山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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昭和四年大島郡の風景 小松開作港 点描

2022年09月18日 13時23分17秒 | 昭和四年(1929年)の山口県大島郡の風景
小松開作の港風景です。船はすべて製塩所関係です。

塩釜神社が映っていますので位置は分かるでしょう。
俵を積んでいるのは出荷するための塩です。大船が沖に来たら積み替えに行くの
でしょう。塩業関係の船では他に塩田に泥が溜まったら捨てるための「ネバ船」で
江戸後期から九州の石炭で大釜を炊いていましたので、その石炭殻を捨てる舟がありました。
そのためかどうか、塩釜神社の所は往古には島でしたがいつの間にか陸続きになりました。




開作港の塩田側から遠く塩釜神社を望みます
前方のこんもりしたところが塩釜神社です。



開作港の今昔

昭和四年の開作と往古の開作を上下で表しています。この古図がどこにあるのか
今はわかりません。昭和四年の家々は矢田部家とその関係倉庫群が殆どで、粟屋の
殿様の下で直接、矢田部家は製塩業を支配し、北前船も運航して物流も担っていました
幕末には防長の大金持ちの三家となり、高杉晋作らの維新の若者たちに金をせびられ
数百両単位で融通しています。ある意味明治維新は矢田部の金で成ったともいえます。
建前上は「貸してくれ、但し出世払い」とされ、後に明治政府が返してくれたとする
話はありません。当たり前ですが、幕末は大島郡一の大金持ちでした。




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