土曜日は夕方5時半まで仕事(今週は50時間くらい働いてしまった…信じられない)をして、そのあと、漫画喫茶へ行きました。
徹夜です。
およそ10時間にわたって読みつづけ、明け方の5時過ぎくらいに帰宅しました。→寝→起床(朝9時)。ハードです、が、私は9時を過ぎるともう寝ていられない体質なのでございます。今夜ははやく寝よう…。
しかし、なんだかんだで元気な私。正直、金曜あたりから動悸がおかしな感じでしたが、私に足りなかったのは肉体の休息よりもまず精神への刺激だったのです。漫画喫茶でそれが得られたかと言いますと、得られましたとも!
松本大洋の『ナンバーファイブ吾』を読みました。大変なことになりました。読後1時間くらいは放心していたと思います。現地では肉体疲労のためか私の外側にはあらわれてこなかったのですが、今朝起きたら(厳密にはまだ「起き上がって」はいなくて目を開けただけですが)涙があとからあとから出てきてどうにも仕方がありません。さっき(11時くらい)まで泣いていました。制限時間に解けなかった数学の問題が、下校の時になってようやくササッと解ける感触に似ています。時間を置いたら、どういうお話だったのかをより深く理解できた気がします。確かに、これはとても悲しい。しかし、それだけにとても美しい。
ああ、なんということだ。『アンダーグラウンド』(映画)のときと同じ感じです。クストリッツァが陽気な調子をとるのに対し、松本大洋は哀しげな調子に終始するという違いはありますが、両者はどうやら同じようなことを違ったアプローチの仕方で表現している気がします。ああ、しばらく立ち直れないに違いない。
詳しくはまた別で書こうと思います。うまく書けるような気は少しもしませんが、とにかく激しく感動したことだけは確かです。なんてものをなんて風に描いてしまうんだ、この人は。しかし本当に実在するんだろうか。松本大洋という人が、「今」もどこかで何かを見たり考えたりしているということを私はなんだか信じることができません。そんなことがあるだなんて。それが「今」だなんて、そんなことが。
こんな風に圧倒されるのを、私はいつも怖れているのに、しかしやはりそうなってしまう。それは、本当のところでは私は何かに圧倒されることを望んでいるからかもしれません。ぶちのめしてほしいのです。たとえば喜びでも悲しみでもなく(と同時にどちらでもあり)、たとえば愛でも憎しみでもない(と同時にどちらでもある)ところにあるらしいもの、それはあまりに確かにあるがためにほとんどないようにしか思えないものを、私はその時に少し認識できるような気がするからです。
ところで、他には伊藤理佐の『おいピータン!!』を読みました。笑い死ぬところでした。それから幸村誠の『ヴィンランド・サガ』、荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』の最新刊。懐かしいところでは一條裕子の『わさび』。その他手当りしだい。
あー、おかげですっかり蘇りました。ありがとう、私を生かしてくれている、素晴らしい人たち。
徹夜です。
およそ10時間にわたって読みつづけ、明け方の5時過ぎくらいに帰宅しました。→寝→起床(朝9時)。ハードです、が、私は9時を過ぎるともう寝ていられない体質なのでございます。今夜ははやく寝よう…。
しかし、なんだかんだで元気な私。正直、金曜あたりから動悸がおかしな感じでしたが、私に足りなかったのは肉体の休息よりもまず精神への刺激だったのです。漫画喫茶でそれが得られたかと言いますと、得られましたとも!
松本大洋の『ナンバーファイブ吾』を読みました。大変なことになりました。読後1時間くらいは放心していたと思います。現地では肉体疲労のためか私の外側にはあらわれてこなかったのですが、今朝起きたら(厳密にはまだ「起き上がって」はいなくて目を開けただけですが)涙があとからあとから出てきてどうにも仕方がありません。さっき(11時くらい)まで泣いていました。制限時間に解けなかった数学の問題が、下校の時になってようやくササッと解ける感触に似ています。時間を置いたら、どういうお話だったのかをより深く理解できた気がします。確かに、これはとても悲しい。しかし、それだけにとても美しい。
ああ、なんということだ。『アンダーグラウンド』(映画)のときと同じ感じです。クストリッツァが陽気な調子をとるのに対し、松本大洋は哀しげな調子に終始するという違いはありますが、両者はどうやら同じようなことを違ったアプローチの仕方で表現している気がします。ああ、しばらく立ち直れないに違いない。
詳しくはまた別で書こうと思います。うまく書けるような気は少しもしませんが、とにかく激しく感動したことだけは確かです。なんてものをなんて風に描いてしまうんだ、この人は。しかし本当に実在するんだろうか。松本大洋という人が、「今」もどこかで何かを見たり考えたりしているということを私はなんだか信じることができません。そんなことがあるだなんて。それが「今」だなんて、そんなことが。
こんな風に圧倒されるのを、私はいつも怖れているのに、しかしやはりそうなってしまう。それは、本当のところでは私は何かに圧倒されることを望んでいるからかもしれません。ぶちのめしてほしいのです。たとえば喜びでも悲しみでもなく(と同時にどちらでもあり)、たとえば愛でも憎しみでもない(と同時にどちらでもある)ところにあるらしいもの、それはあまりに確かにあるがためにほとんどないようにしか思えないものを、私はその時に少し認識できるような気がするからです。
ところで、他には伊藤理佐の『おいピータン!!』を読みました。笑い死ぬところでした。それから幸村誠の『ヴィンランド・サガ』、荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』の最新刊。懐かしいところでは一條裕子の『わさび』。その他手当りしだい。
あー、おかげですっかり蘇りました。ありがとう、私を生かしてくれている、素晴らしい人たち。