先日、NHKのある番組で、水泳の北島康介選手が「こう見えても、小さいときからいろいろ習いごとをしてきました。でも、長続きしたのは水泳だけ、きっと好きだったからでしょうね」と語っていた。
昔から「好きこそ物の上手なれ」とよく言われるが、好きなことには自然とそれに熱中するから上達が早い。また、「下手の横好き」というのもあり、下手なくせに、その物事をするのが好きであるということである。要するに、何事も好きだから長続きするのであり、下手でも長く続けていれば少しは上手くなるということだろうと思う。
思い起こせば私も70年近く生きてきて、これまで習いごとや遊びごと、スポーツもいろいろやった。が、長続きしたものは一つとしてなく、唯一、40代の終わりから始めたスイミングだけが、20数年後の今も続いている。これこそ、「好きこそ物の上手なれ」とまではいえないが、「下手の横好き」で、単に好きだったからであろう。
年を追って記憶をたどってみると、親掛かりで習いごとをしたのは、小学校低学年時のお習字とそろばん。そして、5年生のときのバレエとピアノだろうか。今思えばピアノもないのになぜ習ったのか不思議だし、バレエも始めた動機がよく思い出せない。今思えば母親の見栄だったかもしれないと…。だから、私もあまり熱心ではなく、ほんの短期間だったように記憶している。中学校では豊かでない暮らしの中から、母が、当時は数少なかった学習塾へ通わせてくれたことはありがたかった。
スポーツは中学校の部活で、バレーボールとハンドボール。高校時代は「軽井沢の恋」からテニスが流行した頃で、私もご他聞に漏れずテニス部に入部。ぜいたくにもラケットを買ってもらい練習したが、一度試合に出してもらっただけで、全くものにならなかった。
成人後、モノになったかどうかは別として、遊びを含めた習いごとはいろいろやった。24歳の頃に1年ほど英会話スクールへ通ったが成果なし。そして、26歳から何年間は、のん気なパラサイトの身分をいいことに、家庭マージャンにはまり相当な授業料を…。また、ボーリングや、ゴルフの打ちっぱなしにも夢中になったが、運動神経の悪さと性根がゆがんでいるせいか、どうしても球がまっすぐ飛ばないので、とうとう一度もグリーンへ出ることもなしでやめてしまった。
また、友人にもらったギターがあったので授業料を払ってレッスンを受けたが、弾けるようになったのは「禁じられた遊び」だけ。そして、冬になってスキーを始めたが、慣れてきたシーズンの終わりごろ、転倒して骨折。まったくざまの悪い話である。
孔子の論語「30にして立つ」ではないが自立のため、タイピングスクールへ通い検定2級の資格を取得。それが以後の食い扶持を稼ぐ基となったのである。そして、40歳を目前にして奮起、通信教育で医療事務講座を終了。副業として、知人の紹介で月末と月初めの10日間ほど近くの医院の保険請求事務をすることになった。が、テキストでやるのと実際とではまるで違い、医師のカルテがまるで読めなくて仕事にならず、1日でギブアップ。また、書道師範の資格を夢見て書道塾へ通ったが、仕事との両立で成就できるほどたやすい道ではないことを悟って挫折。いかに物事を甘く見ていたかを思い知った。
趣味では、日本人形作りの通信講座を6ヶ月間受講、毎月1体ずつ作って人にあげたこともある。また、「60の手習い」で、NHKの通信教育で水彩画6ヶ月コースを受講したが、大して役に立たなかった。レース編みも毛糸の編み物も、解説書を見ながらそこそこのものは編める。解説書を読んで自分でできることには月謝を払ってまで習うことはない。要は自分で楽しみながらやるのが趣味だと思っている。
1995年、「Windows95」の発売と同時にパソコンと解説書を購入、独学で習得し、おかげで65歳までしっかり稼がせてもらった。
昔から「好きこそ物の上手なれ」とよく言われるが、好きなことには自然とそれに熱中するから上達が早い。また、「下手の横好き」というのもあり、下手なくせに、その物事をするのが好きであるということである。要するに、何事も好きだから長続きするのであり、下手でも長く続けていれば少しは上手くなるということだろうと思う。
思い起こせば私も70年近く生きてきて、これまで習いごとや遊びごと、スポーツもいろいろやった。が、長続きしたものは一つとしてなく、唯一、40代の終わりから始めたスイミングだけが、20数年後の今も続いている。これこそ、「好きこそ物の上手なれ」とまではいえないが、「下手の横好き」で、単に好きだったからであろう。
年を追って記憶をたどってみると、親掛かりで習いごとをしたのは、小学校低学年時のお習字とそろばん。そして、5年生のときのバレエとピアノだろうか。今思えばピアノもないのになぜ習ったのか不思議だし、バレエも始めた動機がよく思い出せない。今思えば母親の見栄だったかもしれないと…。だから、私もあまり熱心ではなく、ほんの短期間だったように記憶している。中学校では豊かでない暮らしの中から、母が、当時は数少なかった学習塾へ通わせてくれたことはありがたかった。
スポーツは中学校の部活で、バレーボールとハンドボール。高校時代は「軽井沢の恋」からテニスが流行した頃で、私もご他聞に漏れずテニス部に入部。ぜいたくにもラケットを買ってもらい練習したが、一度試合に出してもらっただけで、全くものにならなかった。
成人後、モノになったかどうかは別として、遊びを含めた習いごとはいろいろやった。24歳の頃に1年ほど英会話スクールへ通ったが成果なし。そして、26歳から何年間は、のん気なパラサイトの身分をいいことに、家庭マージャンにはまり相当な授業料を…。また、ボーリングや、ゴルフの打ちっぱなしにも夢中になったが、運動神経の悪さと性根がゆがんでいるせいか、どうしても球がまっすぐ飛ばないので、とうとう一度もグリーンへ出ることもなしでやめてしまった。
また、友人にもらったギターがあったので授業料を払ってレッスンを受けたが、弾けるようになったのは「禁じられた遊び」だけ。そして、冬になってスキーを始めたが、慣れてきたシーズンの終わりごろ、転倒して骨折。まったくざまの悪い話である。
孔子の論語「30にして立つ」ではないが自立のため、タイピングスクールへ通い検定2級の資格を取得。それが以後の食い扶持を稼ぐ基となったのである。そして、40歳を目前にして奮起、通信教育で医療事務講座を終了。副業として、知人の紹介で月末と月初めの10日間ほど近くの医院の保険請求事務をすることになった。が、テキストでやるのと実際とではまるで違い、医師のカルテがまるで読めなくて仕事にならず、1日でギブアップ。また、書道師範の資格を夢見て書道塾へ通ったが、仕事との両立で成就できるほどたやすい道ではないことを悟って挫折。いかに物事を甘く見ていたかを思い知った。
趣味では、日本人形作りの通信講座を6ヶ月間受講、毎月1体ずつ作って人にあげたこともある。また、「60の手習い」で、NHKの通信教育で水彩画6ヶ月コースを受講したが、大して役に立たなかった。レース編みも毛糸の編み物も、解説書を見ながらそこそこのものは編める。解説書を読んで自分でできることには月謝を払ってまで習うことはない。要は自分で楽しみながらやるのが趣味だと思っている。
1995年、「Windows95」の発売と同時にパソコンと解説書を購入、独学で習得し、おかげで65歳までしっかり稼がせてもらった。
わたしも幼稚園~小学校高学年までエレクトーン、書道などを習いましたが、ことごとく挫折しましたが、唯一水泳だけが続けられました。
継続は力なり、とよく言われますが、「下手の横好き」で小学校五年の時から書き始めた小説は現在も続いています。
野球は好きで入社以降続けてきたのが、現役を引退しても子供を教えることに繋がっています。
やはり真剣になれるもの、好きなことをするのが一番ですね。
あなたも水泳をなさるのですか。今でも続けていらっしゃるのですか。
小学校5年から小説を書き始めたとはすごいですね。私も中学か高校か、ラブストーリーを書いたことがありました。あなたの作品にはとても及ばない稚拙なものでしたが、女の子は一度はそういったロマンチックなことにあこがれるものなのかもしれませんね。
それでもずっと書き続けていらっしゃることに感服いたします。本になさろうとされたことはないのですか。
♠おくだっちさま
好きな野球で子どもたちを指導できるって楽しいでしょう。
技だけでなく人間的に優れていなければ、なかなか指導者になれるものではありません。きっと、子どもたちから慕われているのでしょうね。
私は、すべて1人でできることばかりやってきたようで、わがままな人間だということがよくわかるでしょう。協調性に欠けているのです。
内容が面白すぎて…(笑)
凄い経験と体験ですね
私も年少の頃の習い事はレディーサンと殆どよく似ています(体育系を除けば)
そして、好きこそ~~で
今も『趣味です』と言えるのは
バレエ、PCとなりますかね…
しかし過去の経験は私の年になって
間違いなく精神の糧となっています
人生無駄な事はあまりない様で
お恥ずかしい話ですよね。いろいろやった割にはものになったものがないというのは…。
やりたいことがやれたというのはよかったと思います。が、精神の糧になったかどうかは疑問ですね。
遊びも仕事も精一杯やったということでは悔いはありませんが、今の抜け殻みたいな空虚な気持ちはどうしたらいいのでしょうね。
うららさんのように、何かに挑戦しようという気持ちでもあればいいのですが…。