つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

「酒鬼薔薇聖斗事件」手記、あとがき全文・・・

2015-06-13 | やりきれません

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗事件」の加害男性が、「元少年A」の名で手記「絶歌」 を出版、10日に発売されたという。当時14歳だった少年もいまや32歳、「18年という歳月は非常に長いと思いますが、私たち遺族にとっては、どれほどの歳月がたとうとも、子どもへの想いは変わることはありません」という被害者の父親の苦しみと無念さを、彼はどう受け止めているだろうか。
 元少年が逮捕されたのは6月28日。あの日は久しぶりにわが家に遊びに来ていた亡母と一緒にテレビを見ていた時で、大きな衝撃を受けたことを今でもはっきり覚えている。7月2日、逮捕少年の顔写真が掲載された写真週刊誌『フォーカス』が販売され、翌日には『週刊新潮』も目隠し入りの顔写真を掲載、販売した。翌日、法務省は回収を勧告したが、両社はそれを拒否。大半の書店では販売を自粛したそうだが、販売した一部の書店では即完売したという。また、ネット上では少年の顔写真が流布、大騒ぎになったがすぐに削除された。
 今、ウィキペディアで事件の全容を読むと、少年Aという人間がいかに冷酷で、残忍かつ卑劣なサディストであるか、あらためて思い知らされた。そんな少年Aがどう変わったか興味はあるが、ネットにあった「絶歌」のあとがきを読んで、もう買ってまで読もうという気は失せた。「書くことが、僕に残された唯一の自己救済」とあるが、書かれていることが事実かどうかは神のみぞ知るで、自分が楽になりたいがために書いて、それを一方的に世に公表するというのは自己主張が強く、わがままな性格のように思える。
 少年院を退院後、どんなに苦労してきたか、どう生きてきたかを切々と訴えているが、それで世間の同情を買い、自分の存在を認められたいという意図があるようにも思える。被害者遺族の心情を思うなら、本当に心から罪を悔いているならば、被害者遺族にだけ真実を話し許しを請い続ければいいことで、被害者遺族の心情を無視してまで世に訴えて何の意味があろうか。出版物には編集者の手が入るのは常識だが、あまりに立派過ぎる文章に、これが本当に元少年Aの心から出た言葉なのかも疑わしくなる。心に響くものがなければ、どんなに謝罪の言葉を書き連ねても、しょせん言い訳に過ぎないのである。
 この本が売れれば多額の印税が入るだろう。本当に償いの気持ちがあるなら、その印税を全額賠償にあてるか、また何らかの形で社会のために有意義に使いたい。自分は1円も受け取るつもりはない、とあとがきに書き記していれば少しは信じられたかも…。でも、遺族は決して受け取らないだろう。まさか生活に困窮しているという理由で出版を思いついたのではあるまいが、なぜ今頃になって、という疑問は拭えない。こんなやり方は被害者遺族の心情を逆撫でするだけではないか。

被害者の家族の皆様へ
 まず、皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です。
 何を書いても言い訳になってしましますが、僕がどうしてもこの本を書かざるを得なくなった理由について、正直にお話させていただきたく思います。
 二〇〇四年三月十日。少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。「力がありませんでした」で済まされる問題でないことは、重々承知しております。それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。許されないと思います。理由になどなっていないと思います。本当に申し訳ありません。
 僕にはもう、失うものなど何もないのだと思っていました。それだけを自分の強みのように捉え、傲慢にも、自分はひとりで生きているものだと思い込んだ時期もありました。でもそれは、大きな間違いでした。こんな自分にも、失いたくない大切な人が大勢いました。その人が泣けば自分も悲しくなり、その人が笑えば自分も嬉しくなる。そんなかけがえのない、失いたくない、大切な人たちの存在が、今の自分を作り、生かしてくれているのだということに気付かされました。
 僕にとっての大切な、かけがえのない人たちと同じように、僕が命を奪ってしまった淳君や彩花さんも、皆様にとってのかけがえのない、取替えのきかない、大切な、本当に大切な存在であったということを、自分が、どれだけ大切なかけがえのない存在を、皆様から奪ってしまったのかを、思い知るようになりました。自分は、決して許されないことをしたのだ。取り返しのつかないことをしたのだ。それを理屈ではなく、重く、どこまでも明確な、容赦のない事実として、痛みを伴って感じるようになりました。
 僕はこれまで様々な仕事に就き、なりふりかまわず必死に働いてきました。職場で一緒に仕事をした人たちも、皆なりふりかまわず、必死に働いていました。
 病気の奥さんの治療費を稼ぐために、自分の体調を崩してまで、毎日夜遅くまで残業していた人。
 仕事がなかなか覚えられず、毎日怒鳴り散らされながら、必死にメモをとり、休み時間を削って覚える努力をしていた人。
 積み上げた資材が崩れ落ち、その傍で作業をしていた仲間を庇って、代わりに大怪我を負った人。
 懸命な彼らの姿は、僕にとても輝いて見えました。誰もが皆、必死に生きていました。ひとりひとり、苦しみや悲しみがあり、人間としての営みや幸せがあり、守るべきものがあり、傷だらけになりながら、泥まみれになりながら、汗を流し、二度と繰り返されることのない今この瞬間の生の重みを噛みしめて、精一杯に生きていました。彼らは、自分自身の生の重みを受け止め、大事にするのと同じように、他人である僕の生の重みまでも、受け止め、大事にしてくれました。
 事件当時の僕は、自分や他人が生きていることも、死んでいくことも、「生きる」、「死ぬ」という、匂いも感触もない言葉として、記号として、どこかバーチャルなものとして認識していたように思います。しかし、人間が「生きる」ということは、決して無味無臭の「言葉」や「記号」などでなく、見ることも、嗅ぐことも、触ることもできる、温かく、柔らかく、優しく、尊く、気高く、美しく、絶対に傷つけてはならない、かけがえのない、この上なく愛おしいものなのだと、実社会の生活で経験したさまざまな痛みをとおして、肌に直接触れるように感じ取るようになりました。人と関わり、触れ合う中で、「生きている」というのは、もうそれだけで、他の何ものにも替えがたい奇跡であると実感するようになりました。
 自分は生きている。
 その事実にただただ感謝する時、自分がかつて、淳君や彩花さんから「生きる」を奪ってしまったという事実に、打ちのめされます。自分自身が「生きたい」と願うようになって初めて、僕は人が「生きる」ことの素晴らしさ、命の重みを、皮膚感覚で理解し始めました。そうして、淳君や彩花さんがどれほど「生きたい」と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました。
 二人の命を奪っておきながら、「生きたい」などと口にすること自体、言語道断だと思います。頭ではそれを理解していても、自分には生きる資格がないと自覚すればするほど、自分が死に値する人間であると実感すればするほど、どうしようもなく、もうどうしようもなく、自分でも嫌になるくらい、「生きたい」、「生きさせて欲しい」と願ってしまうのです。みっともなく、厭ったらしく、「生」を渇望してしまうのです。どんなに惨めな状況にあっても、とにかく、ただ生きて、呼吸していたいと願う自分がいるのです。僕は今頃になって、「生きる」ことを愛してしまいました。どうして事件を起こす前にこういった感覚を持つことができなかったのか、それが自分自身、情けなくて、歯痒くて、悔しくて悔しくてたまりません。淳君や彩花さん、ご家族の皆様に、とても合わせる顔がありません。本当に申し訳ございません。
 生きることは尊い。
 生命は無条件に尊い。
 そんな大切なことに、多くの人が普通に感じられていることに、なぜ自分は、もっと早くに気付けなかったのか。それに気付けていれば、あのような事件を起こさずに済んだはずです。取り返しのつかない、最悪の事態を引き起こしてしまうまで、どうして自分は、気付けなかったのか。事件を起こすずっと前から、自分が見ない振りをしてきたことの中に、それに気付くことのできるチャンスはたくさんあったのではないだろうか。自分にそれを気付かせようとした人も大勢いたのではないだろうか。そのことを、考え続けました。
 今さら何を言っても、何を考えても、どんなに後悔しても、反省しても、遅すぎると思います。僕は本当に取り返しのつかない、決して許されないことをしてしまいました。その上このような本を書くなど、皆様からしてみれば、怒り心頭であると思います。
 この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
 本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにいられませんでした。あまりにも身勝手過ぎると思います。本当に申し訳ありません。せめて、この本の中に「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行であってくれればと願ってやみません。土師淳君、山下彩花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
本当に申し訳ありませんでした。

元少年A
一九八二年 神戸市生まれ
一九九七年 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)を起こし医療少年院に収容される
二〇〇四年 社会復帰

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2 コメント

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まちがっている・・ (suri-riba)
2015-06-14 18:10:23
ここまで思考できるなら、この手記は「書いてはいけない」と気付くハズです。
自己弁護に終始した内容で、被害者を逆なでするばかりです。
今の時代、「生きる」なら仕事もあり、例え印税を寄付しても被害者を逆なでする事に変わりはないです。
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Unknown (オールドレディー)
2015-06-15 09:38:23
★suri-ribaさま
本はすごい売れ行きだそうです。こういう本はどこまでが真実か分かりません。書いた人も自分に都合のいいように書くだろうし、編集者もさらに効果があるような文句で飾り立てるでしょう。
「感動した」とかいう人もいるけど、ほとんどが批判的だそうです。他人事ながら私もあとがきを読んだだけでムカついてきました。
元少年Aは多くの人のサポートでこれまで生きてこられたことに感謝し、辛いことにも耐えて沈黙を守るべきでした。自分の存在を認めてもらおう、普通の人と同じように楽しく暮らしたい、そんな厚かましいことを望んでこれを書いたのでしょうが、間違っていますね。
あの事件の全容を読むと、あんな人間が心から真人間になったとはとても信じられません。あとがきの文章には彼の本性が見え隠れしているように思えて、不愉快です。
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