山口県周防大島物語

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令和元年暮れなんとす

2022年07月25日 12時08分13秒 | 伊予大野家と屋代島(周防大島)
もうすぐ、令和元年が暮れ、令和二年の正月を迎えます。

この元号令和は伊予大野家子孫にとっては慶祝の至りでもあります。

元号令和の出典は初めて和書(今までは漢書)より採用され、
天平二年正月十三日に筑前・大宰師大伴旅人が筑前国守山上憶良らを自邸に招き観梅の宴を開いた時
にうたわれたものから採取されました。 曰く

梅花歌卅二首 / 天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲
松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足
若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇 古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠

該当部分意訳

「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」

から令和を採りました。

この歌と伊予大野家との拘わりは、伊予大野家の遠祖は大伴氏であり、伊予大野家始祖は大伴高多麿です。
高多麿の父は大伴旅人であり、兄は大伴家持とされます。
又、始祖高多麿が生まれたのはこの梅の宴があった、天平二年の大宰府のこの歌会邸宅とされます。
唯、家持は嫡子であり、高多麿は庶子とされます。誰が母かは旅人に聞かないとわかりません。
この歌会の時は宴主の旅人に子が生まれることは分かっていたでしょうから、祝意の歌だったかも
しれません。

この年の12月旅人は太宰卒の任を解かれ、13歳の家持と0歳の高多麿と帰京の途に就きます(万葉集)

年末には平城京の自宅に帰ってきました。近所に長屋王の邸宅がありました。
旅人は大納言に昇進します。

伊予に下向したのは大伴高多麿から四代後の大伴吉良麿(喜)が純友の乱の平定の為、下って来て土着したのは
周知の通りです。

暮れゆく令和元年、来る年が平穏でありますように!


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