フレイルの問題が、と高齢者へのインプラント治療での意味、意義に付いて懐疑的に思われる先生が、どうしても現時点では大多数のようです。
でも、私は申し上げたい、なら是非高0会の勉強会に参加して下さい、と。
誰もが昇地三郎先生、日野原先生になれる訳ではない、と言うのは、私に言わせていただけるなら、諦めなのではないですか?と。
あのような実例、実際にいた方が出る、と言うことは人間の持つ可能性を見せてくれている、と私は思うんです。
可能性見せてくれる、と言うことは、それがさらに広がって行くことができる、ということなんじゃないか、と私は考えます。
それは即時荷重インプラント治療に2000年当時から必死で取り組んで来た私の心構え、でもあります。
誰もが解決できない、世界の著名教授DRがしてはならない、と言い切ったものを、私はしちゃってました。
しちゃってた、というのが本当に素直、正直なところで、恩師ラム先生の教えに素直に、純粋にしていって、自分なりに成功させることにしがみつき、なんとかできる、どうやら行ける、とめど付けて、自分だけの成績では97%以上、という成績を残せました。
2003年当時、2004年のPRDでのポスタ―セッションに軽く100倍以上の競争率で合格ったもの出した時、自分の統計取って見て自分で知りました。
生意気ですが2003年当時で私自身は部分即時荷重インプラントは行けるものだ、と確信できていました。
フレイルの問題でも、私は後手後手に回ってるのが、解決できない、できてない最大の理由だ、と思っています。
一度落ちてしまうと、蟻地獄のようなもの、である、と。
それは、開業する前20年以上も前に、介護の生の現場に出て感じた事実です。
やはり生意気ですが、私は介護の現場で、ボランティアの泊まり込みの体験を2回した者です。
2回もした人がそれまでいなかったとかで、大変珍しがられました。
でも、私はそこに日本の未来、来て欲しくない未来を見てしまったんです。
だから、そうならないようにするにはどうしたら良いのか?と真摯に考え続けて来ました。
開業した裏の目的は、自分が真摯に頑張っても患者さんは、高齢者はああなってしまうのか?と言う疑問に対して解答が欲しかったからです。
この疑問に対しても、当時はどこも答えを見せてくれなかったので、自分がするしかない、と思ってのことです。
答えがなかったら、答を創る。
それが、私のしている活動、高0会であり寺子屋です。
解決してないですよね、で留まるのも自由ですが、私はそれは望まない人間です。
生きている限り、命ある限り前に進もう、答がなければ創ろう、と思っています。
共鳴していただける方は、是非高0会、寺子屋にご参加下さい。
又、私の朋友、親分である玉木先生の日本橋インプラントセミナーも、是非にご参加下さい。
ともに未来を創りましょう!