いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

音楽を語る比喩

2011年01月12日 | ピアノ・音楽
 昨日紹介した岡田暁生氏著の『音楽の聴き方』に、クラシック音楽の地元の人(ヨーロッパの愛好家たち)による音楽を語る面白い比喩が紹介されていた。

「明るい声、暗い声」
 歌手の声質を形容する「明るい/暗い」という表現。前者は楽々と高温が出せるが、声質が軽くて、あまりドラマチックな表現には向いていない。それに対して後者は、低音のドスの利いた性格俳優のように暗い情念に満ちた声である。ちなみに著者はこの表現を初めてドイツで耳にしたとき、ビールを連想したそうだ。彼らはビールについても「明るい/暗い」を用いる。ピルスのように黄金色で泡立ちが細かく軽いものは「明るい(hell)」ビール、日本人が黒ビールと呼んでいる、アルコール度数が高くて濃厚なタイプは「暗い(dunkel)」ビール。そして彼らはオペラを見たあとで居酒屋に行き、「あの歌手は少しオテロにしては声が明るすぎた」と言いながら「明るいビール!」と注文していたそうだ。今著者は歌手の声を聴きながら、時としてビールの色合いが見えたりすることもあるそうだ。
 
「音楽をする」
地元の人たちは「音楽をする」という表現をよく使うそうだ。例えば「彼はきちんと音楽をしていた」/「あれは音楽じゃない」という表現だ。一方「上手い/下手」という言い方はまずしない。彼らにはどうやら「音楽をする」ということについてのはっきりしたイメージがあり、ちょっとしたことそれが「音楽」になったりならなかったりするらしい。その基準はある種の身体感覚のようなもの―音を慈しみながら、語るように音楽を奏でることを心得ているか、それともモノのように音を処理しようとするかの違い―らしいそうだ。

 音を慈しみながら、語るように何かを伝えるように弾く、そう、音を慈しみ何かを伝えようとしよう、という思いは本当に大切だと思う。その思いはちょっとは音となって出てくれるだろうから。ただその思いがきめ細かな音となってストレートに出てくれるようになるために、練習や技術が必要となるのだろうと思う。アコースティックピアノはアナログな楽器なのだが、鍵盤を押せばひとまず音が出てしまうし、一つの鍵盤で出されるのは一定の音程なのでうっかりデジタルだと勘違いしてしまいやすい。私も長い間勘違いしていた。本当はその鍵盤の押し方離し方の中に、アナログ的な要素が潜んでいるのだが。。。そのアナログ的要素をふんだんに生かし切れるようになり、とことん「音楽をしたように」聴き手に聴こえるように弾けたらいいな。もちろん、本当のところは、完全には要素を生かし切れなくても、音を大切にしようと思いながら弾いていたら「音楽をする」ことはできるだろう(そう思ったほうが、精神衛生上にはいいと思います)。しかし理想は、アナログ的要素を生かせるところは出来るだけ生かしたい、と思う。
 脱線してしまった。音楽、したいですね!