山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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昭和四年大島郡の風景 大島の玄関口 大畠

2022年09月17日 18時20分49秒 | 昭和四年(1929年)の山口県大島郡の風景
大島の玄関口 大畠付近

周防大島に渡るには、山陽本線大畠駅から踏切を渡って大島航路(大畠=小松港)で
連絡船に乗る必要がありました。今は橋が架かりましたので渡船は無くなりました。

写真は鉄道の大畠駅と、大島航路の大畠港の渡船乗り場が見えています。この時期は
まだ、小松のハワイ帰りの実業家岡村氏が渡船会社を経営し、同じく、大畠の渡船会社
と価格競争と客の取り合いをしていました。桟橋の周りの多くの船は双方の渡船です。
小松側は大畠の船が来ると桟橋につけさせないように船を停めたままにしていやがらせ
をしていました。困った大畠側はお上に願いでて、警察沙汰にもなりましたが、双方
手を引いて県営で運営することで終わりとなりました。
県営の後は国鉄が引き継ぎました。国鉄直営の航路は、
青函連絡船、宇高連絡船、宮島連絡船、関門連絡船と大島連絡船のみで、ある意味
政治の力が働いたのでしょう。みかん狩りで客が多い時は、宮島航路から宮島丸が
応援にきていましたね。



現在の大観荘あたりから大畠を望む

瀬戸貝を大畠の石神(しかみ)の漁師がとっています。
なぜか、小松側に漁業権がありません。
しかみ地区は荒っぽいので怖い人が多かったと言われます。
現在、ここには大島大橋が架かっています。
海峡部分は800Mですから、上げ潮と下げ潮の潮目が変わる30分は流れが止まりますので
肝試しに一気に泳ぐ若者が年に一人か二人いましたね。
今はそんな話聞いたことはありません。通常は流れが速くて怖くて泳げません。
昔、今の橋の下に多くの岩礁があったので、駆逐艦が通れないと云うことで呉の海軍が
来て岩礁をダイナマイトで吹き飛ばしましたが、まだ、根は残ってますので、渦は巻きます。



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