。とひとり言い訳。
1時間を待てないのは2番手の850Mの出発が09:57だから、これを逃すと2時間待ちになる。
わずかに姫新線のディーゼルカーが先きに出発し、濃黄色の2両編成岡山行きがガクンと動き出す。
車窓には緑深い谷と夏の陽が煌めく川面が流れる。
新見から倉敷までの伯備線は、岡山鳥取県境を源流とする高梁川に寄り添って蛇行して往く。
この113系・115系というのは国鉄時代の電車、だいたいアラフィフといったところか。
普段首都圏で乗っている車両とはモーターの唸り方が全く違っていて、これがまた楽しい。
備中高梁で途中下車するのは、高原の「赤い町並み」が見たいから。
小さなバスに1時間揺られて辿り着く「吹屋」は、かって弁柄と銅生産で繁栄した鉱山町の町だ。
レトロなボンネットバスが走ってきた。戦後まもない頃の風景といったところだろうか。
この町は、財を成した商家の旦那衆が石見(島根県)から宮大工や瓦職人の棟梁たちを招き、
競うように優れた意匠のお邸を建てた結果、形成されたものだという。
旧吹屋小学校は平成24年3月末まで、現役最古の木造校舎として使用されていた。
小さな校庭やプールから、子どもたちの歓声が聞こえてきそうなくらい、そのままに保存・公開している。
壁には紅がら格子を嵌め、屋根には赤銅色の石州瓦を載せて、ジャパンレッドの町並みが美しい。
吹屋の「弁柄」は、九谷焼・伊万里焼あるいは輸島塗り・山中塗りにも用いられ、日本文化の赤を彩った。
苦しそうに坂道を登っていくボンネットバスを追いかける。そろそろ時間だからね。
吹屋を訪ねるには備北バスの2往復がある、どちらの便で行ってもおよそ1時間の滞在となる。
県都岡山が近づいて、さすがに3番手の1840Mは4両編成となった。
濃黄色の4両編成は、停まる駅ごとに乗客を増やし、いつしか立ち客が出るほどの満員になる。
それでも列車は総社に出るまでは、風光明媚な高梁川が織りなす風景の中を走る。
こんな風景の中に帰るべき故郷があったらと思うことがある。
旧盆の帰省で降り立った無人駅、駅頭で偶然に初恋のひとに出会う。いやこれは必然か。
夏祭りの夜、角のたばこ屋の前で落ち合う約束をする。っと妄想がすぎるなぁ。
伯耆大山から所要3時間で山陽路に戻ってきた。山陽本線と合流する倉敷がこの旅の終わりになる。
が陽はまだ高い、東京行きの新幹線に乗車する前に、蔵の街を歩き、そして呑みたい。
この日も35°を超える猛暑日、せめて日陰を求めて古いアーケードの商店街を歩く。
狭苦しい通りを抜けると、突然に白い蔵の街が開ける。こんもりとした緑を背景に眩しいくらいに白。
緩やかにカーブして続いている本町通りは早島とを結ぶ街道筋なんだね。
江戸から明治時代の面影を残して、どこまでも続くかのように白い町家が軒を連ねて美しい。
何度か訪ねた倉敷だけど、今の今まで、大原美術館がある倉敷川沿いしか知らなかった自分が恥ずかしい。
っで、暑さも忘れて路地から路地へ、町家と蔵が織りなす白い世界を歩き廻るのだ。
「おつかれ生です♡」って新垣結衣ちゃんとジョッキを合わせる。
古いアーケードのえびす通り商店街を辿って「ほしや食堂」を見つける。
こんな時間帯は超コアな常連さんしか居なくて、アウェー感いっぱいだけど、
東京行きの新幹線に乗る前に汗は鎮めておきたい。
“白菊” はさっき抜けてきた備中高梁の酒、五百万石で醸した超辛口がキリッと切れる。
そしてこの “胡麻カンパチ” の甘みと風味が辛口の酒によく合う。当たりだ。
夏らしく “なす焼き” が登場、削り節が踊っているね。ポン酢でさっぱりと美味しい。
一転して “嘉美心” は旨口の酒、寄島という瀬戸内海に面した町の蔵らしい。
山の酒と海の酒、地元オヤジの定番酒をいただいて、少しだけ岡山を知った気になって愉しい時間だ。
さて伯備線の列車は山陽本線に乗り入れて岡山まで走る。旨口の余韻を残して呑み人も車中の人となるのだ。
伯備線 伯耆大山〜倉敷 138.4km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
SWEET MEMORIES〜甘い記憶~ / 松田聖子 1983
「食パン」
の一言が痛快でした~
首都圏や京阪神を走る車両もいつかは地方へ。
その際、いろいろ手を加えて、その地方に適応する訳ですが
時には不様であったり、コミカルであったり、
あっ、色合い的にはフレンチトーストですかね?
今回の旅日記興味深く楽しませていただきました。
私は趣味で日本画を習ってまだ5年目の初心者ですが
最近弁柄色のことを知りました。
弁柄色は暗い赤みを帯びた茶色、土中の鉄が酸化した酸化第二鉄を主成分とする顔料で、
インドのベンガル地方で良質のものが取られたことからベンガラの色名がついたそうです。
弁柄の赤い街、現地で本物の色見てみたくなりました。
レトロなバスも走っていて、まるで映画の中のワンシーンのようです。
海老飯が時間外で食べられなくて残念でしたね。
私は岡山駅前のデパートのレストランで食べてみました。
真っ黒なご飯に一瞬引けましたが、食べてみると
不思議な癖になる美味しさでしたよ♪
是非、また機会を作って食べてみて下さいね(^_-)-☆
弁柄こと、教えていただき、ありがとうございます。
この顔料のある無しで、日本の文化もまた
違ってきたであろうこと考えると、感慨深いですね。
吹屋、是非お訪ねになってください。
ブログで拝見するのを楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
赤い町並みは、結構な山道を登った先に忽然とありました。
何故こんなところに、という思いと、
良く保存してきたな、という思いと、
まあ、それくらい雰囲気のある町並みでした。
是非訪ねてみてください。
あっ、ボンネットバスは週末のみの運行です。
えびめし、岡山に宿題を残しました。
💻コメントを有難う御座いました✌&感謝で~す!
☺:今週は天気予報に注意しながら元気でですごしましょ~ネ。
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🎥見て頂いた感想コメントも楽しみにお待ちしてますネ。
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弱いくせに酒好き、旅は大好きなので
いつも楽しく拝読しております。
また拙ブログにもいらしていただいており、
感謝です。
今日は高梁の吹屋の御記事だったので嬉しくなってコメントしています。
もう何年も前、備中松山城をめざして高梁へ出かけ、雨の中登城を断念。
それならと弁柄の吹屋へ足を延ばし、忘れられない土地になりました。
弁柄、大好きなんです。
倉敷の白い漆喰も良いですよね、素敵な対比です。
ついでにいうと、聖子カットの世代ですので
懐かしいですw
いつも訪問いただき有難うございます。
「遠くへ行きたい」拝見しました。
濃黄色の電車が重なりましたね。
なんだか嬉しいです。
コメント有難うございます。
コメントありがとうございます。
貴ブログは、なかなか興味深いまた美味しい旅を
綴っていらっしゃいますね。拝見しております。
備中松山城も行ってみたいスポットです。
私も次なる機会には登城してみたいと思います。
世代が近そうですね。聖子ちゃんカット、流行りましたもの。
懐かしいボンネットバスの写真。
僕が子供の頃住んでいた京都を思い出しました。ボンネット型のトロリーバスです。
そして鉄道が大好きだった僕としても、読んでて観ていてとても楽しい。
これからも楽しみにしています。
子どもの頃、私の育った街もまだ一路線だけ、
ボンネットバスが走ってました。
路線上に叔母の家があって、乗る機会がありました。
女性の車掌さんが切符を売っていたような。
記憶の中のバスと比べると、ずいぶん小さな吹屋のバスでした。
幼児のころの視点と記憶ですからね。
ボンネット型のトロリーバスって想像がつきません。
どの辺りを走っていたのでしょうか。
コメントありがとうございます。
よろしかったら、またお寄りください。