山口県周防大島物語

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屋代村郷ノ坪 明治十九年大洪水実録

2022年07月19日 20時04分02秒 | 明治19年屋代村郷ノ坪大洪水
一、大洪水の実況について(1)


 明治十九年と云う年には、比較的降雨が多かった。殊に九月二十日頃から、
 連日、些の晴れ間も見せず豪雨が降り続き、二十三日頃から屋代川には溢れる
 ばかりの濁水滔々と流れ、堤防の決壊は漸く憂慮さるるに至った。

 明けて二十四日も相変わらず沛然として降る。屋代川の堤防は、数か所に於いて
 破壊されたとの噂が伝えられ、支流久保川にも濁流溢れ、川床が殊の外、急勾配
 をなしている事とて矢の如き奔流となって下っている。而も、午後よりは暴風を
 も加えて雨は止む模様も無く、次第に憂色に閉ざされた両川の沿岸の家の人々は
 寄り寄り避難を企て、地形のやや高い銅(あかがね)の志度石神社の祭典所、
 或いは西連寺等には多くの人々が集まり、暗い天を仰ぎ、次第に増す河の水嵩を
 見守って長溜息を漏らすのみで何ら手の下し様もない。

 やがて、同日午後五時頃になったが、雨は益々、盆を覆す如くであったが、突如と
 して天地も砕けるかと思う計りの轟音が響きわたった。
 すわ一大事とばかりに、神領、吉井、徳神の部落民は心も空に戸外に飛び出して
 みれば、薄明りの中に郷之坪及び、銅西部一帯の地は、もの凄い水煙を立てて
 襲来した水の塊に、見る見る人家は押し流され、又は倒壊し、為に忽ちにして
 人は水中に巻き込まれ、或いは倒壊家屋の下敷きとなり、又は砂礫の中に埋没
 されるの悲惨事を招来した。

 初めて目の当たりに見る地獄といおうか阿修羅の巷といおうか、人々の心胆も
 為に凍る計り。
 驚愕のあまり呆然と立ちすくんだ人々の目に映じたものは、瞬時に化した砂礫
 の平原であった。今まで、屋代川や久保川の堤防が崩れる事のみ憂慮していた
 人々には、全く寝耳に水で思いも設けぬ方角から、予想だにしない猛烈なる襲撃
 に会ったものだ。人命を失う事が以外に多かったのもこの為であった。

 併し、音響を耳にすると同時に、遮二無二に走って逃げおおせた者も数名あり、
 また直後に倒壊家屋の中から救助された銅の満谷一家もあった。
 特に上郷之坪にある志度石神社の一の鳥居たる通称、鳥居ケ壇という百坪余りの
 平地は、地形がやや高く、又其処には周囲約一丈七尺もある栴壇の大樹があった
 ので水勢が此処で二分され、為に偶然、栴檀の根元に逃げた約二十名は奇跡的に
 水禍を免れ鳥居ケ壇の真下の島家は、郷之坪における残存した殆ど唯一のもの
 であった。

 また極めて奇跡的に危うい死地を脱した者に河内倉之進氏がある。
 即ち、濁流に押し流され水の下になり上になりすること半里余りにして、
 片山に於いて救助されるの幸運を得た。
 真に珍しき事と当時もしきりに喧伝された。


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