つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

私、ミーハーでよかったと思う・・・

2010-09-04 | 私事ですが
 先月の中ごろか、興味あるニュースが目に付いた。
 『高齢者が犯行理由に「孤独」を挙げるケースは、万引きでも目立っている。警察庁によると、昨年1年間に万引きで摘発された65歳以上の高齢者は全体の25%にあたる2万7019人で、過去最多となった。また、警視庁が今年1~4月に都内で摘発した万引き犯のうち、65歳以上の144人について調べたところ、57.6%にあたる83人が一人暮らしで、92.4%にあたる133人は無職だった。
 警察幹部によると、動機は従来のような「生活苦」を理由とするケースのほか、「寂しかった」「孤独だった」とする供述が目立っているという。―後略―。』

 犯罪理由が「生活苦」というのは、まあ理解できないことはないが、「寂しい」、「孤独」というのが犯罪とどうつながるのか、どうにも理解しがたい。罪を犯して捕まれば相手にしてもらえるので寂しさを紛らわすことができる、そういうことだろうか。しかし、それで寂しさが紛れても一時のことで、その後にやってくる自責の念は寂しさ以上に、やりきれない気持ちになるだけではなかろうか。
 高齢のため仕事がない、ほかに収入源の当てもない、そういう「生活苦」の解決策を見つけるのは難しい。が、「寂しい」、「孤独だ」というのは、自分の気持ち次第である程度は解消できるのではないだろうか。しかし、高齢者は、気持ちを紛らわすための「ひとり遊び」ができないのではないかと思う。戦後の何もない苦しい時代を生きてきた人たちは誰もが遊ぶ余裕などなく、ただ働くことしか知らなかった。だから、豊かな時代になって働かなくてもいいとなっても、遊ぶすべを知らないのである。そうなると時間をもてあまし、ついつい余計なことを考えるようになり、とどのつまりが「寂しい」、「孤独だ」というところまで追い込まれてしまうのであろう。

 現に、私の亡母がそうであった。道楽者の父のせいでずいぶんと苦労し、30代後半から60歳過ぎまでずっと働きづめだった。そんな母の遊びというのは本を読むことくらいで、私が中学生の頃、今から50年以上も前だが、「婦人公論」を定期購読したり、また、谷崎潤一郎新訳の「源氏物語」全12巻などの文学作品が家にあり、私も読んでいた記憶がある。年老いても読書を好み、新聞はすみからすみまで読んでいたようだが、テレビはニュース以外はほとんど見ない人だった。
 リタイヤしてからは子どもたちの足手まといになりたくないと、自分で手続きをしてケアハウスに入るような意地の強い母だったが、生来、人付き合いが苦手で、性格も地味ときては親しい友人もできなかったようである。それでも短歌や俳句を作ったり、人形をつくったり、また、70歳近くなって町主催の「英会話教室」に通うなど、周囲を驚かせたこともあった。
 しかし、加齢とともに視力・集中力が衰え、新聞以外に興味をもたなくなってくると、暇をもてあまし、単調な毎日に飽いて、だんだんとマイナス思考になっていった。誰もが陥る高齢者特有の心の病は、自分で気持ちをコントロールする以外にどうしようもないのであるが、それも年をとると自制心がきかなくなるらしい。これが私のように、テレビが好き、韓流ドラマが好きというミーハーだったら、少しは気も紛れ、暇をもてあますことはなかっただろうに…。もし、私がテレビなんてくだらないという人間だったら、きっと今頃は退屈で退屈で、死にたくなっているだろう。そう思うと、私、ミーハーでよかったとつくづく思う。

 人間誰しも老いてゆけば連れ合いに先立たれる。また、子どもたちが自分の家庭を持てば、住宅事情や収入問題もあって同居は困難となり、いやおうなく1人暮らしをせざるを得ない時がやってくるだろう。その1人暮らしを寂しいと感じるか、気楽でいいと思うかは人それぞれ、性格の違いもあるだろう。人を当てにしなければ裏切られ腹を立てることも、寂しい思いをすることもないのだが、家族に依存して生きてきた人ほど、より寂しく孤独を感じるようになるのではないかと思う。
 誰にも邪魔されず、勝手気ままに自分のためにだけ生きることが許される一人暮らし。この気楽さを「寂しい」、「孤独だ」なんて思いながら、ただ死ぬ日を待つだけではもったいない。泣いても笑っても人生は一度きり、同じなら笑って一生を終えたい。とはいうものの、いかに能天気な私でも時にはどうしようもなく落ち込むときもあるが、そういうときにはケ・セラ・セラ…。 
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1 コメント

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なるようになるさ (おくだっち)
2010-09-05 09:50:53
ですか、確かにそのとおりですね。

子供を教えるのは楽しいですが、そのための大人付き合いは疲れます。
エゴの強い人に会うと、時に辞めようかと思いますが、子供たちの笑顔に後押しされてこれまで続けられました。

自分のために、炎天下で運動しようとは思いませんから子供たちのお陰で、健康な体が維持できているのでしょうね。
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