つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

米兵による性犯罪事件は沖縄だけではない!・・・

2012-10-20 | やりきれません

 18日の記事より。【沖縄県で16日、米海軍兵士2人が女性に性的暴行を加え、首にけがをさせたとして、沖縄県警に集団強姦致傷容疑で逮捕された。2人は米テキサス州の基地所属で、任務のため14日に米軍嘉手納基地に入り、16日にグアムに向かう予定だった。―後略―】
 逮捕された容疑者はいずれも23歳。1人は上等水兵、もう1人は三等兵曹で、2人は沖縄駐在の兵士ではないという。基地の管理はアメリカの自主管理で外国人登録もないし、入国管理もない。したがって、彼らが日本に来たという記録は一切ないため、彼らがグアムへ発った後だったら、どこの誰かも分からず、捜査は難航しただろうといわれている。被害者が勇気を出して、すぐに警察に届け出たことが早い逮捕に至ったらしい。  

 下表は、沖縄で起きた米軍兵士による事件・事故の記録である。
   
 これを見ると、米軍兵士による事件のほとんどが性犯罪事件であることに驚く。だが、これは主に全国紙で報道された事件で、「日米地位協定」が見直された1995年以降に発生した性的暴行事件は17件に及ぶという。また、同様の事件は日本国内の基地だけではなく、韓国でも米兵による少女暴行事件などが相次いでいるという。

 話が変わるが、
終戦直後の日本のことは4歳だったので全く記憶にない。聞くところによると、日本人は、進駐してきた連合軍兵士を「鬼畜英米」と恐れ、女と見れば見境なく陵辱するというので、婦女子は髪を短く切り顔に墨を塗って男の格好をして身を守ったという。戦勝国の軍人は何をやっても許されると勘違いした一部のバカ者どもの破廉恥な所業だが、その昔、日本軍も中国や韓国で同じようなことをして婦女子を恐怖に陥れたという話も聞いている。        
 
「戦争は人間を狂わす」と言われるが、常人ではなかったからどんな残忍なことでもやれたのだろう。だが、終戦から68年も経て、米兵による陵辱を恐れねばならぬとは何たることか。日本は日米安保条約に守られているとはいえ立派な独立国であり、属国のごとく人命を軽視されるのは我慢ならない。   
 19日、在日米軍は日本滞在の全ての米軍人を対象にした深夜外出禁止を打ち出したという。が、過去に出された外出禁止令は短期間で解除されるケースが多く、米軍の“常套手段”で根本的な解決にはならないだろうという。

 先日、NHKで【負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~】というドラマが放送されたが、その中で、進駐軍用の特殊慰安施設を作り、婦女子を米兵の暴行から守ろうという国策の話が出てくる。生活苦のため高報酬に釣られて多くの女性が応募したそうだが、占領下の7年間、彼女たちの犠牲によって米兵による性犯罪が減ったことは確かだったようである。
 
こうなったら、米国の責任において、本国から志願した女性を連れてきて、日本各地にある米軍基地内に慰安施設を作ればいいのである。若い兵士たちが多い軍隊では性的欲望を解消するための対策は重要な問題であろうに、無責任に獣を野に放って、日本の婦女子が犠牲になるなどもっての他である。  

 余談だが、亡父の仕事の関係で、広島県呉市に住んでいたことがある。1951年に『サンフランシスコ平和条約』が締結され、同時に締結された『日米安全保障条約』によりアメリカ軍の日本駐留が決まり、沖縄を始め、各地に米軍基地が置かれた。戦時中は軍港でもあり、戦艦大和が作られた海軍工廠がある呉市は、当然のごとく基地の町となった。      
 
占領軍(GHQ)が撤退するまでの7年間、米軍や英軍、ベレー帽にスカートを履いたスコットランド軍など、多くの進駐軍が我が物顔で街中を闊歩していたことや、「ギブ ミー チョコレート」と叫びながらMPのジープのあとを追いかける子供達を今でもよく覚えている。
 
夜の喧騒は凄まじく、MPのジープが走り回り、日本人の姿が見えない町はどこか遠い異国のようであったと記憶している。夜ともなれば “パンパン” と蔑称される女性たちが嬌声を上げ兵士たちと戯れる。「オンリー」といって決まった1人の兵士だけを相手にする女性、誰かれとなく食べるために体を売る“夜の女”、10歳に満たない子供がこうした言葉を知っているのは、基地の町に住んでいればイヤでも耳に入ってくるからである。      
 
そして、占領軍が撤退したあとに残ったのは、縮れっ毛で肌の黒い子や青い目をした白い肌の子を抱えた女たちだった。悪童たちから「あいの子、あいの子」とからかわれて泣いていた子供たち、その子たちも今では70歳に近い高齢者となっているだろう。  
 
子供の目に映る敗戦国日本の状況からも、食べるために春をひさぐ女性はともかく、進駐軍兵士によって陵辱され、身も心も踏みにじられた女性は数え切れないほどいただろうと想像できる。戦争に負けるということはこういうことなのだと知ったのは、ずっと後のことである。

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2 コメント

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オールドレディさま (suri-riba)
2012-10-22 17:39:22
私も記憶にあります。
当時珍しいきつい御化粧で、兵隊さんの腕にぶら下がりその後ろからゾロゾロと子供達がついて行きました。

忌わしい残像ですが、沖縄ではいまだに心の晴れない日々で残念です。
かといって、米兵すべて“引きあげろ”と言う状況にはなく
再教育しかないのでしょうか・・
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Unknown (オールドレディー)
2012-10-22 19:03:40
★suri-ribaさま
基地がなくならない限りこういう悲劇は続くでしょう。
でも、基地はいりませんとは、今の日本では言えませんね。
韓国はともかく、中国の戦力は恐ろしいですからね。

いやな世の中ですね。国会はお休みが続き、のん気なことです。
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