つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

坂本龍一氏の「たかが電気のために…」発言・・・

2012-07-30 | どう思いますか

 7月16日に代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」で、ノーベル賞作家・大江健三郎氏は「原発事故がなお続く中で、関西電力大飯原発を再稼動させた政府に、侮辱されていると感じる」と述べた。また、ミュージシャンの坂本龍一氏は「たかが電気のために、なんで命を危険にさらさなければいけないのか。美しい日本、国の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」と述べたという。しかし、彼の「たかが電気のために…」という文言に対して、反原発側からの賛同の声と、自体を冷静に見る人からの批判の声が上がり、ネットで大きな議論に発展したという。
 
私は、ネットの書き込みサイトは一切見ないので、こういう騒ぎが起きたことは全く知らなかった。が、最近のデモ参加者は、ツイッターやフェイスブックなどを通じた呼び掛けで集まった若者が多いということはマスコミ報道で知っている。中には、集団心理というか、ただ何となく参加してみようと興味本位で集まった若者も少なくないだろう。また、小さな子どもを連れた若い母親の姿もあったが、訳のわからないまま親に連れてこられ、あの炎天下、長時間立ちっぱなしの子どもの体調が心配ではないのか。「子どもの命が心配」という母親が、炎天下に子ども連れでデモに参加しシュピレコールを上げる。この気持ちがどうにも理解できないのである。   

 大江健三郎氏は、以前にも「脱原発を目指そう。それによって降りかかる経済負担は受け止めればいい」と語ったことがある。それについて私は「経済的余裕がある大江氏だから言える事で、年収200万円ほどの低所得で暮らす人たちにそんなことが言えるだろうか。」と、自分のブログで反論したことがある。
 
また、坂本龍一氏は現在アメリカに住んでおり、漏れ聞くところによれば、税金もアメリカに納めているという。が、日産の電気自動車のCMに出演してガッポリ稼ぎ、大量の電力を使って音楽イベントやコンサートを開き、そして「はい、それまでよ」とアメリカに帰ってゆく。彼にとって日本の電気料金が値上げされようが停電しようが関係ないのである。「たかが電気…」と言いながら、しっかり日本の電気のお世話になっているではないか。どんなにカッコいいことを言っても、しょせんは富める者の暇つぶし、自己満足に過ぎないというネット記事にもうなずける。       

 フリーライターの赤木智弘氏は『忘れ去られてしまった「お金の大切さ」』というブログの中に『世間的には「たかが電気」という発言が注目されているが、僕はその後に坂本が口にした「お金より命。経済より生命」という言葉。そしてその言葉に会場から歓声が上がり、ブーイングの1つも聞こえなかったことの方に深い絶望を感じた。』と書いている。
 
「お金より命」これは富める者だから言える言葉で、命があってもお金がなくては食べられない、生きてゆけないのである。坂本氏のように、日本とニューヨークを行き来する豊かな生活もお金があればこそで、「お金より命」とは、富める者の詭弁だと私は思っている。
 
原発は電力の安定供給をもたらし、日本の経済発展に寄与してきたことは否定できない事実であり、経済が発展したからこそ文化レベルも上がったのである。坂本氏のような職業も文化の発展があればこそで、音楽機器の開発・発展なくしては成り立たなかったであろう。大江健三郎氏も坂本龍一氏も、すべてを手に入れた人生の成功者であり、我々とは住む世界が違うのである。そんな人に「お金より命。経済より生命」なんて言われると、お金の有り難味を一番良く知っている貧乏人としては反発したくなる。   

 昨今、脱原発、再稼動反対、消費増税反対、TPP参加反対、オスプレイ配備反対と、あちこちで抗議集会が開かれているが、その人たちの中にはネトウヨ(ネットで右翼的発言をする人たちのことを指す)に扇動され、周囲の雰囲気に飲み込まれ、知らず知らずのうちにボルテージを上げてゆく人も少なくないという。が、どんなに熱くなって声を張り上げて抗議しても、それで国の政策が変わるなんてことはまず有り得ないだろう。
 
今、俳優の永島敏行さんが発起人となって昨年スタートした「みどりのカーテンプロジェクト」が話題になっている。デモに時間を費やすより、こうしたプロジェクトに参加・協力するほうがどれだけ有意義か。消費電力を抑えることができれば電力供給も安定する。それが行く行くは「脱原発」に繋がるかもしれないのだ。デモで声を張り上げても何も変わらないが、このプロジェクトが全国的に広がれば大きな節電成果が期待できよう。「小さなことからコツコツと」である。

   

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネックレスやピアスで皮膚炎... | トップ | 「白いダイヤ」といわれるシ... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2012-07-30 21:34:33
お金お金いうけれど地球上の資源に限りがある限り、そのうち資源を食い潰して人間いやその周りの生き物を道ずれにして滅んでしまうだろう。
お金をぼっ掛けるのではなく、お金に頼らない社会を作らなければいけない。
人間は物を作り出す手を持っている、人を背負って歩く足を持っているのである。他の動物たちにはない言葉と言うものを持っている。
お金が無くてもお互い足りないものを補って助け合っていく道はきっとある筈である。
これからはそういう方向に社会をシフトしていかねばならないのでは。

返信する
Unknown (オールドレディー)
2012-07-31 09:02:26
★亀さま
人それぞれ考え方の違いは仕方ないですね。

<お金が無くてもお互い足りないものを補って助け合っていく道> 道理としては理想的だと思います。古きよき昔にはそういう世の中があったように思います。
が、今は人のことより自分が先、いじめや虐待、親殺し、子殺し、優しさも思いやりもない殺伐とした世の中です。
生活もままならず、生活保護に頼る人は増える一方の現在、現実的に考えて、お金に頼らない生き方ができるでしょうか。
今の政治家には何も期待できません。ユートピアはどこにあるのでしょうね。
返信する
最重要課題 (suri-riba)
2012-07-31 11:51:16
理想と現実のはざ間で、 究極の選択をしなければ
なりませんね。
「反対・反対」を叫んでも、現実の代替案なしではね。
期間限定の停電とは、訳が違いますから・・
日本の命運を賭す覚悟があるのか?

原発推進派も、今までの「でたらめ」を懺悔して、
少なくとも断層上の原発は、稼働廃止するなど
現状のままで・・は、危険過ぎます。今までのジャブジャブの電力量は過去の話。常に事故リスクを片手に。

それと並行して、代替エネルギー早く研究開発するしか
妥協点はないように思うのですが・・。

返信する
Unknown (オールドレディー)
2012-07-31 19:13:18
★suri-ribaさま
首長選挙でも必ずしも「脱原発」首長の人が当選するとは限らないようです。
理想で言えば原発はないほうがいいと誰もがわかっていても、現実には原発なしでは立ち行かないということも分かる。難しい選択を迫られています。

電力会社は火力発電のフル稼働で燃料費が高騰、大幅な赤字決算のところが多いとか、それがいずれは消費者に跳ね返って来るのでしょうね。

代替エネルギーもこれという決定的なものがないようで、この先一体どうなるのでしょう。
返信する

コメントを投稿

どう思いますか」カテゴリの最新記事