追記」
本記録編纂の後、偶々災害直後大島郡役所によって調査記録された「屋代村
変災記事」なるものが西連寺に珍蔵されているのを発見した。
当時の生きた事情を知る便にと、左記に転載する次第である。
一、田川 愿一氏 (当時大島郡長 郷之坪寓居)
郡長の妻は当日居宅より凡そ一丁計りの処に流れ、濁水中に居るを、近隣の
中村森蔵、盛谷繁蔵、河内長四郎等が認め、勇進危難を犯し辛くも之を救援し
茅屋に移せしも、重症如何せん、数時間にして鬼籍に入りたり。
令息、真氏の遺体は、居宅を距る凡そ一里許り下流の川尻と称する処にて翌日
発見せり。
下婢死体は漸く二十九日に至り発見せり。
郡長はコレラ病検疫の為、和田村へ出張中なりしが、当日、暴風雨にて海辺の
破損箇所多からんを憂い、同村より久賀村まで巡視せらるる途中、脚夫の変化
を告ぐるに会い、直ちに帰庁せり。
本記録編纂の後、偶々災害直後大島郡役所によって調査記録された「屋代村
変災記事」なるものが西連寺に珍蔵されているのを発見した。
当時の生きた事情を知る便にと、左記に転載する次第である。
一、田川 愿一氏 (当時大島郡長 郷之坪寓居)
郡長の妻は当日居宅より凡そ一丁計りの処に流れ、濁水中に居るを、近隣の
中村森蔵、盛谷繁蔵、河内長四郎等が認め、勇進危難を犯し辛くも之を救援し
茅屋に移せしも、重症如何せん、数時間にして鬼籍に入りたり。
令息、真氏の遺体は、居宅を距る凡そ一里許り下流の川尻と称する処にて翌日
発見せり。
下婢死体は漸く二十九日に至り発見せり。
郡長はコレラ病検疫の為、和田村へ出張中なりしが、当日、暴風雨にて海辺の
破損箇所多からんを憂い、同村より久賀村まで巡視せらるる途中、脚夫の変化
を告ぐるに会い、直ちに帰庁せり。
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