1966 チェコ
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー
原案:ヴェラ・ヒティロヴァー/パヴェル・コラーチェク
音楽:イジー・シュスト/イジー・シュルトゥル
出演:イヴァナ・カルバノヴァー/イトカ・チェルホヴァー
《内容》
1966年、チェコ。
女の子映画の決定版!!
《この一言》
“匂う? 通り過ぎる人生の匂い。 ”
「女の子映画の決定版!!」とあります。たしかに。それで私は見ようと思ったのは事実です。ところが、冒頭からいきなり、延々と回転する歯車の映像に交互に差し込まれる恐らく戦時中の爆撃映像。燃え上がる戦艦、戦闘機、崩れ落ちる建物。これはどうやらただお洒落なだけの映画ではなさそうな雰囲気です。のっけから……興奮!
そして実際にみてみると、評判どおりポップでキッチュな(←どうでもいいですが、ちなみにこれは私の嫌いな言葉ベスト5)要素があるのも確かですが、やっぱりそれだけではない。ところどころに痛烈な皮肉を、そして結末にははっきりとしたメッセージを提示していました。この結末はこのあいだ観た『Z』(監督:コスタ・ガブラス)の結末と同じくらいに衝撃的かつ格好いい。
ああ、ただ美しいものなんてないのじゃないだろうか。そこには思想がなければなるまい。どういう意見でも、伝えようとする姿勢が見えたなら、その時にこそ私はそれを美しいと思える。のです。
1966年のチェコと言えば、「プラハの春」がたしかその周辺だったでしょうか。当時のチェコは社会主義国でしたね。この映画の女の子2人組は、とにかくはちゃめちゃをやらかしますが、彼女たちが何を問い、叫ぼうとしているのかは容易に推測されます。冒頭で回っていた歯車のように「規則正しく生きる」人々には、彼女たちが見えない。まるでいないみたいに、声も届かないのでした。
うーむ。この監督がこの後で活動停止に追い込まれたというのも頷けます。瑞々しくて明るい映像とは裏腹に、そのテーマは熱いですね、かなり。いいですね、好きです。あー、やっぱチェコの人はただ者じゃないな。もっと知りたい。
さて、そういう社会派な面もありますが、たとえそこに関心がいかなくとも多くの人を惹き付けるのはやはり映像と言葉の美しさのためでしょう。女の子たちも可愛いし。
そう、女の子の可愛さがちょっと普通じゃありません。同じ部屋に住む二人の女の子(姉妹?)は、とにかくはちゃめちゃに愉快に生きようとします。クローゼットの中には同じ形のワンピースが色違いでずらり。毎度毎度、彼女たちのワンピースの形はそのままで、色だけが変わっていくのが異常に楽しい。
そして、金髪ボブカットの女の子はいつも頭に花冠をかぶり、黒髪ツインテールの女の子はいつもシフォンのショールを巻いています。ぐわー、可愛いぜ!
そして、映像。これは凄い。1966年で、もうこんなことになっていたのですか? 何だか現在の歌手のビデオクリップなんかで見るような映像は、みんなここから出発したのではないかと思えるほどの洗練具合。こいつは驚いた!
これは一応カラー映画なのですが、ときどきモノトーンに変わったりします。モノでも色は色々(オレンジ、セピア、などなど)。で、突然またカラーに切り替わる。それが緑の芝生だったりする。が、芝生と思ったらそれはベッドに敷かれた緑色のマットだったりする。
まったく目が離せませんでした。
そんな感じで見どころ満載の映画でしたが、私がとくに面白かったのはこの場面。
「何かでかいことをやろう」と言って、部屋の天井から吊るした青い紙に火をつけ、燃やします。ついでにソーセージもぶら下がってます。(ああ…おいしそうに焼けたようだ)
そこへ男からの電話、愛の言葉がほとばしる中、彼女たちはハサミ(←ものすごく切れそうな)でソーセージを、バナナを、ゆで卵をザクザクとちょん切り、それをフォークでザックリと突き刺して、もしゃもしゃと食べるのです。
で、この言葉。
“男は「愛してる」って言う以外に、どうして「卵」って言えないの?”
ノックアウトです。参った。また観ます。
1回では、とても足りない。
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー
原案:ヴェラ・ヒティロヴァー/パヴェル・コラーチェク
音楽:イジー・シュスト/イジー・シュルトゥル
出演:イヴァナ・カルバノヴァー/イトカ・チェルホヴァー
《内容》
1966年、チェコ。
女の子映画の決定版!!
《この一言》
“匂う? 通り過ぎる人生の匂い。 ”
「女の子映画の決定版!!」とあります。たしかに。それで私は見ようと思ったのは事実です。ところが、冒頭からいきなり、延々と回転する歯車の映像に交互に差し込まれる恐らく戦時中の爆撃映像。燃え上がる戦艦、戦闘機、崩れ落ちる建物。これはどうやらただお洒落なだけの映画ではなさそうな雰囲気です。のっけから……興奮!
そして実際にみてみると、評判どおりポップでキッチュな(←どうでもいいですが、ちなみにこれは私の嫌いな言葉ベスト5)要素があるのも確かですが、やっぱりそれだけではない。ところどころに痛烈な皮肉を、そして結末にははっきりとしたメッセージを提示していました。この結末はこのあいだ観た『Z』(監督:コスタ・ガブラス)の結末と同じくらいに衝撃的かつ格好いい。
ああ、ただ美しいものなんてないのじゃないだろうか。そこには思想がなければなるまい。どういう意見でも、伝えようとする姿勢が見えたなら、その時にこそ私はそれを美しいと思える。のです。
1966年のチェコと言えば、「プラハの春」がたしかその周辺だったでしょうか。当時のチェコは社会主義国でしたね。この映画の女の子2人組は、とにかくはちゃめちゃをやらかしますが、彼女たちが何を問い、叫ぼうとしているのかは容易に推測されます。冒頭で回っていた歯車のように「規則正しく生きる」人々には、彼女たちが見えない。まるでいないみたいに、声も届かないのでした。
うーむ。この監督がこの後で活動停止に追い込まれたというのも頷けます。瑞々しくて明るい映像とは裏腹に、そのテーマは熱いですね、かなり。いいですね、好きです。あー、やっぱチェコの人はただ者じゃないな。もっと知りたい。
さて、そういう社会派な面もありますが、たとえそこに関心がいかなくとも多くの人を惹き付けるのはやはり映像と言葉の美しさのためでしょう。女の子たちも可愛いし。
そう、女の子の可愛さがちょっと普通じゃありません。同じ部屋に住む二人の女の子(姉妹?)は、とにかくはちゃめちゃに愉快に生きようとします。クローゼットの中には同じ形のワンピースが色違いでずらり。毎度毎度、彼女たちのワンピースの形はそのままで、色だけが変わっていくのが異常に楽しい。
そして、金髪ボブカットの女の子はいつも頭に花冠をかぶり、黒髪ツインテールの女の子はいつもシフォンのショールを巻いています。ぐわー、可愛いぜ!
そして、映像。これは凄い。1966年で、もうこんなことになっていたのですか? 何だか現在の歌手のビデオクリップなんかで見るような映像は、みんなここから出発したのではないかと思えるほどの洗練具合。こいつは驚いた!
これは一応カラー映画なのですが、ときどきモノトーンに変わったりします。モノでも色は色々(オレンジ、セピア、などなど)。で、突然またカラーに切り替わる。それが緑の芝生だったりする。が、芝生と思ったらそれはベッドに敷かれた緑色のマットだったりする。
まったく目が離せませんでした。
そんな感じで見どころ満載の映画でしたが、私がとくに面白かったのはこの場面。
「何かでかいことをやろう」と言って、部屋の天井から吊るした青い紙に火をつけ、燃やします。ついでにソーセージもぶら下がってます。(ああ…おいしそうに焼けたようだ)
そこへ男からの電話、愛の言葉がほとばしる中、彼女たちはハサミ(←ものすごく切れそうな)でソーセージを、バナナを、ゆで卵をザクザクとちょん切り、それをフォークでザックリと突き刺して、もしゃもしゃと食べるのです。
で、この言葉。
“男は「愛してる」って言う以外に、どうして「卵」って言えないの?”
ノックアウトです。参った。また観ます。
1回では、とても足りない。