落語家の二代目桂ざこばさんが12日、喘息のため76歳で死去したそうだ。前日の夜も普通に食事し就寝したが、夜中にぜんそくの発作を起こして意識を失い、そのまま自宅で息を引き取ったという。落語も面白かったが、レギュラー出演していた「そこまで言って委員会」での歯に衣着せぬ物言いが痛快で、毎週欠かさず毎週観ていたなあ。
私も喘息で苦しい思いをしたから他人事とは思えない。1990年、まだ50歳前だった。走るとゼイゼイ喉がなり、息苦しくなる。だが普段は何ともないので放置していた。
ところがある夜、明け方だったが激しい発作を起こし、親友に救急病院へ連れて行ってもらった。そこで「気管支喘息」と診断され、翌日から入院することになった。あの苦しさ、死ぬかと思った。
それ以降も長期入院を2回。入院中にはいろいろあった。ある日突然、手足に力が入らなくなり動けなくなった。点滴薬の副作用だったらしい。また、胸がひどく痛むのでレントゲンを撮ったら、なんと肋骨2か所にヒビが入っていた。ひどく咳きこんだのが原因だとか。これは何度かあった。
笑うに笑えない話もある。親友たち3人でグアム島へ。出発前から調子が悪かったが、キャンセルしたら親友たちに悪いと…。だが到着してからひどくなり、3日間ずっとホテルで寝ていた。おまけに帰国した翌日から入院だって、なにしに行ったのやら…。
ちょうどその頃だ。テレサテンが喘息で死亡、42歳だった。このニュースには驚きとともに私も死の恐怖を感じた。その頃、私は2種類の飲み薬と、発作が起きたときに使う気管支拡張剤メプチンを使用していた。それがあるから安心ということではない。効かないほどひどい発作もある。
2005年ころだったか、町中で調子が悪くなって、近くの個人病院へ駆けり込んだ。診察時間終了間際だったが、1時間ほどかかる点滴をしてくれた。その親切が有難くて、以後、そこでお世話になることにした。
しばらくして、たまたまネットでよく効く喘息吸入薬があるというのを知った。先生に使いたいと頼んだが「発売されたばかりでデータが少ない。もう少し様子を見よう」という。私は「どんな結果になろうとも全責任は私にあります。ぜったいに文句は言いませんから…」と頼み込んでようやく許可を得た。運が良かったと言おうか、その吸入薬が効いたらしく、激しい発作は起こらなくなった。だがそれにも副作用があって、うがいの仕方が悪かったのか声帯をやられて、音痴になっていた。「歌を忘れたカナリア」のようにかわいくはないが、発作で苦しむよりマシだとあきらめた。
現在は吸入ステロイド薬と気管支拡張薬の合剤シムビコートを、1日2回2呼吸使っている。ステロイド薬は骨がもろくなるとは聞いていたが、骨粗鬆症が思いのほか進んでいたのもそのせいだろう。
もう20年ちかく発作は起きていない。医師は「1日2回を1回に、それか2呼吸を1呼吸にしては?」という。だが私は息ができない苦しさ、恐怖がトラウマになっている。薬物依存症と同じ、薬はぜったいにやめられないのである。😭😩
おかげで気管支系は健康維持で過ごしていますが
子供2人が小児喘息で小学校入学まで
風邪に掛からないよう神経質なほど気を付けて過ごしました。
あの発作を見るののが辛くて。
それでも忘れたかのように健康でもう50代半ば
オールドレデイさんは今も強力なお薬を使用されているのですね。
どうぞ命取りにならないよう十分おきをつけて下さい
ざこば師匠のように気を失ってしまえば苦しいとも感じないで、そのまま亡くなるのでしょう。
私など何時間も死ぬような苦しみが続き、あげくに長期入院でした。楽になれるなら死んでもいいと思ったけど、日ごろの行いが悪いせいで、神は楽にしてくれませんでした。
以前勤めていた幼稚園の主任の先生がひどい 喘息でした
皆さん話せば結構色々体験されてる様で
何でわたしばかりが?とはおもったことはありません
10年まえ乳癌と宣告された時も、私もですか?とつい笑ってしまい、笑い事ではありませんと、主治医に言われましたし
二度目の盲腸癌の時も笑うしかなかったですね
幸い治療中も苦しい目にあったことはなく、不幸中の幸いと心して過ごしてます
落ち着かれている今の様子 何事もないように祈ってます
喘息の発作が起きた時の呼吸ができない苦しさ、本人でないと分からないでしょう。血中の酸素が欠乏するので歩く体力・気力がなく、どこに行くのも車椅子でした。
発作が出なくなった今でも、時折、トラウマ記憶に背筋が凍るような恐怖を感じます。吸入薬がないとまた発作が起きるのでは、と不安になります。これって薬物依存でしょうね。ざこば師匠のように意識をなくしたまま死ねるのなら私は本望ですわ。