山口県周防大島物語

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(無題) 投稿者:木原そらジロー

2022年07月28日 07時01分26秒 | 伊予大野家と屋代島(周防大島)
現在除籍謄本を遡っている途中です。
姓は木原ですが、長州藩の下級武士出身と聞いています。
証拠はなにも残ってないですが...。鎧通しだけは何故か親戚の家にあると聞いてます。
長州に来る前は広島だったという話もあるみたいですから河野家家臣重見氏出身の木原の可能性も...。
明治までは山口県にいたのは確かです。

書き忘れましたが、家紋は隅切り角に三文字(折敷に三文字)です。


●木原そらジローさんへ

ようこそ、

長州藩士の木原家であれば、本家は重見家と思われます。
重見家の本家は伊予守護家の河野家となります。
よって家紋が河野家家紋の「折敷三文字紋」であることは通常です。
多分一番新しい、河野家家紋の「折敷縮三文字」紋を伝承していると思われます。
これがそれ以前の「折敷漢数字三文字」紋であれば室町期の河野家家紋となりますので
より古い時代の河野家の分れとなります。

長州に来る前は広島に居たとする伝承は、戦国期に伊予河野家衰退の折、廣島(安芸)を
まだ根拠地としていた毛利家に異動した伊予河野分家重見氏(後、木原氏)の話が伝わっている
のだと思われます。関ケ原の戦いに負け、毛利家は防長二州に押し込められますので
この時に重見、木原氏は安芸(広島)に残る者と防長(山口県)に移動する者とが現れたとされます。
よって、山口県、廣島県に、重見、木原姓は残っている筈です。
山口県にも点在し、周防大島町にも木原氏はいます。

元々は伊予から来ている人たちの伝承を持ちます。


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