もう年賀状は書き終わって発送済みでしょうね
私も昨日やっと書き終わって投函しました
少し早いかも知れませんが終活年賀状と言うのを書きました
今年も身近な人の死や後輩を見送る事が続き 私も少しずつ終活を始め
様と考え始めました 終活年賀状もその一環として行った
何時も年賀状交換している人達には非礼だと思われるでしょうが
年賀状
昨夜ブログを読んでたら
田舎からの便りとのブログ名でブログを書いて居る方が下記の様な内容で
投稿されてましたので紹介したいと思います。
2007年1月・北海道新聞「私の発言」欄に、学習塾経営の安部松吉さんの
「80歳からは行動を簡素に」という投稿が載ったそうでその記事の紹介だ
「80歳からは行動を簡素に」 安部松吉 さん・美幌町在住
私は現在87歳です。年をとると、頭で分かっていても体がついていきません。半面、体は元気でも頭の方が駄目になることもあります。
しまいには、身の回りのことさえ人手を煩わすことになります。長いお付き合いに感謝しつつも、ついには、それが重荷になってしまいます。そんな現実から、心ならずとも次の三点を実行してみるのはどうか、と考えてみました。
第一は年賀状は大儀になったら、減らすかやめにします。来るから出すといったものまで含めて、大量に書くとなると大仕事です。来年の賀状に今までのお礼を記して、翌年からの失礼を伝えればいいのです。
第二は、お中元、お歳暮の廃止です。物にかかわることなので少々勇気がいりますが、さしあたり親せきや旧知から始めたらどうでしょう。これにより、買出しや発送にかかわる手続きから解放されます。
第三は、友人たちへのお見舞いの見直しです。老化と病気は人間の宿命です。入院時のお見舞いも二度、三度となると、お互いに考えさせられます。老人相互のお見舞いは1回限りにしても失礼にはならないのではないでしょうか。
これらの実行のタイミングは、男女の平均寿命に近い80歳あたりが適当かと思います。人間の機微に触れる問題なので、実行するには先方の了解を得ることが大切です。たとえば、このような申し合わせを、老人の集いなどの際のテーマにしてはどうでしょう。
昨今は、税金、年金、医療、介護に対する老人の負担が一層厳しくなりました。そんな折、経済的にも、このような老人の行動の「簡素化」は許されていいことではないでしょうか。
この記事を読んで
14年も前にこの様な事を考えていた87歳の方がいたとは驚きです
世の中の伝統や文化を大切にしなければ成らないのは当然でしょうが
時代は日進月歩で進んでます時代に即応した対応をして行きたいものです
悪しき慣習や伝統も徐々に改めて行くのは当然でしょう
このブログを読む前に終活年賀状を発送してしまいました
考えは人それぞれなので自由に生きて行きたいね
昨年致しました。息子や娘の仲人への
お歳暮もやめました。
とは云え 孫たちへのお年玉は請求され
るので仕方がありません。可愛い孫ですから‥
人の命は何時までか分かりません、まして何時呆けるのかも未知数なので思い切って欠礼としました。
お年玉は別物でしょうね。
渋谷さんは請求前に出して居る筈でしょう。