山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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鯨のよどちゃん永眠す。

2023年01月20日 07時54分11秒 | 談論風発?(与太話))
大阪湾の淀川河口に迷い込んだ鯨の「よどちゃん」が力尽きて死にました。
大阪市は大枚払って、クレーンで吊り上げ、土砂運搬船にのせ、和歌山県沖まで運んで
コンクリートの錘をつけて海に沈めました。
メディアは「よどちゃん!さようなら!」と情緒的に報道しています。

嗚呼、日本は平和なんだなとつつづく思いました。

もしこれが周防大島町の海岸に打ちあがりましたら、金持ち大阪市のような対応はできなかったでしょう。吊り上げるクレーンも運ぶ船もありませんし、費用の数百万円もとても町財政では負担できません。

こちらはこちらで自治体間の貧富の差を思い知らされます。

鯨が瀬戸内海に入ってくることは昔はよくあったようで、周防大島にも江戸時代に鯨が迷い込んで
きて、漁師が取り合いあいをして、村同士で大喧嘩になったとの記録があります。

室津の記録では鯨が来たので、みんなで分け合ってたべました。
「美味しゅうございました」とのことでした。

昭和20年代までに生まれた人たちには鯨はごちそうでした。

我らが地元、下関の大洋漁業がはるか南極まで行って鯨を取ってきて、日本人のタンパク質の補給をしていました。流通上は魚でしたので、肉屋ではなく魚屋のルートで販売されていましたね。血管の少ない赤身の所が最上で、脂分の「おばやけ」は酢味噌で食べると最高な酒の肴で、赤白ベーコンは子供が取り合っていましたね。
新宿の「しょうべん横丁」(今は思い出横丁と改名)の入り口に鯨専門のクジラステーキ店
がありました。うちわぐらいの大きなステーキが人気でしたが、苦学生(現在は死語)には高値の花でした。

古い人間からすれば、鯨を捨てることは「なんと勿体ない」と思います。
今回のはマッコウ鯨で、美味しさは、シロナガスクジラの次に美味しい。
今、わずかにスーパーで出回っているのは日本沿岸の小さな鯨種なので美味しくありません。
これすら滅多にお目にかかれません。かっての消費構成比に基づいて配分しているので、昔、鯨を
食べることが少なかった県には配分はありません。

「旨いシロナガスが食いたいなあ~」
こんな想像している私は、保護団体に見つかると殺されるでしょうね。

別の鯨が今度は東京湾に入ってきました。 何か変?