つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

ジダンへの処分決定・・・

2006-07-22 | Weblog
 現役最後のW杯決勝戦で、イタリアのマテラッツイに頭突きを食らわせ、退場処分となったフランスのジダンに処分が下された。世界中が注目する中、FIFAは「けんか両成敗」の形で決着をつけたが、これには各国それぞれの意見があり、物議を醸しているようだ。 
 双方からの事情聴取では、人種差別はなかったとの判断だが、欧州各国では移民労働者の大量流入により失業者の増加や所得格差の拡大が深刻化しており、併せてアフリカ系サッカー選手への人種差別で不満を解消しようとする動きが社会問題となっている現状は依然として変わらないという。人種差別行為の徹底した撲滅とともに、競技場から「言葉の暴力」をどう排除していくか。2010年南アフリカ大会に向け、サッカー界に課題を残した結末となった。
 なお、ジダンに与えられたW杯最優秀選手賞はく奪の可能性云々には、「賞は、彼の並外れたパフォーマンスに基づいて投じられた票によるもの」として、言及しなかったという。

 今回の事件で初めて知ったことだが、ピッチ上では悪口雑言、あらゆる中傷、それも本人だけでなく家族に対するものなど、日常茶飯事的に横行しているという。選手はその挑発に乗るまいとするだけでも精神的なストレスは大きいという。揶揄、挑発されて闘志が湧くということもあるが、やはりプライバシーに関わることはフェアーではない。 
 スポーツというと、すぐにスポーツマンシップ・フェアプレーという言葉が結びつく。昔は純粋にそうであったのだろうが、今やこれらの言葉は死語となりつつあるのか。先ごろの、日本のスケート協会の使途不明金問題、イタリアのサッカー界の不正疑惑や、今日の朝刊にもクレー射撃協会の不明朗な会計問題の記事があった。このように根底で支える立場にいる者でさえ、金の汚濁にまみれたスポーツ界において、選手だけに礼節や、フェアー精神を求めること事態が無理なことかもしれない。
 そうしてみると、プレイヤーやギャラリーにも厳しいマナーが求められるゴルフやテニスが一番お上品なスポーツということか。そもそもこれらスポーツの一流選手には裕福な良家の子女が多く、自然に取り巻き環境がいいということも言えそうだ。
 それに引き換え、サッカーなどボール一つあれば練習できて、自分の技術如何ではどんな地位も富も得られ、上流社会への仲間入りもできる。だが、「氏より育ち」というけれど、自分の出生を隠すことはできない。結局、人種差別のコンプレックスは金と名誉があってもどうにもならないということだろう。
 このジダンの不祥事は、いつまでも後世に残る不名誉なものであり、きっと4年ごとのW杯のたびに人々の話題に上ることだろう。「人の噂も七十五日」という、日本の格言どおりには行かないだろうか。
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